2009年5月23日 (土)

お久しぶりです。

やっと、ホームページが使えるようになりました。9か月くらいそのままにしておいて、すみません。

これからまた再開しますので、どうぞよろしく。

最近は椎間板ヘルニアにいじめられていて、痛くてかないません。それでもライブへ出かけたり、遊んではいます。

この間の大きな出来事は、2月21日に頭脳警察のワンマンライブを成功させました。ファンの有志が集まり、40周年を盛り上げようと企画しました。ワタシはなんと会長でした。

ライブハウスに超満員の300名が集まりました。いくつになっても、夢は叶うのです。ただいまは、「Z・K 69/09」というその時のメンバーと、結成40周年を盛り上げる活動をしています。所属のレコード会社からも認められ、情報もストレートにはいるようになりました。

先日は阿修羅展を見に行きました。彼女の休みに合わせて、平日に行ったのになんと入場まで50分待ち。腰が痛い身にはきつかった。興福寺では何十回とみてますが、360度どこからでも見られるのには感激しました。やはり阿修羅様は素敵だ。

土曜日は安息日。腰のおかげで動けないこともあるのですがね。明日は彼女に会えるので、楽しみです。人間、一生青春です。

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2008年9月23日 (火)

王さんが引退した。

ホームページがずっと不調で、ソフト会社からは何も返事がなくて困っている。ずっと使っているホームページビルダーはアップができない。それから乗り換えたホームページゼロは画面がばらばらになってしまい、きちんとならない。どちらの会社もわからないと言うだけだ。

そんなことも理由にならず、更新しないままだった。いけないなあ。

15日にS先生が「足利のポテト焼きそばを食べたい」というので、Sさんも連れ、足利に行ってきた。足利学校と鑁阿寺を案内した。ポテト焼きそばはあまから屋の源さんが用意してくれた。今でも大盛りが400円だった。あまから屋で珈琲を飲み、あんみつを食べる。

S先生は体調がすぐれないので早めに帰ることにした。帰りにSさんのお母さんのお見舞いに寄る。ここ数日危ない状態が続いている。酸素を入れて、楽になったようだった。

翌日、S先生からメールが届いた。「Sさんのお母さんが亡くなった」。びっくりした。昨日はそんな雰囲気は少しもなかったのだ。人の命のはかなさを思う。

このお母さんには30年以上もお世話になった。東京での母親のような人だった。関西、北海道などあちこちに旅行も何回もした。そういう時は「湯澤くんが好きだから」と、煮物やおでんなどをたくさん作ってきてくれた。韓国ドラマの「冬のソナタ」が好きで、100回以上も繰り返して見ていた。83歳の時に、「冬ソナの舞台に行きたい」と言うので、生まれて初めてパスポートを作り、韓国へ行った。いろいろな場所を案内して、とても喜ばれた。

この半年後に入院して、ずっと病院暮らしだった。1か月前には納涼祭があり、一緒にビールを飲んだ。ワタシがいろいろあった時には、「私は湯澤くんの味方だからね」と言ってくれた。この言葉は忘れられない。どれほど力づけられたか。

先週の金曜日にお別れの会があった。献体登録をしていたので、お葬式はまだなのだ。故人をよく知る人たちで、心温まる集まりになった。お骨になって戻ってくるには、2年半くらいかかるらしい。

こういう別れが多くなる年齢になったのだ。合掌。

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2008年8月25日 (月)

ご無沙汰してます。

うかうかしてたら、東京もだいぶ涼しくなり毎日雨ばかりです。夏が去るのは、いくつになっても一抹の寂しさがあります。

17日に足利に帰りました。両親も年老い、顔を見ておけるうちにはこちらも顔を出そうと雨の中出かけました。相変わらずでしたが、なんとかふたりで生活をしてました。人生のカウントダウンも心配ですが、それも順番かとは思えど、いくつまでも元気でいて欲しいものです。

そうそうお盆に原チャリ「陽炎号」で出勤したのです。なんと45分で着いてしまった。しかし問題は帰りでした。新宿駅のそばを右折するのを忘れ、そのまま直進したら、トンネルに入ってしまいました。怖いぞ、トンネル。すると白バイがいるではありませんか。むむ、不安感が。トンネルを出たら、その白バイが追いかけてきました。「そこの原付止まりなさい」。「あの標識が見えませんでしたか」。「うん?」。なんでも原付通行禁止だとか。初めて見た標識です。「スピードを出してなくてよかったです」。白バイに会う前まで、50キロで走ってました。

罰金5千円。道を覚えなければなあ。環八や目白通りをぶいぶい走ってます。東京は車が多くて、怖いです。地図が読めない男だし。

23日はやはり雨の中を福生まで行きました。yahooで検索しても、どうもJRの行き方が違うような気がして、途中駅員さんに聞きながら、ようやく福生に着きました。2時間もかかった。野外ライブがあるので出かけたのですが、駅から会場までがまた遠かったのです。雨はひどくなるし、すっかり濡れて到着。お目当ては、PANTAのバンドのギターリスト琢己くんのニューバンドTRASHを聴くためでした。

出店も出て、雰囲気はいいのですが、なんせ雨だから食べ物や飲み物を買う気にもなれないのです。缶チューハイを飲みながら、出番を待つ間にも雨はひどくなってきます。演奏はよかった。マウスハープの林さんがいい味を出していました。ファンキー、ブルース、ロックありの楽しい演奏でした。

終わってから、琢己くんがドラムのジュンさんのテントに案内してくれました。ジュンさんたちと、グランド・ファンク・レイルロードのライブの話で盛り上がりました。「こちらPANTAの友人のましろさん」と琢己くんが紹介してくれたけど、ワタシ単なるファンですから。

八ヶ岳の無農薬トマトを買ってきました。お客さんは、70年代の生き残りの人たちという感じで、若い人もそんな雰囲気でした。晴れていればもっと楽しかったでしょう。

昨日はD上さんにお世話になりました。まだ詳しくは話せないけど、生きているといいことがあります。むふふ。

では、では。

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2008年8月12日 (火)

追っかけ再開。

8日は新宿Naked Loftで「響宴」と題したPANTA~響のライブがあった。「だらだら行くから。選曲は脈絡なしです」と言いながら、渋い選曲だった。ここはライブの後は、明け方まで飲み屋になる。メンバーと一緒にゆっくり話ができるのがいい。

ギターの琢己くんとゆっくり話ができた。店のTシャツを買おうとしたら、琢己君が来て「色はピンクがいいよ。サイズはLね」ということで、お揃いになってしまった。

11月15日に響のふたりを囲んで、語り合う集いをやることもほぼ決定した。これはワタシの個人的主催だ。じっくり話すというのは、なかなかないので、かなり楽しみな企画だと思う。すでに参加希望者が全国から名乗りをあげている。30名くらいにしようと思っているが、すぐに定数になりそうだ。

来年2月には東京で、頭脳警察のライブをやることも決まりそうだ。そろそろ本格的に動き出さないといけない。実現までにクリアしないといけないことがいろいろと出てくるだろう。仙台の方々に負けないようなものにしたい。

その仙台は11月2日にある。9月は大阪と京都だ。ならば東京でも事務所主催でやってくれればいいのだが、そうはいかないことがあるらしい。ファン主催は東京では初めてだ。なんとか人を集めようではないか。

翌9日は愛知の安城でライブがあった。名古屋駅からマイミクさんのボビーチャンコさんが車で送り、迎えをしてくれた。これが実に助かった。もともと名古屋に宿を取ったのだが、帰りのことは考えてなかった。不便な場所の上、開演が8時半。終わったのが11時半頃だった。もう電車もなく、ひとりだったらどうしようもなかった。

追っかけが楽しいのは、地方のファンと会えるのと、同じ内容ではやらないからだ。そこでしかやらない曲というのがある。正しく一期一会のものだ。

10日はsikujuaさんが名古屋にいなかったので、遊んでもらえず、ホテルをチェックアウトして、そのまま帰ってきた。東京駅に着いたら、ずいぶん涼しく感じた。やはり名古屋は暑い。

きょうも夏休みだったので、原チャリでD上さんの家に行き、おそばをごちそうになってから、高円寺に行った。どちらもD上さんから詳しい地図をかいてもらったのだが、見事に間違えながら、どうにか目的地に着いた。地図が読めない男なのだ。

高円寺にはジーンズを探しに行ったが、目的の柄はなかった。それなので、中原中也のTシャツを買ってきた。太宰治とどちらにするか迷ったが、中也にした。別に意味はない。芥川龍之介よりはいいだろうというくらいだ。

さてと、明日からは電車も空いているだろう。お盆の時だけは空いた電車で通勤できるのがよい。今週は一度原チャリで通勤しようと思っている。

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2008年8月 8日 (金)

東北二大祭ツアー

3日から5日まで東北二大祭ツアーに行ってきた。

3日は朝も早くに新幹線に乗り、盛岡へ行く。そこからバスに乗り換え、青森に行く。これだけで疲れた。お土産センターに寄り、買い物をする。早くも荷物が増えた。4時に早い夕飯を食べる。ねぶた会場には5時半頃行く。さじき席だ。大雨注意報が出ていたが、始まるまではなんとか天気はもった。7時10分からねぶた祭が始まった。30年以上ぶりだ。黒はねとという若者たちが、ねぶたを荒らしたため、規制が厳しくなっている。見物客が一緒に跳ねるようなことはもうできない。突然の大雨。かっぱを持参するようにと言われていたが、駅で買おうと考えた。でもキオスクでは売ってないのだ。傘は役に立たず。座っていたら、雨水が流れてきて、パンツまで濡れてしまった。ねぶたは最初からビニールをかぶっていた。だから写真を撮っても、白くしか写らない。ラッセーラーの掛け声も軽やかに踊るはねとのみなさんもずぶ濡れだ。ねぶたのリズムは心を打つ。

8時半に終了。バスに乗り2時間かかって着いたのは、八幡平の温泉。もう10時半を過ぎていた。部屋には夜食のおにぎりが用意してあった。温泉につかり、ゆっくりする。寝たのは1時頃だった。

翌朝は6時半起床。朝風呂に入る。朝食はバイキングだ。出発は9時半とゆっくりなのも嬉しい。大沼に寄り、坊主地獄を見る。八幡平は温泉の宝庫だ。藤七温泉で入浴。硫黄泉だ。山すそに沿って、露天風呂が4つもあった。やたらと熱い。ぶよを避けながら、風呂に入る。山を越えて、秋田へ向かう。

この日は竿灯祭だ。こちらは初めてだ。またさじき席だった。竿灯もねぶたも担ぐのは男性で、お囃子は女性だ。男の祭のままだ。小学生も竿灯を掲げるが、大人のようにはうまくいかない。手、腰、肩だけでなく、おでこで竿灯を掲げると大きな拍手が起きる。これも迫力のあるお祭だ。

すっかり竿灯を堪能して、またバスに揺られ、花巻温泉に行く。着いたのは11時を回っていた。この日も夜食はおにぎりだった。温泉に入り、疲れを癒す。バスに乗っているか、ものを食べているかなので、ずいぶん太った。これはいけない。

最終日は岩手のげいび渓に行く。大きな岩を見ながらの川くだりを楽しむ。折り返し地点で川の中州に下りる。目の前は大きな岩だ。途中にアナが開いている。そこにかわらけを投げ込むと願いが叶うという。さっそくやってみた。1発目から見事成功。しかし般若心経を書いてあるブレスレットがばらばらになり、川に散らばった。水の中に入り、拾ったが、全部は集め切れなかった。運がいいのか、悪いのか。ずぼんも上着も水に濡れた。

お昼は出されたものは食べずに、おそばを食べた。これは美味しかった。そこから中尊寺に向かう。金色堂を見学し、ぶらぶらと下に下りる。野ざらし念珠を買う。骸骨がたくさんついた数珠だ。「趣味が悪い」と言われてしまう。

仙台駅で、翌日から始まる七夕飾りを見ることができた。東北をバスで動き回った3日間だった。かなり充実した旅行になった。S先生もなんとか元気に過ごすことができて、安心した。

お祭は好きだ。特に東北の祭は、長い冬のあとのエネルギーをいっぺんに吐き出すようで、迫力がある。楽しかったなあ。

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2008年7月30日 (水)

ほうかしき炎

2週間くらい前から左腕のひじが痛くて、腫れていた。だんだん痛みが強くなり、今朝は手首まで腫れあがり、つちのこのようになってしまった。まっすぐに伸ばせないし、吊革も持てない。これはいけないと、ネットで病院を調べ、さっそく行ってきた。

「ほうかしき炎ですね。もっと早く来てください」とのこと。ひどくなると、即入院ということもあるらしい。血液検査をしたら、白血球が1万もあった。「糖尿病はありませんか」。かかりやすいらしい。

レントゲンでは骨には異常がなかった。抗生剤を点滴してもらう。明日も点滴をするようだ。腕は包帯でぐるぐる巻きにされた。

結構、痛い。ほうかしき炎かなとは思ったのだが、何科に行けばいいのかわからなかった。整形外科を見つけて、行ってみた。

全く今年は病気続きだ。もうそんな年なんだなあと、しんみり。抵抗力がなくなっている。とほほなのであった。

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2008年7月19日 (土)

島根ひとり旅

先週末は島根をふらふらしてきた。飛行機で出雲空港へ。1時間の空の旅だ。寝て行く。空港からタクシーに乗る。バスでは電車の時間に間に合わない。10時15分に乗れないと、2時間待ちだ。駆け込みで乗車できる。1両のかわいい車両だった。1時間ほどで仁万に着く。ここのサンドミュージアムを訪ねるのが、今回の旅の目的だ。少女マンガ「砂時計」で、重要な位置にあるこの場所は、世界一の1年計の砂時計がある。

三角形の建物の中に、砂時計はあった。大きい。下には同じ大きさのものが置いてある。容器はドイツ製だ。砂は東北のものだったか。砂の選定には苦労をしたという。摩擦や湿度など、1年で落ちるのを計算するのは大変だったろう。

ここはこれしかない。あとは世界中の砂が置いてあるだけだ。小さいお土産店がある。念願の砂時計を買う。ひとり2個までとある。手作りだ。15分ほど歩いて、駅に戻る。電車は1時間以上後だ。タクシー乗り場があるが、人がいない。しばらく待っていたら、タクシーが戻ってきた。「石見銀山まで行けますか」「10分くらいだよ」。なんてことだ。ここからのが近いとは知らなかった。どこにも世界遺産に行けるとは書いてない。駅にもそんなポスターは貼ってない。

世界遺産「石見銀山」に行く。タクシーを降り、バスに乗り換え奥を目指す。単なる山の中としか感じられない。坑道の中はひんやりとしていた。江戸時代につるはしで掘り進んだ跡が岩壁に残っている。水が滴り落ちてくる中を歩く。150メートルくらいか。何もないと言えば、それまでのところだ。

外に出て、遊歩道を歩く。あちこちに小さい坑道があるが、入れるようにはなってない。代官所跡を目指す。きれいな水の流れる沢添いに歩く。やっと五百羅漢まで来た。ここはパス。このあともひたすら歩くが、目的地に着かない。寂しい山道だ。険しい階段を上ったら、なんと駐車場だった。代官所ではない。ガイドブックを見ると、バスで10分くらいかかるところを歩いたらしい。どうする。どこかのおばさんも苦情を言っている。五百羅漢のところで道を間違えたらしい。商工会議所の人がふたりアンケートを取りに来た。代官所に行くバスを聞くが、わからないと言う。ではJRに乗りたいのだがと聞いても、わからないと言う。電話をかけて聞いてくれた。「3時7分にバスが出るそうです」「もう15分ですけど」。

結局、その商工会議所の人が親切に太田駅まで車に乗せてくれた。「ここは見るのは坑道ひとつと、代官所くらいですか」「そうです」「手を入れると、世界遺産にはならないのですよ」「ほとんどの人がこれだけかと言ってましたよ」「そうなんです。勉強してくるか、ガイドを有料で雇うかしないとわからないところなんです」

たぶん、2度と来ることはない世界遺産だった。オムライスを食べて、電車を待つ。出雲市に戻る。ホテルは駅前だ。チェックインして、隣の温泉に行く。やはり、山陰は足の便が非常に悪い。夕飯を食べに、駅前をぶらぶらする。1軒の地元の食材を出す店に入る。おまかせで頼む。刺身も鶏肉も美味しかった。この日は早寝をする。

朝ごはんを食べ、チェックアウトし、一畑電鉄に行く。だが電車は1時間以上後だ。バスにして、出雲大社を目指す。六十年に一度の新しいお社にしたばかりだ。中で祈祷をしていたので、一緒に拝む。ここのしめ縄はりっぱだ。下からしめ縄にお金を投げ、刺さると願いが叶うという。やってみたら、上に乗ってしまった。願はどうなるのだ。縁結びの神様なので、よき縁がありますようにと祈る。

縁結びのお茶を買いに歩き、出雲そばを食べる。バスで日御碕へ行く。昨日歩きすぎたので、足に豆が出来ていて痛む。海はいいなあ。帰りのバスにあわせ、のんびりする。ウミネコの繁殖地になっている岩がある。

出雲大社に戻り、三時のバスで空港に向かう。これしかないのだ。飛行機は7時45分だが、出雲市のバス停からなら飛行機に合わせてバスが出ているらしいが、あそこは何もない。仕方ないので早めにバスに乗るしかない。空港ではやたらと時間があった。夕飯は赤貝づくしを食べる。これは意外と美味しかった。

不便だったぞ、島根県。石見銀山よりも出雲大社のほうが世界遺産らしいがなあ。良き縁の御利益があるのでしょうか。期待するしかない。

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2008年7月 8日 (火)

しっかり生きてます。

ちゃんとサラリーマンを続けています。3週間も無遅刻、無欠勤で仕事に行ってます。これはすごいことです。やればできるもんだ。

先週末はのんびりリフレッシュしました。土曜日は、川越在住の熟女ふたりと日帰り温泉の旅に。車が向かったのは埼玉県深谷あたり。お寺をふたつ見て、名物のうな重を食べた。甘めのたれだったけど、久し振りのうなぎは美味しかった。温泉が大当たり。1200円で、岩盤浴も付いているのです。サウナよりも汗をかいて、すっきりします。ここはマッサージも上手だった。おじさんだったので、どうかなと思ったのが大間違い。これが気持ちがいいことこの上なし。終わったら、背骨がまっすぐ伸びていた。「花湯の森」と言います。はっきりお勧めのお風呂です。露天風呂もあり、檜風呂もある。生ビールにほうとうを食べ、満足。

日曜日は午前中、ウォッシュレットを新しくした。11年も使っていると、壊れるものだ。値段が安くなり、性能も良くなっているのが嬉しい。ダイニングと居間の電気も新しくした。こちらも値段が安いのに、今までよりも明るい。明るいのが好きなので、これも嬉しい。午後は池袋の西武デパートでバッグを買う。旅行用だ。この家にはいったいいくつのバッグがあるのだろう。それこそ売るほどあるのです。

新しくできた地下鉄に初めて乗り、渋谷まで行く。まだ駅が新しい匂いだ。東横線で代官山へ。この日はPANTA~響のライブだ。場所は「晴れたら空に豆まいて」というライブハウス。「なめるんじゃねえ」と題したライブのお相手は、遠藤賢司だ。響の演奏はよかった。いつもよりも気合いが入っていた。1時間のはずが、1時間半もやった。えんけんは時間とおりに1時間だった。アンコールは3人で、「悪たれ小僧」をやってくれた。琢己くんが初めてソロで歌ってくれたのにはびっくり。頭脳警察でもやるのかな。

気分良く0時頃に帰宅。充実した休日だった。7月から8月はまたまた旅行を復活する。体力も結構戻ってきたので、好きな旅行に行く気力が湧いてきた。国内だけだが、あちこち出かけるのだ。PANTAの追っかけは9月からになる。この年になっても、好きなロッカーの追っかけができるのはいいものだ。10代から変わらない生活だなあ。

今週は足高2組の有志飲み会がある。年に何回かはこうやって集まっている。こういうのもいい。足利からも何人か来るようだ。

東京はサミットの警備で大変なことになっている。どこに行っても警官の姿がある。50メートルおきくらいに警官がいる。警官と機動隊員と自衛隊員は生理的に嫌いだ。だから実に気分の悪い状態が続いている。四谷駅では毎年恒例の七夕飾りがないので、駅員さんに聞いたら「サミットの関係で今年は飾らない」とのこと。なんでかなあ。自動販売機もサミットの関係で使用ができなくなっている。こういうのを過剰警備というのだ。こんな状態に慣らせようとしているのではと思いたくなる。北海道では反対のデモで逮捕者を出している。「先進」国が集まって、自分たちの思い通りのことをするためになんでこんなお金を使うのだ。無駄だよなあ。

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2008年6月30日 (月)

大阪と奈良へのひとり旅。

たぶんホームページソフトがうまく使えてないので、ここのホームページが見られない状態になっているらしい。我が家や会社のパソコンでは見られるのだが、パソコンによっては見られないらしい。ブログはYAHOOで「ましろのひとりごと」と検索すると見つけられる。

土曜日は大阪に出かけた。手術以来初の旅行だ。まずは大阪駅前のホテルのチェックイン。なんとホテルの2階にLLビーンズの店が入っていた。バーゲンをやっていたので、パンツ、上着、靴や小物を買う。ホテルに戻り、着替えてから、野田駅に行く。おこづかい帳さんのお店「ゆるり」初探訪。なんとおしゃれな店だった。かわやんさん夫妻に、Kさんも来てくれた。Kさんは自家製の有機野菜をこの店に入れている。その野菜サラダは美味しかった。

「ゆるり」は鹿児島の豚肉料理がメインの店だ。美味しい豚だ。量はほどほどで、お酒がメインの人にはちょうどいいだろう。おかずがメインの人にはちょっと物足りないか。〆のおにぎりか、うどんが欲しいところだ。

まだまだ開店したばかりだから、これからぼちぼち手直しをしていけばいい。お連れ合いと仲良く店を切り盛りする姿はよかった。お子さんも手伝い、家庭の温かさが感じられた。ポテトサラダがまさしく家庭の味で、気に入っておかわりをした。

翌日は奈良の岩井先生のお見舞いに行った。Rさんも付き合ってくれた。思ったよりも元気そうで、安心したが、やはりふけた感じは否めない。ワタシの母と同じ年齢だからなあ。まだまだ元気でいてください。

奈良まで来たのだからと、国立博物館で「法隆寺金堂展」を見る。奈良に来たら必ず顔を出す興福寺宝物館にもいく。「阿修羅様」を見るためだ。一番好きな仏像だ。何度お会いしても、素敵な姿だ。

早めの新幹線で帰る。短いけど、充実した旅だった。だいぶ体調も回復した。明日からは、7月だ。旅の虫がうずきだしてきたぞ。

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2008年6月22日 (日)

雨の日曜日。

梅雨だ。雨だ。きょうは一日雨が降っていた。

週末はカレーを作る。もう3週間カレーを食べている。結構飽きないものだ。カレーを食べつつ、パソコンのセットアップをする。まだ終わらない。昨日はネットへの接続が不安定なので、ケーブルテレビのカスタマーセンターに連絡をした。すると「無線ランの機械がリコールされているので、それが原因では」と言われる。直接、パソコンにランをつないで、ネットを検索する。やはり4年前にリコールされていた。でもずっと使えていたのにと思う。VISTAにしたのがいけないらしい。直接つないで、当座の対応とする。

iTunesに曲が転送されてなかったので、アンインストールして、もう一度やり直す。今度はちゃんとできたようだ。ずっとiTuneで音楽を流して、チェックする。お次は、ホームページソフトだ。新しく「ホームページゼロ」というソフトを買った。今まで使っていた「ホームページビルダー」から乗り換えができるというので、長く使えるこれにした。でもホームページビルダーを読み込まない。「応答なし」になってしまう。これまた、カスタマーセンターに電話する。「わかりませんので、のちほどメールします」と言われる。メールには、現状確認と画面を送ってくれと書いてあった。すぐに送る。すると、しばらく待っていると、開くことがわかる。どうもこのパソコンはメモリーを2ギガも積んでいるが、動作が遅い。開いたはいいが、画面がめちゃくちゃになっている。またメールを出す。

毎日、こんなことばかりやっている。さすがに疲れた。身体はずいぶん良くなった。でも、腰が痛い。椎間板ヘルニアが暴れている。左手の腱鞘炎も治らないままだ。でもテーピングするとかぶれてしまう。時計でもかぶれる。いつの間にか、金属アレルギーになったみたいだ。

まあ、そんな身体だが仕事にはきちんと行っている。先週は1週間遅刻、休みなしで行けた。すごいぞ、自分。当たり前のことか。好調ではないが、なんとか生きている。

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2008年6月17日 (火)

お久しぶりです。

いつの間にか10日も経ってしまった。友人から「おーい、生きてるか」というメールをもらった。なにをしていたかというと、ウツで沈んでいた。薬を増やしてもらい、なんとか立ち直ってきた。この手の薬は即効性がなく、効くまでに数週間かかる。その間休みながらも、仕事に行っていた。うーん、なかなかしつこい病気なのだ。今年で12年目になる。

6月13日は光が丘に引っ越してきて11年目になる。人生で2番目に長く住んでいることになる。結構気に入っているので、しばらくは住み続けるだろう。でも家賃が高い。

ただいま、30年以上ファンをしているPANTAのライブをファンが主催して行おうということになり、なぜかその会の会長になった。来年早々の開催を目指して、動き出している。事務所はバンドでのライブは、経費の面で大変ということでなかなか動かないので、ファン自らが立ち上がったのだ。はい、いい歳ですが好きなことをやっています。こういう生き方をしたいので、それでいいのだ。

で、そのPANTAと行く温泉ツアーというのも一人で企画して、実現しようとしている。賛同者も増えて、あとはPANTAのスケジュール次第になった。鬼怒川温泉か箱根温泉を考えている。こういうことをやり始めたので、元気になりつつあるのだろう。いいことだ。

胆のうの手術後は、先日病院で検診を受けOKが出た。血液検査の数値も異常無し、胆のうも悪性ではなかった。一安心。検査数値は非常にいい。肉体的には健康だ。

ようやく保険会社に出す診断書を書いてもらえたので、保険金の請求をした。お金が入るぞということで、ヨドバシカメラに出かけた。パソコン売り場をうろうろして、vistaパソコンを買ってしまった。ブログとmixiくらいしか使わないので、スペックもほどほどのものを安く買った。今までのもののほうが、性能がよいような気がする。vistaは話どおりに使いづらい。やたらとガードが固くて、面倒だ。古いパソコンからデータを移すのに、土曜日一日格闘したがうまくいかない。仕方ないので、自転車に乗って、パソコンショップに行き、「一番簡単な方法を教えてください」と言う。外付けハードディスクを使うのがいいだろうと言われ、ハードディスクを買う。250ギガで1万円だった。ずいぶん安くなったものだ。

なんとかデータを移せた。iPodのデータはフリーソフトではうまくいかなかったので、市販のソフトを使った。20ギガ以上あるので、時間がかかった。フリーソフトで移し変えた音楽データがどこかにいってしまったので、探して削除した。40ギガ分を削除するのにもずいぶん時間がかかった。

せっかくハードディスクを買ったので、まるごとバックアップを取ってみた。日曜の昼から、月曜日までかかった。そんなわけで、ここ数日の睡眠時間は極端に短い。本当に新しいパソコンが必要だったかどうかは、深く考えないことにする。

画面が17インチから15インチになったので、ずいぶん小さくなった気がする。この上は19インチなので、それでは今までパソコンを置いていた場所に入らないのであきらめた。値段もずいぶん違う。パソコンを買い換える度に、値段が下がる。パソコンそのものの値段も安くなっているが、自分がそれほどパソコンに執着しなくなっているせいもある。ほどほどに使えればいい。

お弁当は毎日持っていっている。検査数値がいいのも、このお弁当のおかげかもしれない。作るのも苦にならない。まあ、かなり手抜きだが。

今夜ははやく寝たいものだ。

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2008年6月 7日 (土)

いやいや、なんとか。

今だウツモードが続いていて、今回は長いなと思うきょうこの頃。仕事も遅刻したり、休んだりと情けないまま。きついぞ、ウツ。

映画には2回行った。仕事が終わってからだけど、まあ毎回映画を見るために休んではいません。少女マンガを原作にした「砂時計」は、長い原作を2時間にうまくまとめていた。さすがに若い客ばかりだろうと思っていたが、結構年配者やネクタイ姿のサラリーマンもいた。読者層が厚いのかと感じた。

もう1本は、「光州5.18」。1980年に起きた光州事件を題材にした映画だ。30年くらいの時間が経ち、ようやくこのような映画ができるようになった。民主化を願う市民を軍隊が鎮圧し、数百人とも2千人ともいわれる人々が殺された。韓国では済州島4.3事件、朝鮮戦争など、同国民同士での殺し合いが続いている。この光州でのできごともそうだ。平和に暮らしていた人々が、突然殺される。国側の理屈としては、「反共、赤の集団」を成敗するという軍事政権そのもので、しかし民衆側で決してそうではない。単なる一般市民が銃に倒れる。

韓国政府は言論統制をした。しかしアメリカの新聞が報道し、全世界に知れ渡った。まだパソコンなどがなかった時代だ。市民は「暴徒」と呼ばれた。映画はその市民の日常を丁寧に描いている。突然発砲する軍隊に、慄然とさせられる。軍隊とはそういうものなのだ。

この国でも同じようなことが起こらないようにしなければならない。まだたった28年前のことなのだ。

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2008年5月23日 (金)

この1週間。

日曜日には、久しぶりにロックのライブに行く。ロック・レジェンドという名前で、日比谷野外音楽堂であった。ここは70年代初めから何度ライブで通ったところか。今回は、その70年代に活躍していた「めんたんぴん」「紫」「頭脳警察」「ブルース・クリエイション」が出演した。

みんないい歳になっていたが、いったん音を出し始めると、年齢を感じさせなかった。やはり70年代の音は、自分の身体に染み込んでいるのを感じた。青空の下で飲む缶酎ハイは美味い。

頭脳警察の時は、みんなと一緒に立ち上がり、声援を送った。PANTAとTOSHIのバックは、「支援 陽炎」だ。最強の頭脳警察は良かった。今、この頭脳警察のライブをファン主体でやろうという動きがあり、それに加わっている。なんとか実現したいものだ。

月曜日は映画を見るために休んだ。若松孝二監督の「実録連合赤軍」が今週いっぱいまでの上映で、11時からしかやっていないからだ。3時間以上の長い上映だった。淡々と事実を描く。その事実とは、仲間による「リンチ殺人」だ。それぞれの内面はあまり出さず、行為のみを映し出す。森恒夫や永田洋子の内面を今更知りたいとも思わない。

重信房子の親友だった遠山美枝子だけは、丁寧に描いていた。最後のうめきは、無駄に殺されていった者たちを代弁しているようだった。浅間山荘での銃撃戦で、高校生だった元久が叫ぶ「勇気がなかったんだ」という言葉が、全てを語っているが、果たしてその言葉だけで説明できるのか。

当時、テレビに釘付けになり銃撃戦を見た者のひとりとして、その後警察が発表したリンチ死の全貌はショックだった。非常にうまい情報操作だった。新左翼運動に大打撃を与えたことは、言うまでもない。この作品は事実をありのままに描いたという点で評価できる。重すぎる内容だが。

続いて、同じ映画館で「たかだわたる的ゼロ」を見る。先年亡くなったフォークシンガーの高田渡を描いたドキュメント映画だ。飄々とした高田渡らしさにあふれる作品だった。

火、水と仕事に行く。身体はだいぶ復活した。体力はまだないが、なんとかなっている。水曜日は夜、また映画を見に行く。「砂時計」という少女マンガが原作の映画だ。退院してから、この原作のマンガを全10巻読み、映画も見たいと思っていたのだ。映画館には同じようなおじさんの姿もあった。長い原作を2時間にうまくまとめていた。たまにはベタな少女マンガの世界に浸るのもいい。

で、木、金と2日続けて休んでしまった。頭が痛み、身体が動かない。ウツがでたようだ。無理をせずに休んで、ひたすら寝ていた。まだまだよくならない病気だ。しかし今週は2日しか仕事に行ってないのは、まずいな。きょうは組合の大会もあったのに、ドタキャンした。挨拶の内容も考えていたのに、無駄になった。

そろそろしっかりしないといけないと思うのであった。病院からメールがきて、手術の写真を送ってくれた。かなりお腹の中というのは、グロテスクなものだ。アップしようと思ったが、やめた。

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2008年5月17日 (土)

社会復帰はしたけれど。

7日から仕事に出た。まだ身体にはきつくて、金曜日は休んだ。週末はゆっくりしていた。傷口はもう痛くない。お腹の中が痛むくらいだが、体力をかなり消耗してるのを感じる。

今週はどうかと思ったが、水曜日は休んだ。身体がきつくて、一日寝ていた。木曜日は2時間遅れで出勤。こんなペースが続くのだろう。幸い、職場は理解あってこんな様子でも、思いやってもらっている。

退院までは早かったが、身体の回復は別物だということを知った。臓器をひとつ取ったのだから、身体への負担は大きい。連休後にすぐ出勤せずに、しばらく安静にしておいたほうが良かったかもしれない。

傷口はほとんど目だ立たなくなっている。歩いても、お腹には響かなくなった。順調に回復はしているようだ。まだ左側を下にして寝ると、痛む。

それでも昨日は、仕事のあとで「70年代の日本のロック史を語る」講座に行った。終わったのはいつものとおり11時半だったが、楽しめた。フラワー・トラベレリング・バンドのギター石間秀樹がゲストだった。フラワーは72年頃、カナダから戻ってきて凱旋ライブを聴きに行ってからのファンだ。今年、同じメンバーで再結成するという。石間さんは90年頃に、シターラという弦楽器を自分で作り出し、それを演奏している。ギターとシタールをあわせたような楽器だ。夕べも3曲演奏してくれた。PANTAとはネイキッドのライブや、CDで共演してシターラを弾いている。

もう64歳だと言っていた。年齢には関係なく、熱く自分の思いを語っていた。「心から願って、行動すれば必ず叶う」と何度も言った。シターラも楽器製作者と何度も話し合って、演奏できるようにした。フラワーの再結成でも、この楽器を演奏するそうだ。いくつになっても、前向きに生きている人の言葉は重い。

明日は、ロック・レジェンドというライブが日比谷野外音楽堂である。「頭脳警察」「めんたんぴん」「紫」「ブルース・クリエイション」が出演する。まるで75年頃に戻ったようなメンバーだ。こういうふうに、いい年したおじぃたちが張り切っているのを見るのは楽しいし、自分への励みにもなる。若年寄りになってはいけないなあ。

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2008年5月 6日 (火)

連休もおしまい。

今年の連休は手術とその後の静養で終わりました。きょうは洗濯物を取りに行き、買い物をしてきました。まだ歩くと、お腹の中が痛みます。立ったりするのも、まだどこかに手をついてます。1日に手術をしたばかりなので、仕方ないか。

明日からのお弁当のおかずなどを買ってきました。しばらくはお弁当生活を続けようと思ってます。ご飯はまとめて炊いて、冷凍しています。おかずも冷凍食品を利用してます。

家でごろごろしながら、DVDを3本見ました。「めがね」「Little DJ」「オリヲン座からの招待状」で、みんな邦画です。みんなしみじみとできる作品でした。コミックは、「砂時計」10巻を読みました。少女マンガです。テレビドラマの再放送ではまって、原作を一気読みしました。初恋を成就するという少女マンガの王道ですが、丁寧に作られた作品で、おじぃでも楽しめました。

本はよしもとばななの新作「サウスポイント」を読んでます。よしもとばななは作品を発表する度に、上手になってます。ばななワールドに浸っているのは心地よいです。この作品のために、数年前からハワイアンダンスを習ってました。ブログでずっとそのことを書いていたのですが、作品というのはそうやって何年も温めていくものなのですね。

松浦理英子の「犬身」は、もう少し体調が良くなってから、読みます。途中まで読んでいるのですが、この人の作品は元気でないとついていけません。枚数も多いので、持っているのが大変という物理的な問題もあります。

さて、明日からまた仕事ですが満員電車に乗れるかが心配です。ぼちぼちとやっていくしかありません。体力回復には時間がかかりそうです。若くはない身体ですから。

心配かけましたが、なんとか生きてます。

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2008年5月 4日 (日)

退院しました。

1日に手術して、3日にはもう退院しました。担当医が来て、ばんそうこうをばりばり剥がして、「もう胆のうは心配ありません。あとは糖尿と高血圧の治療に専念してください」で終わり。荷物を紙袋に入れて、看護師さんたちに挨拶して、外に出ると雨。コンビニでかさを買うが、荷物が重い。結局タクシーで帰宅。家の近くのスーパーの前で降ろしてもらい、買い物をしてきた。

傷口はあまり痛くないが、お腹の中が痛むので、やはりそろそろと動くしかありません。立ったり、座ったりには、気をつかってます。でも夕べはお風呂に入りました。さすがにお腹を切らない手術は、術後の回復が違う。でも、痛い。じじいだから、回復力もおちているのだろう。なごみの子さんには「おじぃ」と言われたが、そんなには人間できてないと思う。

これは8日から長野に行くのは無理だな。7日から仕事に出るのもどうかというところです。無理しても仕方ないしなあ。内臓ひとつ取ったのだから、身体には大きな負担でしょう。

昨日、帰宅して早々田舎の母から電話があったのです。母の日用に新茶を贈ったのが届いたとの連絡でした。ついでに入院のことと、手術のことを話した。「退院してからのほうが安心だろうから」と言っておきました。心配性なので、どうすることもできなくても心配するから、黙っていたのです。

お医者さんから胆のうのCD-ROMをもらったのですが、何もデータが入ってませんでした。もう1回もらおう。胆石は乾かしてます。傷口は絆創膏だけで、自然に取れるまでそのままでいいですとのこと。次の診察も1ヶ月後です。こんなに簡単でいいのかという感じ。

病院ではごろごろしていれば、食事は出るし、掃除もしてくれますが、家ではそうはいかない。早速洗濯しました。食事も作って、食べてます。カロリーコントロールだけは、きちんとしないといけません。

いやいや、今年前半の大きなイベントになってしまいました。入院費は15万円ほどで、高額医療費控除が使えませんでした。手術費用が安くすんだようです。個室もいい部屋だったし、快適でした。看護師さんも皆親切でした。りっぱな職業です。「痛かったら、いつでも言ってください」と弱っている時に言われると、ほろりときます。お近づきになりたいものだ。

連休中は静養に勤めます。仕事は体調次第だな。いつからアルコールは解禁なんだろう。聞くのを忘れた。

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2008年4月29日 (火)

明日から入院です。

さて、いよいよ明日からまた入院です。今回は胆のうを取る手術をします。内視鏡手術なので、短期間の入院です。

きょうは入院準備の荷造りをしていました。2度目の入院なので、前回の荷物をまとめただけ。iPodと薬は大事なので、別のかばんに入れました。今回の病院は常用している薬を出してくれないので、自分で持っていかなければなりません。はしやカップも入れ、カップは亡くなった根田富美子さんにいただいたもの。ずっと大事に使っているものです。

今回の入院も糖尿食です。カロリー計算されたものが出るのですが、前の病院とどちらが美味しいか楽しみです。食事くらいしか楽しみがありません。手術当日は食べられないので、あとはどうなるのでしょうか。

手術当日はS先生とSさんに付き添ってもらいます。ふたりとも、30年来の友人です。こういう時にも頼りになるので、助かってます。麻酔をかけて、それが醒めるまで4時間から5時間かかるらしいので、ふたりでいないと時間がつぶせません。手術中に不測のできごとがあったら、その判断をしてもらわなければなりません。それもこのふたりなら、安心して任せられます。

世の中、ゴールデンウィークですが、今年は入院・手術で過ごします。まあ、こんな年もあるさ。手術給付金が入れば、関西に行けます。おこづかい帳さんのお店の開店祝いに行かなければなあ。いつ開店するのだろう。ずいぶん遅れてます。早く奈良のKさんの野菜をおこづかい帳さんのお店で食べたいものです。

日曜日は素敵な姉妹が来てくれました。足利の友人からトマトが届いたので、さっそくシャンパンを飲みながら食べました。どちらも美味しかった。「フランスのブルゴーニュの塩で食べると美味いと、Iくんが言っている」よという電話をもらいました。フランスの塩はなかったので、スペインの塩で食べました。友人が1年かけて作ったトマトは、なかなかのものでした。みんないい生き方をしているなあ。彼女たちにもお土産にしました。すごく喜んでくれました。

さて、忘れ物はないかな。

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2008年4月27日 (日)

4月のメーデー。

まずはわが身体の話から。今週もずっとお弁当持参で出勤した。偉いぞ、自分。早起きも続いている。水曜日と金曜日は、手術する病院で胆のうのCTを撮った。胆汁の流れと血液の流れを調べた。胆のうがすごく萎縮しているそうだ。「何度も炎症を起こしてますね。もっと早く手術をするべきでしたね」とのこと。「お酒を飲むと、時々胃が猛烈に痛んだのですが、あれは胆のうだったのですか」と聞いたら、「そうだ」とのこと。我慢できないほどの痛みだった。うーむ。検診でエコーを毎年撮っていたが、一度もそんなことを言われたことはなかった。

今はCTの写真をコンピュータで加工して、立体的な画像で見せてくれる。これにはびっくりした。胆のうが干からびた梅干みたいになっていた。苦労したのだねえ。手術は普通の胆のうなら1時間で済むらしいが、萎縮しているので2時間以上かかると言われた。肝臓からはがすのが大変らしい。失敗しないでください。万一の事例も聞かされた。一応危険なことも話しましたよということか。

糖尿のほうは木曜日に病院で検査をした。見事に全ての数値が下がっていた。γGPTは350くらいあったのが、55くらいになっていた。血糖値やヘモグロビンA1Cも手術OKの数値だった。全ては食生活なのだ。毎日ひじきなどを食べていればいいのだ。お弁当生活は続けよう。

で、続けられないのは禁煙で、「タバコは吸ってませんね」「いやあ」「全身麻酔は痰がすごく出るので、苦しいですよ。肺炎になる可能性も高いです」ときつく怒られた。なんとかしよう。苦しいのは嫌だ。

30日に入院して、1日に手術、退院は3日。内視鏡手術はすごい。連休が終われば仕事に出られる。8日からは長野に組合の会議で行く。大丈夫かという不安はあるが。別に仕事熱心ではないが、休む期間が短いので、この病院にしたのだ。

きょうは連合主催のメーデーだった。日本の労働運動を右傾化させた連合のおかげで、メーデーが5月1日から、4月の最終土曜日になった。参加者が増えたかというと、全くそんなことはなし。わが職場からはひとりのみ。どうしてと、おやじは思うのであった。メーデーは全員参加と若い頃に刷り込まれているからなあ。祝賀会もOBが目立つ。日教組委員長の挨拶も「若い人が入ったので、歴史を話そうと思ったのですが」という雰囲気だった。

我々、おやじどもがきちんと組合について、語ってこなかったからか。これならワーキングプアの人たちのメーデーのほうが元気があって楽しそうだ。なんと言っても相手は、「生きさせろ」がテーマだから、気合が入っている。組織労働者は自分の身を護るのが精一杯で、組合というものの大切さがわからない。それに対して、ワーキングプアの人たちはやっと労働組合の必要性に目覚めたから、思いもつかない行動を取る。それが新鮮だ。詳しくは雨宮処凛の本を読んで欲しい。非正規労働者の現状はひどい。このままでは数年後に大変なことになる。

こんなものだとあきらめてはいけない。どうにかしないとなあ。

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2008年4月20日 (日)

雨が多いなあ。

退院して1週間になった。金曜日まで毎日お弁当を持っていく。スーパーでお惣菜を買い、それをつめた。ひじきやいんげんの胡麻和えなどを小分けにして使った。冷凍食品もなすのしぎ焼きやほうれん草のお浸しなどがあるので、そういうのを選んできた。たらこは半額になったのを買い、何日かで食べた。ご飯は冷凍にしてある。

早起きの習慣が病院でつき、なんとか続いているのでお弁当も作れるわけだ。いつまで続くかは自分でも分からないが、とにかく手術までは続けようと思う。

金曜日に手術する病院へ行き、内科と外科の検診を受ける。内科では数値が下がった話をする。「インシュリンを使ったのですか」「いや、カロリー制限だけです」「じゃあ、食べ過ぎていたということか」「・・・」。手術OKの文書を主治医からもらってきて欲しいとのことで、来週行くので書いてもらうと返事をする。

外科は内科でOKがでれば大丈夫だ。「禁煙は続いてますね」「はい」「偉いですね」。つい、はいと言ったがまだ吸っている。嘘つきだ。手術までにはなんとかと思っているが。来週は胆のうの検査が2回ある。胆液を調べる造影剤検査と、血液の流れを調べる造影剤検査だ。

「あなたの胆のうは萎縮しているので、そういうのは腫瘍ができている可能性が高いのですよ」。えっと思う。そんな話は初めて聞いた。腫瘍というと、悪性を考えてしまう。ガン保険には入っているが、使いたくはない。気になることだ。

身体がだるいのは続いているが、ライブには行った。木曜日に横浜まで行ったのだが、ライブハウスの受付で「それは明日ですよ」と言われる。手帳には木曜日と書いてある。仕方ないので、予約したチケットを買い、とぼとぼと戻る。駅で偶然友人に会う。「痩せたねえ」と言われる。崎陽軒のしゅうまい弁当を買って帰る。

金曜日は、午前中仕事を抜けて病院に行く。午後は1時間早退して、また横浜へ。いったいいつ仕事をしているのか。始まる前に、バンドのメンバーから「体調は大丈夫ですか」と声をかけられる。今、このバンドのメンバーと温泉旅行をする計画を考えている。帰りは0時を過ぎてしまった。

昨日は後楽園に新しくできたJCBホールへ行く。最近は70年代からロックをやっているバンドが再結成したりするコンサートが多い。四人囃子とクリエーションのライブで、満員だった。コンサートに来るのは何年ぶりかというような、年配の人間が多かった。昔のように大騒ぎをするのではなく、静かに聴き入るという感じだった。入場料は8000円。70年代はこのバンドを100円コンサートなどで聴いていたのに。

今週も検査が続くので、節制をしなければいけない。空腹にはだいぶ慣れた。間食もしてない。「手術までこの数値を維持してください」と何度も念押しされている。仕方ないか。

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2008年4月17日 (木)

お弁当の毎日。

火曜日に無事社会復帰して、仕事に行った。手にはお土産のお菓子と、お弁当を持っていく。お菓子はお世話をかけたということで、職場用。自分ではもちろん食べず。この日のお弁当は片付け隊のひとりが作ってくれた。ああ、この片付け隊も空中分解してしまったのだ。

昨日、きょうと早起きして自分でお弁当を作る。ダイエット用なので、中身はひじきの煮たのとかいんげんのごまあえ、きゅうりとわかめの酢の物などなど。それにしゃけやたらこなどを入れたもの。ご飯は冷凍してある。

病院に2週間近くいたら、なんと早起きの習慣がついて、今週は6時台に起きている。だからお弁当も作れるわけだ。きょうは冷凍食品を使い、なすのシギ焼きとほうれん草のお浸しを入れた。こういう素材ものは助かる。少々値段はかかるが、手間を考えたら便利を取る。

今夜も帰宅してから、明日のお弁当の準備をした。しゃけを焼き、なすやほうれん草をチンしておく。朝はご飯をチンすればよい。おかげで下がった体重は維持している。

一昨日はペチュニアやアイビーを買い、プランターに植えた。花を育てていると、生活にゆとりがあるようでいい。ペチュニアはこれから長いこと花を咲かせてくれる。かなり丈夫なのも助かる。

今夜はライブがあると思い、横浜まで行くと、なんと明日だった。ライブハウスに行くまで、すっかりきょうだと思い込んでいた。手帳にもそう書いてある。とぼとぼと駅に戻ると、友人に会う。「うわー、痩せたねえ」と言われた。久しぶりに会うと痩せたのが分かるらしい。嬉しかった。

横浜駅でシュウマイ弁当を買い、帰ってきた。毎日ひじきの煮物ではあきる。たまにはいいだろう。やたら美味く感じた。間食もやめて、おしゃぶり昆布をかじっている。

食事を作りに来てくれた人と、洗面所を片付ける。火曜日は寝室を片付けて帰ってくれた。いくらかは整理できた。ひとりでは片付けられない男なのであった。

ただいま、洗濯中。やはり退院したばかりの今週は疲れる。でも、明日、明後日とライブだ。明日は昼間、仕事を抜け出して病院に行く。来週は4回も病院に行かなければならない。手術に向けて、検査が続く。

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2008年4月14日 (月)

退院しました。

昨日、無事に退院できた。荷物は前日ふたつに分けて送ったのに、まだ結構あった。退院してまず向かったのは洋品店。サスペンダーを買い、その場でつけてきた。自分ではかなり、傍目には少し痩せたので、ジーンズが落ちてしまう。生まれて初めてサスペンダーをした。

それから新宿の伊勢丹へ行く。S先生とSさんが退院祝いをしてくれるという。伊勢丹で美味しいお昼をごちそうになった。それからロイヤル・コペンハーゲンの喫茶店でお茶をした。やっと満足できるコーヒーが飲めた。

この3人がそろうと、遊ぶことしか考えない。退院したばかりというのに、荷物を持って新宿御苑に八重桜を見に行く。いやあ、今が盛りできれいだった。八重桜というのがあんなにも種類があるとは知らなかった。売店でだんごやビールを売っていたが、我慢、我慢。

S先生は大腸のポリープを取ったばかりなのでやはり飲めない。まだ精密検査が続いている。話題は奈良の岩井先生の安否についてという病気からみからは、抜けられない。Sさんは、「みんな具合が悪いし、私は入院している親を抱えているし、こうやって近場で食事して、すぐ行けるところに出かけるのが似合ってきたかな」と言う。そうか、そうか。

ダイエーで買い物をして、帰宅。12日ぶりの我が家は無事だった。冷蔵庫の中を片付け、洗濯をする。それから自転車に乗り、紳士服のアオキへ。ここ数年スーツを換えてないので、だいぶ痛んできた。久しぶりに新調した。2着6万円というのを、そんなに予算がないと言い、5万5千円にまけてもらった。痩せても、まだ体型はあまり変わらないので、腹周りに合わせると着丈や袖丈が長いので、直してもらうことにする。この直し代が結構かかる。仕方ないけど。

夜はCDを聴きながら、珈琲を飲み、本を読むといういつもの生活ができた。やはり家はいい。

本日も休み。診断書は2週間の入院加療と書いてあったのでまだ休めるが、明日から社会復帰する予定だ。

今朝も6時に起きてしまった。病院での生活習慣がまだ残っている。栄養士さんとの話で、朝ご飯を食べることを約束してしまったので、早起きをしなければいけない。できるかな。

本棚の位置を変えようとして、本が入ったまま本棚を動かしたら、壊してしまった。さすが安い本棚は駄目だな。まいった。だいぶゆがんだ。JR東日本は安くて、丈夫な本棚を売るように。安い本棚では何度も失敗しているのに、またやってしまった。学習しないなあ。

入院している間に松葉ぼたんが咲き出した。カランコエも大きくなり、咲いている。観葉植物も元気になってきた。さて、ダイエットに励むか。

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2008年4月 6日 (日)

入院5日目。

ようやくお見舞いに来てくれました。S先生とSさんのコンビが顔を出してくれました。ありがたいことです。
土、日は検査がないので暇です。午前と午後に血圧測定と検温があるだけ。日曜日は部屋の掃除もありません。
空腹にも慣れてきましたが、ガッツリと腹いっぱい食べたい気分は変わりません。でも、手術が終わるまでは我慢です。手術までにまた血糖値が上がったら、元の木阿弥です。
PANTAを聴いて、本を読むという至福の時間を大切に味わうことにします。
励ましのメールもありがとうございます。
そう言えば、病室から見える景色は新宿のビルばかりで、緑がない。山手線の電車の音がうるさいです。

きょうまでに読んだ本。
食堂かたつむり(小川糸)ポプラ社
埋もれる(奈良美那)宝島社
千日紅の恋人(ははき木蓬生)新潮文庫
ブルーもしくはブルー(山本文緒)角川文庫
拉致(金賛汀)ちくま新書
私という病(中村うさぎ)新潮社
全身当事者主義(雨宮処凛)春秋社

相変わらず軽い本が多いですが、今のところ外れは無しです。

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2008年4月 2日 (水)

行ってきます。

いよいよきょうから入院生活です。2週間で手術のできる身体になってきます。

栄養士さんの講義を受け、病院食だけを食べて、数値を落とします。腹が減るのは情けないけど、我慢、我慢。

仕事の心配は、みんながちゃんとやってくれるだろうから、心配なし。

病院から戻れば、ライブの日程がいろいろあるので、それを楽しみに空腹に耐えてきます。

ケータイは使えるので、そちらにも励ましのメールをください。

では、行ってきます。

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2008年3月31日 (月)

また日曜日の書き込みだ。

あと3日で入院だ。きょう、ようやくのことで荷造りをした。2週間分というが、着替えやいろいろなものを入れたら、韓国の東大門で買ったバッグがいっぱいになった。服は病院でレンタルすれば、簡単だ。下着がもう少しいるかな。洗濯しればいいか。などと、考えながら詰め込んだ。

本と任天堂DSのソフトも入れた。これが結構な量になった。「課長島耕作」のソフトも、きょうようやく見つけた。本は文庫本で読みたいのがなくて、ハードカバーを10冊くらい持った。「ドラゴンクエスト」の攻略本が厚くて、重い。

外出させてくれれば、時々家に戻り、着替えを持って来られる。特に治療というのもないので、少しは外出もできるのかな。そういう話はしてない。コーヒーくらいは飲みたい。

この2週間で数値を下げないと、手術ができないので、食事だけはきちんと病院食で我慢するしかない。腹が減るのは嫌いだけど、仕方ない。身から出た錆だ。

医療費控除の還付金の知らせが届いた。申告通りの金額だった。入院費の一部になる。旅行代も残しておかなければ。こちらは郵便局に入れておくのだ。来年も入院費や手術代でかなりの金額になるので、申告できる。医療保険で支払われた分は黙っているのだ。良い子はまねしないように。

今週末は絶好のお花見日和だったが、家で寝ていた。ここのところ身体がだるくて、週末はほとんど寝ている。昨日は一日寝ていた。きょうは洗濯物を出しに行き、そのついでに買い物をしたが、吐き気がしてすぐに帰ってきた。油物はダメみたいだ。

組合のことで、かなり大変なことが起こった。来年度も委員長なのに、面倒なことをしたのがいて、困っている。「・・・という話だけど、2日から入院するので、あとは頼む」と言ったら、ずいぶん不評だった。当たり前か。

入院中は暇だと思うので、この日記ももう少しは書く予定。でも、栄養指導の話などは面白くないだろうし、書くことがあるかな。

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2008年3月23日 (日)

桜が咲いた。

まずは入院話から。4月2日から入院する。実は胆のうを取る手術の事前検査で、血糖値とヘモグロビンA1Cが問題になった。「この数値では手術できません」とのことで、手術日程はキャンセルされた。仕方ないので、糖尿外来の主治医と連絡を取り、そちらで入院して血糖値などを下げることになった。この入院が4月2日からで、2週間くらいだ。

見事下がれば、4月末から5月上旬に胆のうを取る手術をする。今週もその手術のための検査がいろいろと入っている。職場にもだいぶ迷惑をかけることになってしまった。

検査はいろいろと続いている。その合間をぬって、19日は「70年代日本のロック史を語る講座」に出、PANTAに入院のお守りにするサインを書いてもらった。「堪能せよ!」と書いてくれたが、「堪」の字が少々怪しいのも愛嬌か。マネージャーのもりちさんにも「がんばってください」と書いてもらった。これは嬉しい。

20日はPANTA~響のライブ。開演前に外でタバコを吸っていたら、ギターの琢己くんも来て、「この間はいなかったじゃない」と言われた。「いやあ、体調壊して寝てた」と言ったら、「みんないい歳だから、仕方ないよね」との話になった。

ライブ後、近くの居酒屋でミニオフ会をした。35歳の新入りが来た。「俺はまわりにPANTAの話ができる人がいないので、こういうのは嬉しい」「みんなそうだよ」「いつから聴いているのですか」「うん、72年から」「俺はまだ生まれてない」

もう長老の部類だ。今週も横浜でライブがある。それに行くために、入院を4月にした。なにがあっても、楽しみが先だ。

きのうは身体がだるくて、一日寝ていた。きょうはファイナンシャルプランナーの継続資格試験を全くやってなく、6月に更新が来てしまうので、ネットでできる継続資格試験を一日やっていた。疲れたが、なんとか15単位を取得できた。できがわるいのは、子どもの頃からなので今更どうしようもない。ぎりぎりにならないと、勉強しないのも変わらない。

入院中はケータイから書き込みする予定だ。血糖値を下げるだけなので、まあ暇だろう。糖尿食でやせるだろうし、いいことだと思うことにしよう。

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2008年3月11日 (火)

東京大空襲。

忘れてはいけない日というのがある。きょう3月10日もそのひとつだ。

1945年3月10日未明、アメリカ軍のB29の大群が東京下町一帯を無差別爆撃した。たった一晩で10万人の民間人が殺された。丸く焼夷弾を落とし、次いで真ん中を爆撃し皆殺しを図った。木と紙でできた日本の家屋は、火に弱い。そこをねらったものだった。

ただしアメリカだけが日本を無差別爆撃したのか。否だ。日本軍は1938年から中国の重慶などで、世界で始めての無差別爆撃をし、1万人以上の市民を殺している。それを見習ったのが、アメリカだ。

今夜の朝日新聞に興味深い記事が出ていた。アメリカは重慶などへの爆撃を「国際法違反だ」と批判していた。日本はアメリカによる都市部への爆撃を「国際法違反」と在スペイン公使を経て、アメリカに抗議していた。しかしアメリカはそれを黙殺し、その3日後に東京大空襲を行った。その12日後にも再度抗議をしたが、それがアメリカ側に届いたのは、7月30日。1週間後には広島に原爆が落とされた。

国際法を根拠に相手を批判しながら、どちらも都市爆撃をエスカレートさせている。今でもイラクなどでは同じことが行われている。年を経ても、犠牲になるのは一般市民だ。

東京にはこの大空襲の被害者を追悼する公のものがない。石原都知事はそんなことを考えもしないだろう。しかし、革新都政の頃にも作られなかった。一晩で殺された10万の死者は、どこで安らげばいいのか。

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2008年3月 9日 (日)

のんびり生きていく。

先週は病院通いの日々だった。月曜日は四谷の病院の内科で血液検査をして総胆管結石と言われ、夜は代々木のクリニックで精神科の定期健診。ここで肋骨の上のほうが痛いと言ったら、肋間神経痛でしょうと言われたのだ。その時から結石の痛みがあったのだと今ならわかる。火曜日は前日と同じ病院で、内科と泌尿器科の検診。エコーで結石を見つけられ、手術と言われた日だ。泌尿器のほうは、前立腺がよくなっていたのであとは薬を1ヶ月飲んでおしまい。水曜日は大学病院で眼科の定期健診。こちらも異常なし。午後は整形外科で腱鞘炎を見てもらう。

3日間で6つの科にかかった。医療費がかさむ。整形外科はレントゲンで骨には異常なく、「腱鞘炎でしょう」と言われる。それはわかっているのに。添え木をしておくほかないですねとのこと。医者が両手で、左手を思い切り引っ張った。あまりの痛さに、うめき声が出た。気が短い人間なら、医者を殴っただろうと思えるような痛さだった。なんの意味があったのだろう。

水曜日は病院の合間に税務署へ行き、医療費還付の手続きをしてきた。今年はようやくパソコンで確定申告用紙を直接打ち出す方法がわかったので、簡単にできた。20万円くらい戻ってくる。借金返済に充てられる。100万円以上も医療費がかかったのでは、生活に支障が出る。今年は入院と手術でいくらかかるのだろう。ちゃんと聞いておかなければいけない。

医療保険には3つ入っているので、なんとかなる。ただし2つは古い保険なので、1週間くらいの入院では保険金が出ない。手術保険金だけだ。わが社のは1泊2日から大丈夫なので、入院と手術保険金が出る。たまにはこういうことがないと、保険に入っている意味がない。ちなみに胆のうを取ると、10万円になる。入院日額5000円なので、こんなものだ。

病気のデパートのような身体なので、今更新しい保険には入れない。古い保険契約のままで仕方ない。

身体は今のところ順調だ。「油濃いものは食べないように」と言われているだけだ。週末は家で大人しくしていた。入院日などは今週決まるので、まだなんの準備もしてない。短いので気は楽だ。本とケータイがあれば、時間がつぶせる。

しかし、さほど影響ないというが臓器ひとつ取って、大丈夫なのかという不安はある。なんとかなるか。気にしても、今更仕方ない。ネットで体験談を読むのもやめた。結構気になることも書いてあるからだ。

みなさん健康第一ですよ。

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2008年3月 5日 (水)

胆石その後。

仕事を抜け出して、病院へ行く。腹部エコーを受けた。ずいぶん時間がかかると思っていたら、30枚も写真を撮られていた。石は黒い影に写っていた。いつの間に、砂粒だったのが石になったのか。ガンではなかった。すい臓や肝臓などもきれいに見えた。肝臓が白い。「これは脂肪肝ですね」。りっぱな霜降り状態だった。まずそう。

昔は胆石の手術というと、石を取るだけだったようだが、それだとまた石ができてしまう。それなので、今は胆のうを取ってしまうそうだ。「開腹手術ではなく、お腹に4つの穴を開けて、内視鏡で手術をします」とのこと。それだと、身体に負担が少なく、5日くらいで退院できるらしい。

でもやはり全身麻酔なので、それなりのリスクはありそうだ。来週、糖尿病の定期健診に行くので、そこの主治医とも相談することにする。手術をする病院の医師とは、来週の金曜日に詳しい説明を聞くことになった。

あれよ、あれよと言う間に手術なんていうことになってしまった。これは不摂生が原因ではないので、仕方ないことだ。ネットで手術体験記を読んだが、やはり大変らしい。臓器を取るのだから、簡単にはいかないだろう。

ビリルビンは肝臓で作られ、胆のうはその倉庫みたいなものだ。だから無くても大丈夫なものらしい。油系の食事に気をつければいいみたいだ。

手術なんて、小学生の時に盲腸を取って以来だから、ほとんど初体験だ。さて、どうなりますか。

日程は3月はPANTA~響のライブがあるので、4月始めを考えている。病院の都合もあるだろうから、どうなるかはわからない。月曜日に入院すれば、翌日手術で、翌週からは仕事にいけるそうだ。気楽に考えよう。

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2008年3月 3日 (月)

3月になりました。

桃の節句。ワタシは仕事を抜け出して、病院へ。

実はここしばらく不調でして、さすがに病院へ行く気になったのだ。

「最初に右の肋骨の上が痛くなり、次は下の右が、ついで尿がコーラ色で便が白くなった」

「胆のうです。総胆管結石ですね。黄疸は出てないようですので、石はすぐに出たのでしょう。痛かったでしょう」

血液検査をしたら、γGPTが500以上あり、ほかの数値も高かった。肝臓も脹れていると言われた。確かに痛かったが、いつもあちこち痛くて、最近は痛みに慣れてしまっているので、耐えられた。決していいことではないだろう。

明日は胆のうのエコー検査をすることになった。石の具合では、手術もあるみたいだ。話をしていくと、典型的な胆石の症状だった。一番びっくりしたのは痛みではなくて、コーラ色の尿と白い便だった。さすがにやばいと思った。

みなさん、早期発見、早期治療です。

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2008年2月27日 (水)

あれやこれや。

先週は誕生日ウィークだった。花やプレゼントをたくさんいただき、みなさまのおかげでここまで生きてこられましたという思いでいっぱい。誕生日にはソムリエsayakaさんが料理を作り、D上さんと堪能した。シャンパンには天ぷらがよく合う。翌日はPANTAファンの方々と、浅草の神谷バーで電気ブランを飲んだ。これまた花をいただき、楽しいひと時を過ごした。金曜日は銀座で飲んだ。

そうしたら、胃がびっくりして久々の胃痛に苦しみ、土、日と痛み止めを飲んで寝ていた。歩いても、響く痛みで、おとなしくしているしかなかった。食欲もなく、土曜日はそうめんを食べただけ、日曜日もうどんを食べただけだった。

月曜日は午前中に病院に行く。いつも飲んでいるガスター20という胃酸の出を押さえる薬よりも強いのを処方してもらった。仕事に出ても、ヘロヘロ状態だったが、なんとか持ち直した。

全くリサイクルデーを迎えたというのに、情けない身体だ。

そんな状態でニュースを見ていたら、イージス艦が漁船を沈めていた。民間人を殺してどうする。なぜその場で救助しなかったのか。近くにいた漁船が無線で助けを求めていたのに、無視したそうだ。自衛隊って、国民を救うためにいるのではないのか。だから、そんな船に巨額の金を使うなというのだ。役に立たない自衛隊なんて、不必要なのだ。

友人と話していたら、老いた親を介護施設に入れたら月17万円もかかるという。別の人も、20万円くらいかかっていると言う。介護などで出る割引も入れて、そのくらいかかるそうだ。これは結構な負担だ。現実問題として、かなりの負担になる。それなのに、福祉のお金はどんどん切り捨てられている。我々の頃はどうなるのだろう。年金だけで、老人施設に入れるのか。もう他人事ではない。親の問題でもあるし、自分の問題でもある。貧しい国だ。これだけ税金を納めてきて、老後の保障がほとんどない。自己責任でなんとかするには、重すぎる問題だ。それでも選挙になれば、自民党に投票するのだから、国民も考えるべきだ。

家の中が花でいっぱいなのが、嬉しい。みんなありがとう。

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2008年2月18日 (月)

神保町は偉い。

日教組の監査が早く終わったので、神保町の本屋をはしごした。すると、なんと樹村みのりの新作コミックを見つけた。この人は75年頃に「月刊少女コミック」を中心に作品を発表していた。当時から寡作の作家だったが、「菜の花畑シリーズ」などは好きだった。何事もない情景をうまく描写し、時の流れが自然なところが気に入っていた。

80年代に入り、作品を目にすることもなくなっていた。「見送りの後で」朝日新聞社刊。84年、87年、06年、07年に雑誌に発表した作品がまとめられている。「星の住む人々」は76年に発表した作品をリメークしたものだ。当時の世相を背景に心の移り変わりが綴られている。

樹村みのりの新作を手にしたということが嬉しくて、帰りの電車の中でどきどきしながら読んだ。30年前と変わらぬ透明さを感じた。こういう人が息長く描いてくれるのは、愛読者としてとても感激することだ。

ついでに先日読んだ「モルヒネ」をコミックにしたものが出ていたので、それも買った。こうの史代「この世界の片隅に」も買った。「夕凪の街 桜の国」の作者だ。独特の世界観を持っている漫画家だ。カラーの色使いがとても好きだ。

ハイビスカスの花芽が毎日大きくなっている。いつ咲くのだろう。2年かかって、ようやく花が咲く。しっかり生きているのを見ていると、励まされる思いだ。花はいいなあ。

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2008年2月17日 (日)

一足先の春

友人からちょっと早い誕生日プレゼントが届いた。ピンクの花々の寄せ植えだ。ジャノメエリカ、花カンザシ、ピンクマーガレット、ミニガーベラ、グレコマ、ビオラ。一人暮らしの部屋が華やいだ雰囲気になった。

メッセージカードには、「地に足がついてますか」とあった。いやいや、歳を重ねてもふわふわした生き方しかできてない。古い友人ならではの、適切な言葉だ。

今年になってから、本を読むようになった。先月もかなりの本を読んだ。きょう読了したのは、「モルヒネ」安達千夏、祥伝社文庫。ジャンルといえば、恋愛小説だが、全体を貫くのは「死」の匂いだ。幼い頃、入水自殺した母、殺された姉、そして脳腫瘍で死を間近にした元彼氏。主人公はホスピスの医師だ。院長とは婚約者の関係にある。そこに現れるピアニストの元彼氏。話はそのピアニストを中心に描かれる。死を待つしかない者との、関係。婚約者との希薄な関係。家族との関係。

「死」を常に考えている者としては、なにか身につまされる内容だ。「時間差のある心中」という言葉にはっとする。

「生まれくる命を浮かせ護り育む水、そして死者を送る水、また、母が還ろうとした水。ヒデの暮らす街を流れる水路と、姉が見つめたちっぽけな住宅街の水。湧き水が山を下り、流れは集まって海へ注ぎ、大気中へ蒸発し雲を作りあめとなって大地へ染み込む。そうして循環する。生き物も、その途中にあって、水は、私の身体を通り過ぎていく。次々と、あらたに、そして、懐かしく。」

痛い思いを与えてくれる小説だ。

ベランダには鳩の糞がたくさん落ちている。エアコンの室外機の前が特にひどい。ほうきで掃きながら、ここは暖かいので鳩が集まるのかと納得した。床が汚れるのは困る。先日の雪の日には、プランターに丸くなってうずくまっていた鳩を見て、追い出す気になれなかった。まあ、いいか。

花と言えば、2年前になごみの子さんたちと行った沖縄で買ったハイビスカスの木に、ようやく花芽が付いた。だんだん大きくなっている。1本の棒が枝を伸ばし、葉を茂らせ、そして花を咲かそうとしている。生きてるんだなあ。植物から元気をもらっている。

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2008年2月15日 (金)

2月も中旬だ。

3連休の話。金曜日は福岡から上京してHIROMIさん宅に居候しているRosieさんと3人で、歌舞伎町の「黒鳥の湖」に行く。ニューハーフのショーパブだ。久しぶりだが、やはり面白かった。Rosieさんはステージの上がり、踊っていた。客人が楽しんでくれると嬉しい。その後、区役所前に行く。パランセが閉店して、多国籍料理店になっていた。ゴーヤチャンプルー、チジミ、生春巻きなどがいっぺんに食べられる。

土曜日は雪を見ながら、ひれ酒を飲む。今年は雪が多いなあ。ふぐは美味い。

日曜日は田舎に帰り、母親の顔を見てきた。背中の圧迫骨折が痛いと言う。痛み止めが効かないのは辛い。年なので強い薬が出せないらしい。あまから屋でのっけライスを食べて、帰る。

月曜日は「ねの国誕生祭」。聖跡桜ヶ丘まで行く。その前に新宿でHIROMIさんとRosieさんと会い、ご飯を食べる。PANTA~響を聴きに行ったのだが、そのほかにも地元バンドがたくさん出るので、それまで買い物したり、お茶をして時間をつぶす。セットリストからは3曲カットされていた。時間が押していたらしい。無理やりやらないのも、PANTAらしい。

充実した休みだった。仕事には遅刻するが、遊ぶ時は元気だ。それでいいのだ。今月になってから、ある仕事の件でN島くんにも会った。仕事には厳しい人柄がよく現れていた。そうでなければ、収入はよくないぞ、と。

PANTAのライブ会場で、追っかけ仲間からチョコをいただく。素直に嬉しい。きょうもいくつかもらった。いい歳をしたおやじでも、バレンタインデーのチョコをもらうというのは気分がいいものだ。

右の肋骨の脇がずっと痛い。内臓なんてこの場所にあるのかな。押すともっと痛む。腱鞘炎も痛いままだ。長生きできるかな。

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2008年1月31日 (木)

生きなければ。

職場の同僚が亡くなった。32年の付き合いだった。勤続33年、2ヶ月後には定年退職だった。一人暮らしのため、発見が遅れた。それで死因も死亡日も不明のままだ。

亡くなる数日前にお茶を飲んだ。世間はなしをして別れたが、定年後の生活を楽しみにしていた。きちんと生活設計をして、再就職もせず、好きなことをして暮らすと言っていた。

数年前に心臓で入院したので、死因もそうだとは思うが、部屋の中で事件性もなく亡くなっていたため、解剖もしなかった。

お通夜で顔を見るかと言われたが、最後に行き会った時の笑顔を覚えておきたかったので、そのまま失礼した。

ワタシが下北沢に住んでいた時に、よく遊びに来た。パジャマに着替え、「おい、風呂に行くぞ」と連れ立って出かけた。ポテトの店や、カレーの店に寄って帰ったものだ。競馬が好きで、馬券を一緒に買いに行ったりもした。田舎の家にも来てもらったことがある。そばにいるだけでほっとするところがある人だった。みんなに慕われていた。

この年になると、そういう人との別れが多くなる。仕方ないのだろうが、ずいぶんと寂しいものだ。時々ふいに「ああこのことをあの人と話がしたいなあ」と思うことがある。

どんなに苦しくても、生きなければいけないのだなと思う。

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2008年1月18日 (金)

13年目の1.17。

13年前の1月17日午前5時46分に阪神地方を中心に大地震が起きた。死者6434名。6434名分の人生が突然消された。その人たちにつながる多くの人たちにも、心に大きな傷を残した。

あの日は風邪で仕事を休んでいた。テレビをつけると、異様な光景が広がっていた。刻々とひどくなる状況に見入った。数日後、仕事で神戸へ行った。関空から船でメリケン波止場に着いた。港は大きく陥没し、車が数台波に洗われていた。高速道路は段違いになっていた。歩いて、教育会館へ行く。状況視察ということだったが、どうすることもできない現場だった。その夜、神戸市内を歩き回った。真っ暗だった。救急車両のサイレンが一晩中鳴り響いていた。三宮は立ち入り禁止になっていたが、誰もいなかったので商店街を歩いた。ビルが支えあうように傾いていた。生田神社は屋根だけになっていた。翌日、自転車を借りて市内を見て回った。家は崩れ、土饅頭になっていた。その上で記念写真を撮るバカどもがいた。子ども部屋だけが見え、机の上に整然と並んでいたコミックが妙に生々しかった。長田区は空襲の焼け跡のようだった。焼け野原になっていた。コンクリートのビルだけが、残っていた。道路1本隔てただけで、崩れた家とそのまま生活している家があり、印象的だった。

忘れてはいけない光景だった。6434名の痛みを忘れてはいけない。今、神戸は復興したようにも見えるが、長田区へ行けば多くの空き地がある。そこにこの地で死ななければならなかった人々の無念さを感じることができる。

1月17日が来るたびに、同じことを語っていこうと思う。

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2008年1月15日 (火)

連休の過ごし方。

12日(土)は片付け隊のひとりが来てくれて、CDやDVDなどを片付けた。カーテンも洗った。そういえばカーテンは長いこと洗ってなかったので、乾燥させたらずいぶんきれいになった。レースのカーテンは買い換えた。部屋が明るくなったような感じがする。

JR東日本の通販で買った本棚が届いた。やたらと重い。部屋の中へ入れるのに、宅急便の人が手伝ってくれた。はたしてひとりで組み立てられるのだろうか。

夜は成増で友人に会う。久しぶりに一緒に飲んだ。数年前に派遣で来ていた人だ。なぜか、交友関係が続いている。オーストラリアへ遊びに行ったということで、カンガルーのジャーキーをもらった。まだ食べてない。前に職場の同僚からワニのジャーキーをもらったが、あれもオーストラリア土産だった。不思議なものを食べている国だ。

一日雨が降っていたが、夜には止んだ。家に帰り、DVDを本棚に入れなおした。やはり手元に置いておきたい。片付け隊員はもう寝ていた。

13日はカーテンを買いに行った。居間の窓ははめ込み式の窓が付いているので少し大きい。150センチと100センチを買う。ついでに職場で使う座布団も買った。真ん中に穴が開いているドーナツみたいな形をしている。

14日は足利へ帰った。高校の同級会だ。足利高校は3年間クラス替えがないので、同じメンバーで3年間を過ごす。しかしだ、人の顔と名前を覚えられないのは生まれつきなので、このクラスでも知らないというか覚えられないままだったのがいる。今回はFくんの家でそばを食べるという趣向だった。クラス委員長だったSくんがそばを打った。彼はある日、そばに目覚め、そば打ちを極めつつある。段も取った。今では養老院などへの慰問もしているらしい。会社でもそばを打っていると言っていた。36年ぶりにIくんにも会った。高校時代、どんな顔をしていたのか忘れた。「俺だよ、Iだ」と言われ、名前は覚えていたので、ああそうかと思った次第だ。彼は会社務めを辞め、家業の農家を継いだ。今はトマトを主に作っている。年収を聞いたら、かなりの金額だった。そのかわり、休みなどはないらしい。5月の一番美味い時期に採れるトマトを送ってもらうように頼んだ。

10名ほどが集まったが、皆、我よりも偉く思えた。みんな必死に50年以上生きてきているのだなあ。それぞれの人生がいい具合に顔に出ていた。

同級会がお開きになってから、実家に顔を出した。母が「背中がまた痛い」とうなっていた。「病院で今の症状を正確に伝えてくるように」としかいいようがなかった。また背骨が折れたのか。奈良のI先生も同じ症状で入院している。同じ年齢なのだ。3時間ほどして帰る。

あまから屋へ寄った。もう店は閉めていて、源さんがひとりでいた。ひさしぶりにゆっくりと、いろいろなことを話した。自分の店を出して30年になると言う。自力で30年商売をしてきたわけだ。ここにも偉い人がいる。源さんに初めて会ってから、もう35年以上になるのか。長い付き合いになったものだ。駅まで車で送ってもらう。「帰ってきたら、必ず寄れよ」という言葉が嬉しかった。

きょうはなぜか、ため息ばかりの一日だった。まあいいさ。それもまた人生だ。

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2008年1月 9日 (水)

新学期始まる。

実際は4日が仕事はじめだったが、年末に「4日だけ1日出てもまた休みだから、休みにしよう」という声が出て、職場を休みにしてしまった。それなので、今年は7日が仕事初めだった。おかげでのんびりできた。

昨日はたまっている仕事を大急ぎで片付けた。で、4時から新年会。仕事収めの時も少し飲んだが、つまみが寂しかったので、今回はピザや寿司を取った。ビールも買いに行き、新年早々の飲み会となった。実はずっとピザが食べたかったのだ。それで独断でピザを頼んだ。こういうのは突然食べたくなるものだ。主治医に言ったら、禁止されてしまうものが食べたいものなのだ。

初日から酔って帰宅。うたた寝が心地よい。ホットカーペットはぬくくていい。買い直してよかったなあ。

新年になっても、仕事内容が変わるわけではない。また同じ仕事を毎日黙々と続けていくのだ。左手の腱鞘炎は日ごとに痛さを増して、今や結構痛い。添え木が必要なのも理解できる。手首だけテーピングしていると、親指が動いてしまい、それが痛いのだ。手の甲はしびれている。

足がつるのは、回数が減ってきた。これはよいことだ。運動不足と関係があるのかもしれない。今年はせいぜい歩くことにしよう。やせないといけないしなあ。太っているのは、自己管理ができてないからだなんて、はっきり言われては、立つ瀬がない。好きで太っているわけではないが、自己規制ができてないのはあたっているので、言い返せない。明日は膀胱の検査に行く。あちこちにガタがくる年齢になった。ガンの検査もしてくれるので、なんともなければ安心できる。

今週末はまた連休だが、高校の同級会をやるそうだ。Sくんがそばを打ってくれるそうなので、田舎に帰ることにした。10名ほど集まるのだとか。みんないいおやじになったことだ。男子校だったので、楽しみは少ないが。年賀状を見ても、みんななんとか生きているみたいだ。「お前が一番気楽な生き方をしている」とか。はいはい、そのとおりでございます。人生も半分以上を過ぎて、なんのいまさらあくせくする必要があるのか。

ただし、年末ジャンボも見事にはずれ、なかなか生活のめどがつかない。これだけはなんとかしないとなあ。困ったことだ。定年を迎える人たちを見ていると、きちんと人生設計をしていたことに気づく。素晴らしい。その日暮らしをしている人間には考えもしなかったことだ。友がみな我より偉く見える日よというやつだ。うーん、どうしよう。

新年会は2月2日の18時から、富士見台の焼肉屋さんで行うことになった。みなさんよろしく。

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2008年1月 6日 (日)

焼肉は神戸だ。

今年の初旅行は神戸だった。4日、新幹線に乗り西を目指す。お昼に新神戸着。1時にある人と待ち合わせ、お昼を食べに行く。ガイドブックは神戸B級グルメの達人芝田師匠の「神戸ぶらり下町グルメ」という本だ。元町近くの友屋を選んでおいてくれた。中華のお店だ。牛ばら肉のチャーハンを食べる。美味い。神戸には南京町があるが、本格的に食べたいなら駅の北側がいいそうだ。この店も小さいが、本格的な味が低料金で食べられる。ビールも飲んで、新年の会食をする。用事があるので、その人とは1時間でお別れ、でもそれでもいいのだ。

夕方までドンキホーテなどで時間をつぶす。5時におこづかい帳さんが大阪から来てくれた。ふたりでJRの高架下の商店街をひやかしながら歩く。結局、三宮から兵庫駅まであるいてしまった。結構な距離だが、歩けるものだ。今年はせいぜい歩くとしよう。

まだ予定の時間まで少しあるので、駅近くの立ち飲み原屋酒店に寄る。焼肉大王夫妻に会う。1年の内、100回は焼肉を食べ歩いているという人だ。それを丹念にブログに書いている。お連れ合いはチャーミングな方だった。あら搾りを飲み、粕汁を食べる。冷えた身体が温まる。

さあ、目指す焼肉店ポッサムチムだ。すでにばーどさんが待っていた。きょうから仕事なのに、付き合ってくれた。ばーどさんに新年から会えて、嬉しい。おまかせにする。まだ屠場が休みなので、生はタンくらいだったが、肉はいろいろな部位を食べられた。東京ではこうはいかない。味付けも肉の種類により、わさび、塩、ゆずこしょうなどが出てくる。出てくる肉にいちいち「美味い」と言ってしまう。なるほど、あのおこづかい帳さんが肉を食べたくなったら、ここへ来るというのがわかった。感動ものの味だった。

ばーどさんはきちんと写真に撮っていた。そのうちmixiに載せてくれるだろう。「焼肉は神戸」だ。満足して、ホテルに戻る。マッサージを頼み、60分ゆったりとする。腕のいい人だった。そのまま寝てしまった。

翌朝、シャワーを浴びバイキングを食べる。少しゆっくりしてから、生田神社へ初詣に行く。朝からすごい人出だ。お賽銭ぽんと投げて、お願いごとの多いこと。厄除開運のお札、旅行安全守、恋の花咲く守などを求める。おみくじはなんと「大吉」だった。今年はいいことがあるかな。この神社の巫女さんはみんな可愛かった。えまいちゃんに会えなかったのが残念。

元町まで歩き、南京町へ行く。ここもすごい人出だ。豚マンを食べながら、ぶらぶらする。どの店も店先に屋台を出している。そこでいろいろなものを買って、皆食べている。ここは気分を味わうところだ。

さて、南京町まで来たのだからと、メリケン波止場まで行ってみることにする。震災後すっかりきれいになった。震災の爪あとを保存してあった。あの時、ここには車が何台も海に浮いていた。高速道路は段差ができていた。すっかり陥没した港から、関空に行ったものだ。そういえば、生田神社も屋根だけ残り、社殿はつぶれていた。そんなことを思い出しながら、しばらく海を見ていた。

元町、三宮は震災があったことがわからいくらいに、見事に復興したが、長田区へ行けば今でも空き地がたくさんある。被災者連絡協議会の河村さんに会えばよかったなあ。

帰りの新幹線の中で、koさんから電話があった。「今、ぐらしあさんと新年会をやっているので来て」とのこと。練馬へ急ぎ、お二人に会う。久しぶりに会うぐらしあさんはずいぶん元気になっていた。当面の日程を確認するが、今年もあちこち出かけることになりそうだ。新年会は富士見台の焼肉屋さんに決定。

みなさん、「焼肉は神戸」です。

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2008年1月 2日 (水)

あけおめ。ことよろ。

あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

天気もよく、すがすがしい新年となった。お節を大皿に並べ、お雑煮を作る。お節は新潟から取り寄せた海鮮お節だ。昨年気に入ったので、また頼んだ。肴が主体の内容で、お値ごろ感がある。田舎の両親にも送っている。

ビールを飲みながら、お節を食べる。BGMはまず、ビートルズの「サージェント・ペパーズ・ロンリーハーツ・クラブ・バンド」だ。中学の頃からだから、もう40年近く音楽の聴き始めはこのアルバムからだ。それから、PANTA、キース・ジャレットなどなど、ずっとCDを聴いていた。今はマイルス・デビスが流れている。

年賀状を読む。たくさんの人が、元旦に届くように書いてくれた。この人間関係を今年も大事にしようと思う。果たして、自分の書いた年賀状はきょう届いたのだろうか。

ケータイメールでの年賀も届く。これは、夜中からだ。

そう紅白歌合戦をちゃんと見た。今年は出演者もよく、飽きずに見られた。しょこたんにリアディゾン、米米クラブ、aiko、それにZARDもビデオで出た。美空ひばりまで出た。生演奏とVTRを重ねるというのは面白い。寺尾聡のバックで、PANTA&HALにいた天才ギターリスト今剛も見られた。ずいぶん老けたが、長ロングヘアーは健在だった。一青窈が手話入りで「はなみずき」を歌ったのが、一番良かった。いい歌手だ。

途中でそばをゆで、年越しそばを食べる。海老天は3本だった。よば湯も飲んで、満足。年が明けてから、ケータイメールで、年始の挨拶をあちこちに送る。

今年はどんな年になるのか。健康第一だ。がたがたなこの身体、なんとかせねば。腱鞘炎が痛くて、こうしてパソコンを打っていても、痛むようになった。手をねじると痛みが走るので、物を持つのが難しい。お正月から情けない。膀胱の精密検査もあるし、今年も医療費がかかりそうだ。

午後はCDを聞きながら、矢島正雄と弘兼憲史の「人間交差点」を読む。漫画だが、へたな小説よりも人間の生き方を教えてくれる。全19巻の内、半分くらい読んだ。

ホットカーペットが壊れた。明日、新しいのを買ってこよう。床がフローリングなので、寒いのだ。今年こそ節約しないとなあ。

今年もよろしくお願いします。

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2007年12月31日 (月)

今年もあと3時間。

23日に「ましろ亭望年会」を開いた。ウノ・カマキリさん、D上さん、koさん、N木さん、electro sayakaさん、ぴやのさんが参加してくれた。メインはチーズ・フォンデュに、カニしゃぶ。久しぶりにウノさんが参加してくれて、楽しい会になった。

24日は、恒例の「UNTI  CHRISTMAS」ライブだった。ANTIのスペルを間違えたPANTAが、そのままで毎年やっているライブだ。陽炎は今年の聞き納めだった。4時間以上立ったままだったが、楽しい時には腰も痛くならない。

25日はクリスマス。日比谷公園で日本一高いクリスマスツリーとイルミネーションを見て、新宿の高層ビルで夜景を見ながら食事をした。生きていると、いいこともあるなあと感じたひとときだった。

27日はPANTA~響も出たライブへ行った。本八幡は遠かったが、今年のライブ聞き納めだったので、仕事が終わるとすぐに向かった。花田と演奏した「PISS」は、最高だった。今年はPANTAを何回聴いたのか。6月から始まった響の「オリーブの樹の下で」ツアーだけでも14回行っている。18歳からライブに通っているが、1年でこんなにも聴いたのは初めてだ。PANTA自身これほどのライブをやったのは初めてなので、当然か。このツアーは、福岡のchikaさんがファンから文章を集めて1冊の冊子にしてくれた。これは素敵な記念になった。写真も載っているが、みんなはPANTAと琢己くんとのショットだ。ワタシだけ事務所の森千江子さんとのツーショット写真で、森さんファンとしてはいい思い出になった。

28日は仕事収め。ちゃんと1年働いた。今の部署に移ってからは、精神的にも安定していて、実に好ましい。右肩下がりの人生をおくり出してから、もう10年くらいになるが、それを実践できる職場にいられるというのはいいことだ。

29日は田舎に帰り、母親の顔を見てきた。退院してから初めて会うのだが、思ったよりも元気そうで安心した。両親とも年老いたが、まだふたりで暮らしていけるのは幸せなことだ。友人たちも同じような心配をする年齢になった。世代が変わりつつある。でも親にはいつまでも生きていて欲しい。

30日はお正月の買い物などをしていた。暮れの雨は珍しいのではないか。そうそう年賀状は29日に全部出した。これも珍しい。まあ、今年初めて住所をエクセルに入れ、それを年賀状ソフトに入れ込んだので、あとはプリンターまかせで終わった。年賀状の枚数が昨年よりも増えたことに気づかず、印刷枚数が足りなくなった。仕方なく職場のコピーを使った。今はカラーコピーもきれいにできる。コピー機を入れる時に、カラーも使えるのにしておいて正解だった。

31日。早い1年だった。3月に大事な友人を亡くした。職場の同僚であり、友人であり、市民運動の同士だった。無念のひとことだ。

あと2時間で新しい年となる。来年はどういう年になるのだろうか。小さくてもいいから、「幸せだ」と思えることがたくさんあるといい。

最後に病気のことを。腱鞘炎は毎日添え木をしているが、痛みは増している。3週間で直るのかと不安あり。前立腺の検査をしたが、異常なしだった。こちらは一安心。ガンのマーカー検査もしてもらった。年明け早々、膀胱の検査をする。糖尿病は数値が上がっているので、来年はきちんとした生活をすることで正常値に近づけたい。まだまだ死ぬわけにはいかないのだ。

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2007年12月21日 (金)

生きてます。

今年もあと1週間くらいになってしまった。本日、ようやく年賀状を印刷に出す。果たして、年内に間に合うのであろうか。毎年同じ印刷屋さんに頼んでいるのだが、昨年の年賀状の代金を支払ったのはつい最近のことだ。これはいけないと思うのだが、毎年同じことをしている。来年の年賀状も手抜きで、年賀状ソフトを使った。使い方がよくわからないままなので、シンプルなものになった。あて先もエクセルで作ってあったのを、そのソフトにぶちこんだ。手書きの年賀状を書いていたのに、こういうふうになったのはやはり年を取ったせいだろう。と、年齢の仕業にしてしまうのだった。

ここしばらく、左の手首が痛くて、それもだんだんひどくなったため、職場の近くの整形外科に行ってみた。医者はひとこと「腱鞘炎です」とのこと。「パソコン使ってますか」「毎日」などという会話をした。でも左手だよなあ、それも親指なんて使わないしと思った。添え木を当てられ、テープで固定された。「こうしておけば、3週間くらいで直ります」と言うではないか。多少不便でも我慢するか。ついでなので、足がつることも話して、漢方薬をもらった。「つったら飲むように。5分くらいで効きます」。足がつっても、5分も我慢すれば直るぞ。まあ、いいか。

きょう、あることをしていて気づいた。ケータイのメールを左手で打っている。親指を使っている。これはケータイメールの打ちすぎか。「そうですよ。右手でパソコンを打っていて、左手でケータイを使っていますよ、いつも」と派遣の人に言われた。世の中はケータイのおかげで腱鞘炎になるようになってしまったのだ。先進的な爺いだこと。はい、皆さんもケータイのメールはほどほどにしましょう。

ケータイを買い換えた時に、保存してあったメールが5ヶ月で1500通もあったのはこういう結果になるのであった。1日、何通くらいのメールを打っているのだろう。ここしばらく、かなりの頻度でメールを打っているなあ。

仕事ではパソコンにデータを入れる毎日だ。それをやりながら、ケータイを使っている。その昔、右手に朝日ジャーナル、左手に平凡パンチという言葉があったが、今では右手でパソコン、左手でケータイだ。

ここ数ヶ月、久しぶりに「恋愛」モードに入っているので、メールを打つ回数も多い。それで腱鞘炎か。甘酸っぱい腱鞘炎だこと。仕事と関係ないのが、らしいなあ。

今年の多いものとしては、PANTAの追っかけがあった。PANTA~響ツアーの感想文を頼まれ、参戦回数を数えたら14回もあった。6月からの半年の数字だ。バンドの回数は入ってないので、実情はもっと多い。忙しいわけだ。19日も重信房子の控訴審救援集会に行き、PANTA~響を聴いた。何度、聴いても新鮮で熱くなれる。控訴審は「控訴棄却」だった。ハーグ事件には何も関与してないのに、国家権力は認めようともしない。ドイツを見習って欲しいものだ。70年代の活動家を、どんどん政府に登用しているではないか。

まあ、そんなことをやっている間に母親が倒れ、入院した。今は退院しているが、もう年なので心配だ。ぐうたら息子のほうが、よほど心配なのだが。明日、顔を見に行く予定。それくらいしかできない。なんの役にも立たないのだ。

はい、そんなことをして生きてます。とりあえず、1年生き延びた。

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2007年12月 5日 (水)

12月になりました。

11月23日からの3連休で、あちこちに行きました。23日は羽田から飛行機に乗り、小松空港へ。電車とバスを乗り継ぎ、福井の東尋坊へ久々に行く。ずいぶんと整備されてしまい、下まで簡単に降りられるようになっていた。自殺者への立て看板もなくなっていた。海鮮丼を食べる、サザエやはまぐり、いかなどを焼いて食べる。潮風を感じながらの食事は美味しかった。タクシーで永平寺へ。たくさんの観光客がいた。広い永平寺の中を見学する。お香とお守りを買う。おろしそばが美味い。止まりの近くにある宿屋。ひなびていてこれもいい。

翌日は小松ちかくにある那谷寺(なたでら)へ行く。古びたりっぱなお寺だった。ここも紅葉がきれいだった。小松駅でS先生と合流して、金沢へ。またおそばを食べる。10割そばだった。武家屋敷を見学し、公園を歩く。吹きたまった枯葉で、子どもたちが遊んでいた。3時半に皆と別れ、名古屋を目指す。

名古屋から知立へ。熟女のお迎えを受ける。3人で夕飯を食べに行く。老舗のうなぎ屋さんだ。ここは二段重ねになっている。いったん、ホテルに戻っていたらウノ・カマキリさんから電話がかかってくる。ウノさんが泊まっているホテルへ行き、3年梅組の皆さんと飲み会になる。お開きのあと、ウノさんの同級生がやっているスナックへ行く。

翌日は、大阪からおこづかい帳さん、神戸からばーどさんが知立へやってきた。午後から、やなせたかしさんが「知立は知立(ともだち)」の歌の発表会があるのだ。アンパンマンショーもあり、大人でも楽しめた。やなせさんは88歳だ。その人が1時間半、歌い、踊り、話をして、ショーを進めていく。素晴らしい年の重ね方だ。感動してしまった。

終了後、名古屋へ行く。怪しいおすし屋さんに、連れて行ってもらう。こういうところはおこづかい帳さんの独壇場だ。セクハラ巻きや、松田聖子巻きを食べる。6時半の新幹線で帰京。

月曜日はまた羽田にいた。北を目指す。札幌で仕事があるのだ。日教組の監査の仕事。無事終え、懇親会は鍋だった。8時終了、すぐに別の店に急ぐ。知り合いが待っていた。久しぶりに会う。というか、ふたりで会うのは初めてだ。蟹尽くしをいただく。話もはずみ、楽しい時間を過ごす。翌日は午前中の飛行機で東京に戻り、職場に行く。お土産は蟹。仕事が終わってから、皆で食べた。

そういえば、その前の週は大分へ行き、臼杵でふぐを食べていた。あちこちをぶらぶらし、結構疲れた。

しばらく、このブログを書かなかった間はこんな生活をしてました。今年もあちこちに行ったなあ。満足だ。

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2007年11月30日 (金)

すみませんです。

元気です。仕事は遅刻しても、遊んでます。でもこのブログの更新はなまけてます。Iくんから、心配メールまでいただきました。近日中に復活します。お待ちください。

11月23日から、27日まで日本のあちこちをうろうろしてました。今週は疲れて、つらいです。でもまだ起きていたりして、もう寝ます。

きょう印刷屋さんに昨年の年賀状の印刷代を支払いました。こんな生活をしてます。足は相変わらずに、つってます。マグネシュームを飲んでます。まだ効きません。

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2007年11月 7日 (水)

新しいリンク先

トップページの似顔絵の下に、「トラベルサポート空」の広告を入れました。西木さんという素敵な女性がひとりで経営している旅行代理店です。専門は海外ですが、国内旅行も取り扱っています。例えば、出張などの手配などもします。海外ではブータンなどが得意です。きめ細かいサービスを心がけていますので、どうぞご利用ください。もちろん団体旅行なども扱っています。お安いですよ。

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2007年11月 6日 (火)

おお、11月だ。

風邪引いて、歳のせいかぐずぐずとはっきりしない日々。先週は仕事を休んでしまった。でも午後は定期健診に行った。ヘモグロビンA1Cが7.1にもなっていた。5月には5.8で、「薬を減らしますか」だったのに。

「生活は何も変わってませんが」「寒くなると、新陳代謝が悪くなるので、意識して体を動かさないといけないのです。運動してますか」「してません」

しかし、ラーメン類も断っているし、なんで数値が上がるのだろう。油ものも控えているのに。確かに体は動かしてないけど、腑に落ちない。肝臓の数値なども上がっている。不思議なことよ、人の身体は。

健康診断の2次検査は来週。異常Q波の検査は、エコーと24時間心電計をつけることらしい。心臓はいつも異常なしになるので、あまり心配はしてない。異常Q波の人って、多いみたいだし。でも検査は心筋梗塞(疑)よりは悪いらしい。どんどんぼろぼろになるこの身体。

そんなことも忘れ、先週の土曜日は久しぶりに「ましろ亭宴会」をした。すっぽん鍋とカニ鍋を食べに来たのは、フリーの編集者、旅行代理店経営者、歌手、役者、クリスチャンという多彩な面々。初めての参加者3名は、みんな若い女性だった。楢喜八さんが仕事で来られずに、「若いエネルギーはいい」と残念がっていた。

で、あまりの部屋の状況にあきれたお方が、部屋の整理をしてくれることになった。整理できないのは、性格的に何かあるのではないかとまで言われた。返す言葉無し。よろしくお願いします。

雨宮処凛さんが社会新報(社民党の機関紙)に、10.21京都集会のことを書いていた。全文はmixiにアップしたが、「反戦爺がんばれ」という内容のもの。そうか、30代から見たら、もうワタシも爺の仲間入りなんだと、深く考え込まされてしまった。

反戦爺の仲間入りをして、これからも歳にかまわず、「反戦」を叫んでいこう。「失うもののない爺」は戦うぞ。時に、自民党と民主党が野合をしようとしていたことが発覚した。実現していたら、大政翼賛会の復活だ。やはり小沢一郎は信用ならない大狸だ。そんな考えを持っていて、野党だと。ふざけるな、民主党。これから小沢一郎は民主党を割って、また新しい政党を作るのか。民主党で表に出ている議員は、元自民党ばかりではないか。元社会党の人間はなにをしているのか。切りたくて仕方ないのが、この左派の人たちだ。社民党の出番だぜ。

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2007年10月25日 (木)

お久しぶりで。

健康診断で「異常Q波」と診断され、再検査だそうだ。心臓のことだ。健康診断については、後日にし、週末のことを書く。

土曜日は、おなじみの「日本の70年代ロック史講座」第4回目。新橋駅のSL広場でねこのひげさん夫妻、TOMIOKAさんと待ち合わせ、会場の新橋ZZへ行く。早く着きすぎてしまい、入り口付近にたむろし、時間をつぶす。今回は「プログレッシブロック」がテーマで、ゲストは四人囃子の岡井大二さん。

結論を先に言ってしまうと、日本のプログレは四人囃子だけだったのではないか。誰かが言っていたが、「プログレッシブ」(前進的なとかいう意味)という名前がついた時点で、将来性がないことを暗示していたというのは正解かもしれない。アメリカに日本のコアなプログレファンがいるというのは面白かった。

PANTAは杖になっていた。この日は、相棒の琢己くんと頭脳警察の盟友TOSHIも来ていた。翌日、京都でライブがあるからだ。4時間の長帳場の座談会が終わってから、車でメンバーは京都へ向かった。

1時前に帰宅。お風呂に入ったりしていて、寝付けず、結局睡眠時間は3時間ほどで起きる。遊ぶ時は起きられる。さあ、目指せ京都。その前に靴だ。久しぶりにはいたスニーカーがはきづらい。おかしいなあと思っていたら、京都に着く頃にはばらばらになってしまった。なんてこった。11時20分に京都着。すぐに駅の前にあるショッピング街で靴を買う。スニーカーがあった。「これください」「はい、18000円です」「・・・」。高いが、はきやすいので良しとしよう。

ねこのひげ夫妻と合流し、タクシーで丸山野外音楽堂へ向かう。そう、この日は10.21(じゅってんにいいち)国際反戦デーだ。60年代にベトナム戦争が激化し、米軍が北爆を開始したことに反対して、日教組が提唱して始まったのが国際反戦デーだ。日本では新宿駅騒乱事件などが、この日に行われている。

「このままでええの!!!日本と世界 10.21反戦共同行動 in 京都」と題された集会に参加した。関西の市民運動団体が共催し、会場には1200人が集まった。もちろん組織動員ではない。年配者が多かったが、若者の姿もちらほら見られた。

司会は男性の牧師さんと、女性のお坊さんだった。友部正人さんの歌から集会は始まった。友部さんを聴くのは、去年のホンヨンウンの追悼ライブ以来だ。持ち時間がわずか30分なので、友部さんも戸惑っていたが、天気の良い日で野外で聴くのは気分がいい。

続いて、PANTAと琢己くんの響が登場。1曲目が「ライラのバラード」だ。日本赤軍の重信房子の裁判の証人として来日したパレスチナのライラ・ハリドの半生を歌った作品だ。次にTOSHIが加わり、特弐型響になる。これが見たくて、京都まで来た。フセインの14歳の孫がアメリカ軍200名と1時間戦ったことをテーマにした「七月のムスターファ」、「さようなら世界夫人よ」と歌い、最後は「オリオン頌歌第1章」だった。6月4日の京都西部講堂から始まった「オリーブの樹の下で」ツアーのラストは、やはり「オリオン」だった。菊池琢己の艶あるギターが、京都の青い空に響きわたる。

会場には東京や愛知、大分から駆けつけたPANTAファンの顔があった。みんな感動していた。時間は短かったが、満足できるステージだった。

http://mixi.jp/view_diary.pl?id=602046700&owner_id=6069155

ここで当日のPANTAの姿が見られる。ぜひ見てください。

雨宮処凛さんの講演や、辻元清美さんの国会報告、いろいろな人たちの連帯のあいさつなどがあり、4時半に集会は無事終了した。さあ、これからデモだ。久しぶりにデモに参加した。市役所まで1時間ほど歩く。雨宮処凛さんにサインをしてもらい、駅へ急ぐ。7時9分の新幹線で帰った。雨宮さんも同じ車両に乗っていた。

疲れたが、充実した時間を過ごせた。ウツのわりには、元気に動いている。ただし、今週は長く感じる。昨日は、大江戸線が停電騒ぎで大変だった。1時間待っても電車が動かないので、バス停に行ったら、長蛇の列だった。長いこと待ってバスに乗り、成増へ出て有楽町線で職場へ行った。2時間遅れだった。夕刊を見たら、トンネル内で2時間も止まった電車は乗ろうとしたものだった。混んでいたので次にしてよかった。全く、世の中何があるかわからない。

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2007年10月19日 (金)

壊れた>自分。

毎日少しずつパソコンを元通りにしている。まだダウンロードするソフトがあるが、手についてない。パソコンがクラッシュしている間に届いたメールがあり、あちこちに迷惑をかけた。

迷惑と言えば、長崎の「岡まさはる記念長崎平和資料館」から依頼された朴玟奎さんの追悼文を書いてなかった。さきほどようやく書いて、送信した。これはパソコンの問題もあるが、自分自身がクラッシュしてしまったので、文章を書くことができなかったのだ。久しぶりにウツが出て、仕事を休んだ。どうもおかしいとは思っていたのだが、なんとかごまかしてきた。それが昨日、本格的にやってきて、動けなくなってしまった。一日布団の中で、寝ていた。疲れがたまっていたのもあるみたいだ。

せっかく薬を1錠減らしたばかりなのに、なんてことだ。低位安定していたのに、やはり低位は直ってない。すっきりした目覚めは10年以上感じたことがない。なんとかならないのかとは思うが、どうしようもない。

本は読んでいる。最近読んだ本。

「愛するとき奇跡は創られる(在日三代記)」語り宋富子、三一書房。

kosumiさんが長年かかって聞き書きをして作られた本だ。差別とは何かが、現実の問題として語られている。そしてそれを克服してきた苦労が如実に伝わってくる。ぜひ教職員の方々に読んでいただきたい。

「再婚生活」山本文緒、角川書店。

作家の山本文緒が3年間ウツに苦しんだことが書かれている。さすが作家だけあり、ウツの苦しさが細かくつづられている。読んでいて、その苦しさがフィードバックされ、きつかった。医者の書く本とは違い、実体験なのでストレートに心に響いた。精神的に健康な人が読んだらどうなるのだろう。

「夢を与える」綿矢りさ、河出書房新社。

どうした、綿矢りさ。中途半端な作品だ。

「まぼろしハワイ」よしもとばなな、幻冬社。

構想5年の作品。この人は書くたびに上手になっていく。ハワイを舞台にした3つの短編。「銀の月の下で」が特に良い。生きるっていいなと思える文章だ。

まあ、1ヶ月でこのくらいの本が読めればいいか。買っているのは、ずっと多いが。新聞は相変わらずに読めない。部屋も散らかっている。これはウツのせいらしい。山本文緒の本にも書いてあった。都合の悪いことはみんなウツのせいにしよう。

というわけで、久しぶりの日記でした。

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2007年10月 4日 (木)

母倒れる。

月曜日の朝、母から電話があった。どうも様子がおかしい。ろれつが回っていない。すぐに父に電話して、救急車を呼ぶように言う。

一過性虚血発作だったらしい。これはじきに収まってしまい、1週間後くらいに脳梗塞になったりする。幸い、母の場合は病院に行ったのが早かったので、点滴を1週間くらい続けていれば良いようだ。その日の夜に電話した時は、だいぶよくなっていた。

人間80歳を超えると、いつ何があるかわからない。今回もすぐに気が付いたので、なんとかなったが、偶然のことだ。父にはわからなかったようだ。そばにいるとわからないことがある。電話の話しを聞いて、すぐに手を打ったのが功を奏した。

仕事柄、毎日高齢者の入院のカルテを読んでいるので、それが役に立った。頭のどこの部分の血管がつまるかで、症状の出方が違うらしい。電話越しにろれつの回らない様子なのを知った時は驚いた。そばにいられないので、普段はなんの役にも立たないが、今回はなんとかできた。

しかし、救急隊に電話してどこの病院に運ばれたのかを知ろうとしたが、救急車を呼んだ様子がないと言われた。そのためにあちこちの病院に電話をすることになった。実際には救急車を呼んでいるのに、どうした足利消防隊。

今週末の連休に、一度帰って様子を見てこようと思う。そういえば、岩井先生も背骨が折れて、大変なのだ。年齢にはみんな勝てないのだ。寂しいなあ。

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2007年10月 1日 (月)

おっ、もう10月だ。

雨の週末で9月も終ってしまった。29日は江戸天下祭を見に行った。日比谷公園から江戸城まで、お神輿や山車がパレードをするというもの。「天下」とは江戸時代に江戸城まで入れるお祭は、赤坂日枝神社と神田明神のお神輿だけだったことから、名づけられたらしい。東京だけでなく、関東近県の山車などもたくさん出ていた。今年は朝鮮通信使の行列もあった。最初の通信使が来てから600年記念らしい。これがお目当てで出かけた。かなりはじめのうちに来たので、日比谷シャンテ前で見ていたのだが、これは助かった。なんと全ての行列が通るまで、4時間近くかかるからだ。農楽の踊りと演奏付きでずいぶんにぎやかで楽しめた。この日は曇り空で時々雨という天気だった。肌寒いくらいだった。しばらく見学してから、近くにあった鹿児島の郷土料理店で飲んだ。「農家の嫁」という芋焼酎が美味しかった。しめの鶏飯も美味しかった。玉子焼き、しいたけの煮物、鶏肉、のりなどを乗せ、鳥で十分に出汁を取った汁をかけて食べる。隣の席の人たちが食べているのを見て、美味しそうなのでお店の人に「あれはなにか」と聞いて、頼んだ。

10月もPANTAの追っかけはあり、5,6日と赤坂で2ディズ。これは響。たぶんツアーファイナルなので、阿部美緒ちゃんのバイオリンが入った「七月のムスターファ」が聴けるに違いないとにらんでいるのだが、はたしてどうなるか。そのあと、ツアーの追加ということで京都円山音楽堂で集会に参加する。

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  こ の ま ま で え え の ?! 日 本 と 世 界
10.21 反 戦 共 同 行 動 in 京都

http://www.kyotohansen.org/

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■日時 2007年10月21日(日)雨天決行
■会場 円山公園野外音楽堂

■開始 13:00
 (11:40からは在住バンドによる反戦ライブイベント)

■終了 16:30

■デモ 集会終了後すぐスタート (円山公園→四条通→河原町通→京都市役所前・解散)


【国会報告】 山内徳信参議院議員・社民党
【集会中ライブ】
  パンタ、まーちゃんバンド、趙博、友部正人
【講演】  雨宮処凛 、 岡真理 
【沖縄から】 安次富浩

■統一スローガン
・加害の歴史を隠すな
・侵略戦争の道を開く憲法改悪を許さない
・イラクから米軍と自衛隊は撤退せよ、テロ特措法延長反対
・沖縄・韓国・日本国内の米軍再編反対
・格差社会を打ち破り、人らしく生きられる世界を
・あらゆる差別に反対し、人権を確立せよ
・子どもたちに未来を、教育の国家統制反対!!

これは行くしかないだろう。デモもあるので、楽しみだ。PANTAは菊池琢己とTOSHIを加えた特弐型響で出演するらしい。参加者だけでなく、スローガンが自分の主義に合うのもいい。山内徳信さんは選挙中にあちこちの市民運動家から、投票依頼の電話やはがきがあった。雨宮処凛さんも参加するので楽しみだ。

まあ、そんな感じで10月も気楽に生きていくつもりだ。いつも気楽だけど。

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2007年9月29日 (土)

1週間の過ごし方。

日曜日に名古屋から帰る。和真に寄り新しいめがねを受け取る。今風のセルのフレームだ。月曜日は午後新宿のヨドバシカメラに寄り、こまごまとした買い物をする。それから初台へ。DOORSの隣にあるドトールへ行くと、みんながもう来ていた。盛岡から来たねこのひげさん夫婦の顔も見える。「あ、めがねを換えた」と言ってくれたのは、HISAKOさん。よく気が付いてくれました。この日はPANTA~陽炎のツアーラストだ。

2時間半のステージは凄かった。PANTAはまだまつば杖姿で、椅子に座り唄っていたが、その迫力は言葉もなかった。フロイラインからパ・ドゥ・ドゥまで25曲。一緒に歌い、一緒に声をかけた。一番前の位置は、おなじみさんたち。みんな気持ちよくノッテいた。今の陽炎は無敵だ。

終ってから、会場の隣の飲み屋さんでミニオフ会をする。ステージの興奮を引きずって、熱い語りが続いた。福岡から参戦したchikaさんも満足したようだった。新しくHIROMIさんが加わった。大阪で行き会った琢己くんの純粋ファンだ。響のツアーファイナルでは、花束を贈ることに決まったらしい。

水曜日は新橋ZZで「70年代の日本のロック史を語る」講座の3回目。井上貴子教授に、PANTA、難波弘之准教授、ダディ竹千代のメイン参加者に、今回は山本恭司さん(BOW  WOW)が加わった。テーマは「ハードロック」。酔うほどに面白くなる講座だ。山本恭司さんはギターを弾きまくっていた。休憩時間中もギターを弾いていた。こんなライブハウスで、目の前でギターを弾いてくれただけで感激だ。帰りにソロのCDを買う。サインをしてもらった。ついでに握手も。PANTAには「いつもありがとう」と言われる。しかし長いイベントだ。この日も7時半から11時半までの4時間たっぷりと話が聞けた。

木曜日はとある事情により、ある人の病院に付き合う。4時過ぎまでかかったので、結局仕事を休んだ。仕方ないか。以下、省略の日。

きょうは疲れて起きられず。2時間遅刻した。そんな日々を過ごしていたら、もう9月も終わりだ。10月はもう少しのんびりした日程だ。月始めに健康診断がある。また心臓で再検査になるのだろう。内臓のエコー検査を自費で加えた。

皆さん、お元気ですか。元気があれば、なんでもできます。

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2007年9月24日 (月)

熱海から名古屋。

久しぶりの出張。熱海で会議があった。金曜日なので、2時頃まで仕事をして小田急のロマンスカーに乗った。この電車に乗ると旅行気分になれる。小田原から熱海へ。ホテルに着くと、ちょうどその日の会議が終ったところだった。さっそく温泉に入る。露天風呂にはいり、ほー。ひと風呂浴びて、宴会。

翌日は朝風呂に入り、食事。会議は理事会だ。テーマは結構重要なものだったが、短時間で終る。駅で田舎の両親に干物を送る。新幹線に乗り、名古屋へ行く。かなり混んでいた。運良く静岡で座れる。12時半頃名古屋着。今夜は名古屋でPANTA~陽炎のライブがあるのだ。

喫茶店でRosieさんを待つ。1時頃、Rosieさんが福岡から着いた。お昼を食べる。静岡おでん、手羽先など名古屋名物を食べる。やはり福岡から来たMickさんと合流。ホテルはMickさんと同じだった。ホテルで一休みしてから、大須へ行く。

会場の確認をしてから、大須観音へお参りをする。お二人は何をお祈りしたのだろう。長い商店街をぶらぶら歩き、喫茶店で一休み。さて、いよいよライブの時間が近づいた。

会場のell  FITS  ALLは前回と同じ場所だ。東京からYUMIさんやなかむらさんも来ている。りえすけさんなどのおなじみの顔も揃っている。一番前の位置がとれた。

ライブは非常に良かった。陽炎は日々進化している。いく度に、新しい感動がある。メンバーも楽しそうに演奏している。PANTAはまだギブスをしていて、座ったままの熱唱だ。「クレイジー名古屋、そんなノリかい」と嬉しそうに煽る。実に楽しいライブだった。

出待ちにつきあい、メンバーにきょうの感想を話す。PANTAは車に乗るのも大変そうだった。3台の車に便乗して、東京に帰っていった。

その後、8人くらいのファンでミニオフ会。結構盛り上がって、1時頃まで続いた。こういうのも楽しい時間だ。当日の熱いライブの余韻を引きずって、熱い語りが続いた。

昨日はまたRosieさんと会い、老舗の煮込みうどん屋さんでお昼を食べた。50分待ちだった。美味しかった。名古屋の味、侮れず。

名古屋でお会いした皆さま、お世話になりました。マイミクさんも増えました。

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2007年9月20日 (木)

お医者さんはお見通し。

病院の日だった。起きるのが遅くなり、これは遅刻してもすぐに帰るようだと、すばやく思い、仕事を休んだ。いいのか、これでと考えながらも、2度寝した。

血液検査の結果は、のきなみ数値が高くなっていた。「身体動かしてませんね」ピンポーン!「間食してませんか」ピンポーン!「夜遅く食事してませんか」ピンポーン!おお、ぴたりと当たっているではないか。

5月の数値が良かったのだが、それからじわじわと上がっている。これは通勤で10分歩くのを面倒がって、タクシーに乗り始めた時期と重なる。そういえば、10分でも歩いてくださいと言われていたな。歩くの、嫌いだ。

「体重が増えてませんか」というのもあった。体重計にのると、あらま、増えているではないか。何時の間に3キロのお肉が増えている。たいしたものを食べてないのになあ。ラーメン類は止めて、野菜炒め定食などにしているのに。家では、トーストにハムエッグくらいだし。

いやいや、あの血液検査というのは自分の自堕落な生活が、如実に現れていて、びっくりしてしまう。病院通いというのも役に立つものだ。1回1万円が飛んでいくのは厳しいが。薬代が高いのだ。毎日オーバードーズ状態だ。これにバファリンなんて飲んでいるのだから、肝臓くんが可哀相。

そう言えば、学生の頃、急性肝炎になったことがある。だるくて歩けなくなった。電信柱ごとに休んでいたのと、スーパーで食料品の匂いを嗅いだだけで吐くようになり、病院に行った。体重もあっという間に10キロくらい減った。看護士さんに、腹水がたまっている人を見せられ、「ああなったらおしまいなんだよ」と言われた。文字通り、血の気が引いた。この時も山のような薬を飲んで、直した。粉薬が飲めなくて、オブラートに包んで飲んでた。量が多いので、のどに引っかかる。これは苦しい。

でも献血には行っていて、日赤から50回の表彰も受けた。使えない血だっただろうけど。すまぬ、日赤さん。血圧が高くなったのも、献血の前の検査でわかった。「階段を上がってきたから」なんて、ごまかしていた。すまぬ、お医者さん。

まだ、人生は長いつもりだけど、果たしていくつくらいまで生きられるのだろうか。あまり長くなさそうなので、今のうちに遊んでいる。身体が動くうちに、という気分だ。

前向きに生きるって、どういうことだろうかと思うきょうこの頃であった。生きる希望を与えるって、どういうことだろうかとも思う。時がある時点で止まったままという人と出合って、その人の体内時計のネジを巻いてやりたいと思うのは、余計なおせっかいなのだろうか。生きるってなあに、というごく単純なことがわからなくなってしまった。自滅への出発点にならないようにしよう。それだけだ。

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2007年9月17日 (月)

どうも体調が。

夜行バスのおかげか、ここのところ体調が悪い。頭痛がして、風邪薬やバファリンを飲んでみたが、すっきりせず。鬱の頭痛は薬では治らない。単なる頭痛かどうか、自分でもわからない。昨日はそんな感じで、一日寝ていた。

きょうはまたバファリンを飲み、出かけた。渋谷に行く前に新宿で途中下車して、HMVへ寄る。久しぶりのCD屋さんで、欲しいものがたくさんあった。厳選して、DVDは「やわらかい生活」廣木隆一監督、寺島しのぶ、豊川悦司と、「ザ・ゴールデン・カップス ワンモアタイム」、FRANK ZAPPA「IN  BARCELONA」を買う。寺島しのぶの映画は全部見ている。これは未見だった。カップスは見たいと思ったが、すぐに上映が終ってしまった。GSの中でも彼らは、飛びぬけてすごかった。今聴いても、古くはない。ZAPPAは天才ミュージシャンだ。最後に近いライブ映像だ。来日公演はぶったまげた。こういう天才は、2度と現れないだろう。

CDは、GROOVERSのライブ。頭脳警察でギターを弾いている藤井一彦率いる3ピースバンドだ。気持ちの良い音を出すのだ。かなりやかましいけど。もう1枚はEARTHSHAKERの86年のライブ。これはメル友のRosieさんお気に入りのバンドなので、どんな音楽なのかを聴きたくて選んだ。ハードロックは好きだが、日本のバンドはあまり知らないので興味津々。

渋谷はハチ公前の交差点が人で埋まっていて、しばらく動けなかった。自民党の宣伝カーがいて、福田や麻生が来ていたようだ。ここで総裁選に一言。福田はともかく、麻生と言えば九州で炭鉱を経営していた一族だ。戦争中、朝鮮や中国から強制連行してきた人々を酷使し、多くの死者を出した。そのことをアジアの民衆は忘れていない。そんな過去を持つ人間が総理になりたいなど、なんて破廉恥なのだ。

とそんなことを思いながら、クラブ・クアトロへ行く。9月16日はイギリスのグラムロッカー、マーク・ボランの命日だ。毎年この日に、マークファンだった元マルコシアスバンプ、今はAKIMA&NEOSの秋間経夫がライブを開催している。今年で21回目にもなる。本国でもこんな催しはない。今回は生誕60周年、没後30周年の記念だった

3時間半、ブギーのリズムに浸っていた。PANTAも毎年出演していて、今年は先月の芝居から「毛皮のマリー」の衣装で出てきた。化粧もばっちりしていた。まだまつば杖で、楽屋とステージの往復が大変そうだった。最後はお決まりの「GET IT ON」だ。20分以上も演奏するこの曲を聴きたいために、毎年通っている。タンバリンでギターを演奏するのは、マークもやっていた。

今年はPANTAファンのおかげで、数少ない椅子席に座れた。腰が危ない状態にあるので、とても助かった。感謝、感謝だ。

今月はまだPANTAの追っかけが続く。楽しみは一杯なのだ。

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2007年9月12日 (水)

大阪で熱くなってきた!

土、日と大阪に行っていた。PANTAのライブの追っかけだ。

土曜日は予定よりも早い新幹線に乗った。ばーどさんが早く来るようにというので、30分ほど早めた。心斎橋のホテルにチェックインし、マクロビの店「ママンテラス」へ行く。誰も来ていない。30分待ち、ようやく席ができた。それでも誰も現れないので、有機栽培のコーヒーを頼む。はい、ばーどさん登場。目の下にクマができている。働きすぎはお肌に大敵なのだ。2時がランチのラストオーダーなので、おこづかい帳さんの分まで注文する。おこづかい帳さん登場。皆さん、忙しいのにお付き合いしてくれてありがとうなのだ。

マクロビというのは、玄米や有機野菜などを食べさせてくれるお店だ。肉や乳製品は扱わない。そういえば、東京には南青山に落合けい子がやっているクレヨンハウスでも、マクロビの店を出していたのを思い出す。

「初心者は洋食が良い」とばーどさんが言うので、洋食を食べる。玄米も少しもらって食べてみる。あれ、玄米のくせに美味しい。どうも玄米食には偏見があって、まずいものという先入観がある。要は調理の仕方の問題なのだ。

デザートを食べていたら、ようやくRosieさんたちが登場した。友人三人連れで、Rosieさんは福岡から、あとは東京と大阪の友人だ。三人とも今夜のPANTA~響のライブに行く。ギターの菊池琢己くんつながりという関係だ。PANTAと一緒に活動する前にいたバンドのファンで、そのままずっと菊池琢己くんのファンを続けていて、今はPANTAと一緒に演奏をしているのを知り、ライブに足を運んだという経歴だ。純粋なPANTAファンで、そこで琢己くんを知り、ファンになるという人は多いが、根っからの琢己くんファンという人に会ったのは彼女たちが始めてだ。

「グリコの看板が見たい」という東京からの人のリクエストで、道頓堀まで歩く。しかしグリコは大阪陸上が終わり、衣装変えをしている最中だった。大阪らしい場所ということで、食い倒れ人形の前で記念撮影をする。おこづかい帳さんが「大阪で一番美味いうどんを食べさせる」と言うので、そのお店に行く。確かに美味しいきつねうどんだった。汁まで全部飲んでしまった。

ここでおこづかい帳さんとばーどさんといったん別れ、ライブ会場へ行く。整理番号が早かったので、いい席が取れた。東京からHISAKOさんが急遽参戦した。それも子どもを連れていた。いいなあ、親子二代のPANTAファンだ。

この日のPANTA~響も良かった。安心して聴いていられる。PANTAのギターが上手になったのは琢己くんのおかげか。このふたりなら、PANTAの曲を何でも演奏できる。「たくみー、さいこう!」と掛け声をかける。「ありがとう」と言ってくれた。

まだ足のギブスが取れないので、アンコールはそのまま続けて演奏した。指にはまだ、先日の芝居のマネキュアがついたままだ。うーん、満足。出待ちをして、Rosieさんたちが琢己くんにプレゼントを渡すのに付き合う。はい、記念写真も撮りました。

9時頃から、おこづかい帳さんのメールが届く。ばーどさんも待っていてくれたらしいが、もう帰ったと言う。残念と思っていたら、「また戻って来た」とのこと。道頓堀極楽商店街に皆して急ぐ。しかし、入場は10時までだった。ほんのタッチの差で入れない。おこづかい帳さんとばーどさんはここで、飲みながらライブが終るのを待っていてくれた。加減を知らないのだな、このふたりは。ばーどさんは記憶が飛んでいた。蹴りだの、首絞め攻撃をされる。

へろへろのおこづかい帳さんに、美味しいたこ焼き屋さんに連れていってもらう。ここのは本当に美味しかった。あのう、ばーどさん、それは熱いから一口で食べるのは無理だって。かくして大阪の夜は更けていくのであった。

翌日はPANTA~陽炎のライブ。久々のバンドでのライブだった。三人は仕事の関係で参加できなかった。東京からTOMIOKAさんが参戦。福岡のchikaさんは両日の参戦。足を骨折しているとは思えないテンションの高さだった。このバンドは凄い。もう凄いとしか言うべき言葉がない。「ドーベルマン」などは、鳥肌ものだった。琢己くんもいつになく飛ばしていた。やはりバンドはいいなあ。

終ってから、みんなの口から出た言葉も「凄かったねえ」だった。この日は出待ちせずに、梅田へ急ぐ。chikaさんに連れて行ってもらった。夜行バスの出る駐車場は分かり辛い場所にあった。ひとりではたどり着けなかっただろう。chikaさんは夜行バスで福岡へ戻る。そのまま仕事だという。東京へ行くyumiさんに声をかけられる。「えー、そんな値段の高いバスなんて無駄です。安いので十分です」と説教される。

7800円のバスは3列の座席だった。ゆったりとはしているが、リクライニングにすると腰が痛い。10時50分発。2時間後、うとうとしたら浜名湖サービスエリアに着き、起こされる。次は5時頃、海老名のサービスエリアだった。ゆっくり寝られないまま、6時15分に新宿に着く。そのまま職場に行く。6時50分出勤だ。ソファで1時間くらい寝ていた。一日ぐったりしたままだった。体力ないぞ。夜行バスはやめようと思うのであった。

きょうは9.11。アメリカで同時多発「テロ」があった日だ。あの日、テレビで見た衝撃は忘れない。アメリカが始めて、本土を攻撃されたのだ。イラク戦争はなんのために行われているのか。それが問われるべきなのに、大きな声にならない。日本はまだアメリカに追従して、戦争協力をする気でいる。そこを問題にすべきだ。せべての戦争に反対しよう。

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2007年9月 7日 (金)

台風9号接近中。

「62年目のヒロシマ」に北海道のDosanko-Sさんから、メッセージをいただきました。こちらにも転載します。

初めまして。
私は、この記事の中にある「石浜義則さん」を知っている者です。懐かしく拝見いたしました。信仰の大先輩です。
広島に原爆が投下されたとき、彼は広島の地下牢に入れられていたために助かったと、本人から聞きました。もう、10数年前(?)に、72歳くらいで天に召されているはずです。
神戸で、何度かお会いしたことがあり、晩年に北海道にも伝道に来られた方です。今、そのご子息が千葉市でクリスチャンとして証しを立てておられるはずです。
懐かしいお名前が出てきたので、一筆しました。

石浜さんのご子息は存じ上げてませんが、娘さんの石浜みかるさんとは交流があります。最近も「変わっていくこの国でー戦争期を生きたキリスト者たち」(日本キリスト教団出版局)を送っていただきました。本の帯には、「日本が軍国主義と『神国』化に向け暴走した時代。国家の強要する戦争協力と偶像崇拝に抗い、あるいは屈したキリスト者たちの葛藤が同じ過ちへと歩みつつある現代に警告を鳴らす」とあります。石浜みかるさんは、戦争中のキリスト者を追うことで、同じ過ちを繰り返さないための執筆を続けています。

お話変わって、台風9号が関東に近づいています。一昨日から大雨が降ったり、やんだりして、まさに台風という天気でした。きょうは一日、雨降りでした。3時頃、「もう帰っていい」ということになりましたが、そうすぐには帰れない。でも、せっかく帰っていいというので、急いで仕事を片付けて4時には帰る。台風の時には、これが楽しみだ。スーパーに寄り、ゆっくり買い物をする。D上さんから言われていた、カニ用スプーンを買う。これでいつカニ宴会があっても、大丈夫だ。野菜なども買う。

6時過ぎに帰宅。パソコンに向かい、土曜日の予定をあちこちに送って、一休みしたら寝てしまった。起きたのは、先ほど。まだ冬眠状態から脱却できてないようだ。おかげで夕飯を食べ損ねた。途中大風の音で、何度か目覚めた。雨、風ともに強くなってきた。

明日は朝の天気次第なのだが、仕事の関係で休むわけにはいかない。まあ、通勤は地下鉄なので、ほとんど問題はないのだが。週末は大阪だ。PANTA~響、PANTA~陽炎のライブの追っかけだ。土曜日はマイミクさん(mixiの友だち)と、オフ会を昼間する。それも楽しみだ。

日曜日はライブの時間の都合で新幹線では帰れそうもない。もう1泊しようと思ったが、仕事がある。仕方ないので、夜行バスにした。若くはないので、体力が持つか心配だ。

PANTAは69年から、時代を撃つ歌を歌っている。「世は歌に連れ」ないが、生きる指針とはなる。古い歌も決して懐メロとはならない。常に時代とともにある普遍的な歌だ。最近の作品では、日本赤軍の重信房子とのコラボアルバム「オリーブの樹の下で」に入っているPANTA作詞・作曲の「七月のムスターファ」が心を騒がす。サダム・フセインの孫の14歳のムスターファが、たった一人でアメリカ軍200名と闘い、銃弾も無くなり、体中を蜂の巣のように撃たれ、殺されたことを唄っている。アメリカはフセインの血がつながっている者を、根絶やしにするつもりなのだ。14歳の少年に対峙する方法はいくらでもあるだろう。しかし軍を投入して、惨殺したのだ。これはみんなに聴いてもらいたい。歌の力というものがあるのだ。

台風はかなりの広範囲に被害を出している。自然の脅威の前には、人間なんて弱いものだ。腹が空いた。

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2007年9月 2日 (日)

夏なのに冬眠。

木曜日の23時頃から土曜日の10時頃まで、ずっと寝ていた。夏なのに冬眠状態だった。金曜日は夏休みにしてくれたので、ゆっくりと夢の中。時々起きては、水を飲み、お菓子を食べるくらいで、ひたすら寝ていた。

8月も終わりになる頃から、急に涼しくなった。今年は猛暑だったが、こう涼しくなるとなんか寂しい。寝ていたら、9月になってしまった。

きょうはD上さんが来るので、一応は起きた。ピンポーン、はーい、宅急便です、はいはい、とハンコを持ってドアを開けたら、D上さんが立っていた。まだ寝ぼけていたみたいだ。テレビをあげる約束をしたのだ。32インチのテレビを4畳半の部屋に入れたら、お客さんが寝るスペースがなくなってしまった。これでは、かわやんさんもゆっくり寝られない。誰かテレビが欲しい人はいないかと、D上さんにメールをしたら、すぐに欲しいとのこと。どうも、家のテレビが壊れたところだったらしい。

これが32インチのブラウン管テレビで、重いこと。台車に載せて、何とか車に積んだ。テレビ台も大きいが、これもなんとか収まった。D上家の入り口の階段も無事通過。ふたりでどうにかなった。腰も無事だ。

ここでお昼を食べに行く。アジフライ定食に、おくら、納豆、玉子入りを頼む。こういうのが美味しいのだ。どうも、この後も仕事があるようなので、ビールは遠慮する。

するとありましたよ、テレビの玉突き移動が。居間にあったテレビを隣の部屋に移し、その部屋にあったテレビを2階に移し、2階のテレビを下に降ろした。32インチのテレビを運んだ後では、他のテレビは軽く感じた。箸より重いものを持ったことがないのに、きょうは肉体労働をしてしまった。

ハードディスクレコーダーもあげたのだ。テレビをデジタルにしたら、アナログのハードディスクレコーダーの映像が、VHSの3倍速くらいの画像になってしまう。電気屋の陰謀だ。つい、デジタルのハードディスクレコーダーを買ってしまった。

しかし、ずっと寝ていたので、元のHDDレコーダーに入っている映像をダビングできなかった。それくらいは、D上さんに頼んでもバチは当たるまい。

肉体労働ついでに、家に帰ってから、古新聞の山と雑誌の山を片付けた。ダイニングから居間まで、物をまたがなくても歩けるようになった。ベランダまでは、まだ邪魔ものがある。D上家はいつもきれいになっているなあと、感心する。

さて、9月だ。今月はPANTAの追っかけ月間だ。嬉しいな。いっつ おんりー ろっくんろーる ! ばっと あい らいく いっと !

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2007年8月30日 (木)

疲れたなあ、でも気分がいい。

日教組大会が終った。3日間も檀上にいるのは、さすがに疲れた。最終日はお昼でおしまいだったので、職場に行く。なんて働き者なんだ。ただでさえ少ない人数のところ、一人入院したので、休むわけにいかなくなった。

来月から派遣をひとり入れるらしい。助かるなあ。

来月だが、PANTAの追っかけ月だ。しかし、名古屋のPANTA~響のライブの日に、熱海への出張が入ってしまった。サラリーマンは悲しい。仕事優先だよなあ。追っかけで午後から休むと言ってしまったので、もうバレバレ。チケットをなんとかしないと。陽炎のライブには、熱海から参戦する。22日だ。その日に帰るのは止めて、1泊することにした。3連休で、24日には東京で陽炎のライブがある。体力持つのか不安。

きょうは新橋で、「70年代のロック史を語る」シリーズ2回目があった。テーマは「ニューロック」。60年代の終わりから、70年代の初めにかけて、イギリスやアメリカからレッド・ツェッペリン、ジミー・ヘンドリックス、ジャニス・ジョプリンなどが出てきた。音楽が特別なものになった瞬間だ。日本ではグループサウンドの終盤になる。ゴールデン・カップスなどが、コピーをしていた。これがまたかっこよかった。

その頃の話を、元一風堂にいた土屋昌巳をゲストに迎え、4時間も話した。長いのだ、このシリーズは。前回は3時間だった。今回は7時半に始まり、終ったのは11時20分。家に帰るまで、1時間以上かかる。終電を気にして、途中で退席する人もいるくらいだ。

話は同時代に擦り切れるほどレコードを聴き、ライブにも行っていたので、とても楽しい。テレビになぜ出なかったか、日本語と英語のロック論争、評論家について、などなど興味深い内容が次々に出てくる。今回もこの話をどうやって本にまとめるかを心配してしまった。

身体は疲れているが、気分はとてもいい。人間、好きなことだけをやっていれば、健全に生きられるのだ。そううまくは人生行かないけれど、ね。

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2007年8月28日 (火)

夏休み第3弾!

先週末は関西に出かけた。同行者は、お母さんが危篤から立ち直ってきたSさんとヘルニアの手術をしたS先生。10時頃ののぞみに乗り、駅弁を食べる。朝ご飯の駅弁だ。品川からふたりが乗ってくる。ほどなくメールが届く。「お弁当があるけど、食べない?」。ふたりがいる隣の車両に行き、鮭弁を食べる。これはお昼の弁当。

12時過ぎに京都に着く。帰りの切符を早い時間のものにする。JRで櫟本(いちのもと)に行く。奈良で和歌山行きに乗り換えると二つ目が櫟本だ。なんで、ここへ来たかは説明を聞いてわかった。S先生は能が好きで、世阿弥の作品に在原業平を題材にしたものがあるらしい。在原業平が住んでいた場所がある。今は小さなお社があるだけだ。井戸がある。そこの説明文を読んで、ああここかとなる。業平の歌に、「筒井筒 井筒にかけし 麿が丈 君ならずして たれかあげぬん」とかいうのがあるが、それを詠んだのがこの場所なのだ。古文の授業も役立つではないか。

世阿弥の作品は、ここに住んでいた業平が愛人の元へ出かけようとすると、奥さんが「気をつけて行ってらっしゃい」という。全てを知って、そう口にする。怖い話だ。その部分を境内でS先生が歌ってくれた。

今回の奈良では、ここにしか行かなかった。なんて贅沢。天理教の教祖が、戦争中に捕らえられ、留置させられた警察駐在所の跡が、資料館になっていた。宗教は神道以外迫害された歴史がある。それなのに、なぜ公明党は自民党と一緒になって、戦争ができる国を目指しているのか。歴史を学んでないのか。

奈良へ戻り、ホテルにチェックイン。シャワーを浴びて、一休み。4時頃、タクシーで学園前に行く。駅上にある店で、かわやんさんとSさんの還暦を祝う会をするのだ。岩井先生はもう来ていた。じきにかわやん夫妻と、おこづかい帳さんも到着。ビールで乾杯。ふたりに、皆からプレゼントが渡される。かわやんさんへのプレゼントは、S先生が忘れてきた。

岩井先生とS先生は、ふたりで一升は飲んでいた。あとは芋焼酎を2本ほど飲む。和気あいあいとした会だった。岩井先生は「あんたの時は、思い出の河口湖でしような」と言う。あと7年長生きしてください。それだけ飲めれば、大丈夫かな。

9時頃お開き。どうも、おこづかい帳さんがあまり飲まずに、食べてなかったように思う。体でも悪いのか。これからなんですから、お身体大切にしてください。

翌日は、大阪に出る。環状線で芦原橋で下車。リニューアルしたリバティおおさかに行きたいというS先生のリクエストだ。ワタシは去年、洪栄雄の追悼ライブで来た。このリバティおおさかは、人権博物館だ。被差別部落、韓国・朝鮮人、アイヌ、沖縄、マイノリティの人、公害、リブ、など人権を考えることができるところだ。東京には作れないのか。芦原橋のあたりは、大きな被差別部落だ。太鼓が有名で、バス亭や公園に太鼓のモニュメントが置いてある。2時間ほどじっくり見学する。おこづかい帳さんとかわやんさんも来てくれた。

タクシーで平野区へ行く。おこづかい帳さんが、大阪の味を味わせてくれるということだった。鱧のしゃぶしゃぶを食べる。美味しかった。鱧も美味しいが、野菜も美味しかった。昼酒も美味い。満足できた。

3時10分ののぞみで帰京。短い滞在時間だったが、楽しかった。お土産もたくさんいただいてしまった。ひたすら寝ていく。

おこづかい帳さんの夢も、もうすぐに叶えられるようだ。新しい道を歩む、おこづかい帳さんに幸あれ。駆けつけますからね。

かわやんさんは東京に来たら、koさんたちと還暦のお祝いをしますので、よろしく。RYUさんもいつまでもその元気を失わないでください。一緒にいるだけで、パワーがもらえる。

で、きょうから夏休みのはずが、日教組大会だ。森越委員長は挨拶の中で、雨宮処凛の「いきさせろ」から引用していた。なかなかやるではないか。こういう自分の言葉で語れる人は、少ないのだ。右翼がたくさん集まっていた。「日教組は日本から出て行けー」って、どこに行けばいいのかな。

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2007年8月25日 (土)

夏休みが・・・。

来週は夏休みの予定だったが、職場の人が急病で入院したため、人手不足に輪がかかった。自主的に来週の夏休みを返上した。偉いぞ>自分。でも、水曜日までは日教組大会があるので、そちらに出席する。監査委員は檀上にいなければいけないのだ。寝ていられない。水曜日に終ったら、すぐに仕事に戻ることにした。実際には2日半だけ、休みが無くなった。田舎に帰る予定はキャンセルになった。

昨日は月蝕歌劇団の公演「寺山修司 過激なる疾走」を見に、紀伊国屋ホールへ行った。脚本・演出は高取英。音楽はJ・Aシーザー。ふたりとも天井桟敷に所属していた人たちだ。高取英の我が内なる寺山修司だった。寺山修司の生み出した作品と、母親、父親との関係が交差する、いかにも月蝕歌劇団と言える内容だった。

入り口でもらったたくさんの芝居のちらしの中に、映画のちらしも入っていて、そこには「暗黒の宝塚の異名を取る劇団月蝕歌劇団」とあった。いやいや、宝塚と比べては、月蝕がかわいそうだ。確かに、劇団員のほとんどが女性だが、宝塚ほどチープな存在ではない。

個人的には宝塚には1度行ったことがあるが、もう勘弁と思った。月蝕は何度も足を運んでいる。退屈すぎて、寝ていたこともあるが、あの独特な感性が好きだ。

月蝕歌劇団と制服向上委員会(SKI)はつながりがあって、SKIのメンバーが月蝕の舞台にも立っている。SKIとPANTAは、プロデューサーや曲の提供者という関係だ。そういうつながりで、今回の舞台にはPANTAも出演している。

どこで出てくるかと思ったら、「毛皮のマリー」の役だった。天井桟敷の舞台では、美輪明宏が演じた役をPANTAが演じた。「男娼」だった。前から3列目の席だったので、浮いた化粧のPANTAをまじまじと見ることができた。髪はストレートのロングだった。今年のグラム・ロック・イースターはこの格好かと、ふと思った。去年も舞台衣装だったしなあ。

舞台から去る時には、車椅子に乗っていた。ギブスはだいぶ小さくなっていた。逆サインがたくさん書いてある青いギブスでは、まずかったのか。カーテンコールでも、車椅子に乗っていた。

最初は少し寝てしまったが、面白かった。時間があれば、もう1度見たい。芝居は生でないと、あの雰囲気が伝わらない。月蝕の舞台は、通路も使うので、役者さんの息遣いがすぐそばに感じられる。今回の舞台も、暗転が効果的に使われていた。明るくなって、上を見たら、舞台に立っていた電柱がすぐ頭の上に倒れ掛かっていて、びっくりした。

そう、舞台はシンプルで、電柱と鳥居がふたつあるだけだった。電柱にはお約束の言葉が手印の看板に書いてある。「虚無」とかだったかな。70年代のサブカルチャー満載の舞台だった。寺山修司を知らなくても、楽しめるはずだ。寺山修司を演じた看板女優の一ノ瀬めぐみが良かった。

入り口で買ったパンフレットは、俳優への質問と生写真だった。2000円もするのに、薄いなあと思っていたら、これはコアなファン向けのものだった。いろいろ種類があって、「どれも違います」と言われ、疑問符をつけて買ったのだ。質問は、自分の役について、観客の皆様に一言、何かイラストを、というものだった。裏表紙に写っている女の子が、演技を見ていて目線が気にいったのだが、名前がわからない。パンフの中を見てると、どうも笹生愛美らしい。眼帯少年役もやっていたような。

どうも芝居のパンフというものはないらしく、高取英が書いた本を何冊か売っていた。それなのでどんな舞台かを言い表せない。そういうことはたいていパンフに書いてあるので、抜書きすればいいのだが、今回はあらすじ無し。もともとあらすじのある芝居ではない。

当時相反していた唐十郎の状況劇場との関係も出てきたが、父親役をその状況劇場の役者が演じていたのは、時代は変わるということか。三島由紀夫の切腹もあった。血糊付きだった。70年代はいろいろなことがあったのだなあ。

初日は満員御礼だった。内容から言っても、全日満員だろう。「寺山修司」の名前は、衰えていない。

さて、明日からは夏休みシリーズ第3弾、関西行きだ。夏休みは自分で作るのだ。おこづかい帳さん、美味しい夏の大阪の味を期待してますよう。

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2007年8月19日 (日)

ましろ亭宴会。

15日はコメントしなかった。二日続いて、パソコンの前で寝ていた。寝る子は横に育つのだ。戦争はしないことだ。誰も幸福にならない。この国を戦争のできる国にしないこと。そのためには、闘うけど。

きょうは久しぶりにましろ亭を開店した。「暑気払い」だ。参加者は少なくて、koさんとD上さんのふたり。皆さん、忙しいのだ。メインは焼きカニ。今回は神戸のばーどさんからエビスビール、盛岡のねこのひげさんから盛岡冷麺、川越のHさんから佃煮が届いた。みなさんありがとうございます。

カニは焼いても、美味いのだ。2箱半も食べてしまった。満足、満足。ビール好きのD上さんがいれば、あるだけ飲んでしまう。「次にはカニスプーンを買っておくように」。はい、はい。

冷麺はkoさんが作ってくれた。「冷麺に入れる具を買ってきて」と頼んだら、「何も入れないものだ」と言われた。それなので、D上さんに何か買ってきてくれるように頼む。しぶしぶkoさんは具入りの冷麺を作ってくれた。美味しかった。そういえば、盛岡には何度も行ったが、冷麺を食べたことはなかった。

食後はコーヒーをいれる。コーヒーの後は、またビールだ。

「本当に雑然とした部屋ですねえ」とkoさん。すみません、全く片付けませんでした。「捨てろよ」とD上さん。捨てられない人間だ。ここから自分がいかに捨てたかの話になる。「2万冊の本を捨てた」のはD上さん。koさんも無駄なものはすぐに捨てるそうだ。贅肉を含め、無駄なものを溜め込むワタシであった。

最後に残ったカニで、D上さんがカニ雑炊を作ってくれた。それもご飯と玉子を入れれば、すぐに食べられるようにしてくれた。「こうまでしないと、食べないからなあ」。お手数かけさせまして、すみません。感謝。

D上さんにお礼としてプ○ダのバッグを格安で売る。「このネームタグは曲がっているけど」。おお、それはあまり気にしないでください。ブランドものらしきバッグに、冷麺と佃煮をつめていった。酔った勢いで失くさなければいいが。

次回はかわやんさんが上京したら、還暦のお祝いをすることになった。みんな年輪を重ねていくなあ。

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2007年8月15日 (水)

再挑戦。

と言っても、人生のことではない。人生が再挑戦できたらするのか。そんな面倒なことはしないだろう。このブログを書いていたら、突然再起動してしまった。ずっと機嫌が悪いパソコンなのだ。同じことを書くのも芸がないので、まずはお返事から。

Rosieさんは食物栄養科のご出身でしたか。ワタシは糖尿病という病名をつけられ、通院してます。今月のヘモグロビンA1cは6.3でした。5台になれば、薬が減るのです。数値を見ていた先生が言うには「油が多い食事をしてませんでしたか」。ピンポーン。「ラーメン類をずっと食べてました」「油の塊です」。栄養指導をしてください。病院から言われているカロリーは、1400キロカロリーです。メロンパン1個食べたら、500キロカロリーだ。まあこの数字がそもそも無理がある。栄養士さんの教育的指導は2度受けました。栄養士さんも「体重はなかなか減りませんよね」と言っていた。

糖尿病と言っても、境界値なのでそれほど心配することはないのだが、このままにしておくと悪くなるだけなので、十分気をつけようという治療なのだ。麺類が好きだと言ったら、「そうめんか、そばにしておくように」と言われた。油は1日5グラムだったか。教育入院させられた時は、お腹が空いてたまらなかった。どうもそれがトラウマになり、空腹を恐れている。

野菜が不足しているのは、承知している。また野菜スープを作ろうかと思う。あれは味に飽きて、しばらく続けたが、挫けた。koさんのようにカレー味にしたりというような工夫をするべきなんだろうな。

食物栄養科というのは、栄養士さんみたいなことを学んだのでしょうか。手軽に作れる野菜料理を教えてください>Rosieさん。

お盆は休みにしようと役員が言ったのだが、仕事の日程は急に休むようにはなってないので、きょうは出勤した。この暑い中を江戸川橋の本社まで行き、郵便局から送金するデータを受け取ってきた。四谷へはタクシーで戻り、自転車に乗って郵便局まで出かけた。毎週の仕事だが、雨だけでなく暑さも困ったものだ。

とりあえずの仕事をして、3時頃帰った。休みのはずだからいいだろう。帰りにヨドバシカメラで買い物をしてきた。ケータイケース、プリンターのインク、SDカードなど。インクは安い再生用にした。300円も値段が違う。パソコン売り場をうろうろしていたら、夏モデルがずいぶん安くなっていた。でも、今のパソコンは再起動問題以外はなんとか動いているので、新しいのは予定にない。ケータイケースはバス旅行の時に、こわれた。沖縄の免税店で買ったずいぶん高いものだったが、つくりが弱い。縫製してあると思っていたら、糊付けだった。酷使してはいけないのだ。さすがブランドもの。

明日は敗戦記念日だ。今、この世界で起きているイラク戦争では、イラクの民間人の死者は69284人。(07年8月13日現在)アメリカ軍の死者3690人。(07年8月12日現在)。なんの意味もない戦争で、これだけの死者が出ている。虚しいなあ。(数字はかわやんさんのネット・ジャーナリズム(だっけ?)から)

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2007年8月14日 (火)

夏休み第2弾!

夏本番真っ最中だ。毎日、ぎんぎんぎらぎらの太陽が元気に照っている。こんな時は気分は夏休みで、遊ぶに限る。

10日(金)は、PANTA~響のライブだった。場所は新宿Naked Loft。ここは外との境が、ビニールシートなので道路を走る車の音がそのまま聞こえるという不思議なライブハウスだ。名古屋で足を骨折したPANTAは、この日もギブスをしまつば杖をついて登場した。ギブスにはオリオンの三ツ星が貼ってある。椅子に腰掛け、ギブスの足を椅子に乗せて、唄いだした。

この日のPANTA~響は、絶好調だった。骨折しているとは思えないほどの熱演が続く。1曲目がストラトを持ち「PISS」だった。完全にロック。響はアコースティック・デュオを超えている。本編が終っても、楽屋に引っ込まず(引き込めず)、そのままアンコールになった。それも3回。頭脳警察初期の曲、「滅び得た者の伝説」までやった。全18曲。満足できた。

ライブが終わり、みんなでビールを飲んで待っていたら、琢己くんとPANTAが出てきた。まずは琢己くんと写真を撮る。事務所の森さんとも念願の写真を撮った。可愛いのだ、森さんは。PANTAとも撮る。ついでにギブスの写真も撮った。そしてギブスに逆サインをする。ライブ会場では定番になっているこの逆サインで、ギブスはにぎやかだ。空飛ぶ円盤を描いた。このブログにも書き込みをしてくれている福岡のRosieさんが書いたものもあった。

この日、帰宅したのは12時半だった。お風呂に入り、寝たのが2時過ぎ。5時起床。遊ぶ時は起きられる。池袋に行く。早く着き過ぎたので、朝マックして時間をつぶす。1泊2日で、12000円のバス旅行だ。目的地は長野の上高地。しかしお盆の入り、そして土曜日。7時発のバスが、上高地に着いたのは3時半だった。お昼休憩のなかったので、途中のドライブインで買ったパンを車中で食べる。

上高地は初めてだった。大正池から河童橋まで歩く。大正池はポスターで見慣れた景色と違っていた。土砂が入り、ずいぶん小さくなってしまったようだ。梓川沿いをてくてく歩く。森林浴だ。気分がいい。途中何度か梓川の川原に出る。とても冷たい水だった。穂高もきれいに見えた。雪渓も見える。なんとか河童橋まで歩けた。散歩にはいい距離だった。帝国ホテルに泊まり、1ヶ月くらい滞在したいものだ。

6時頃上高地を後にする。宿はここからずっと離れたところだ。「この値段だから期待はしてないと思いますが」とは添乗員さんのことば。8時頃着いた宿は、スキー宿だった。トイレは別になっている。今時はスキー客でもあまり泊まらない雰囲気の宿だ。すぐに夕食。ひとり用鍋は食べ終わるまで、煮えなかった。

部屋で話をしていたら、もう12時。風呂は11時までだったので、露天風呂に入る。お風呂は広くて良かった。身体は洗わないようにと書いてあったが、気にせずにシャンプーまでする。内風呂はお湯が出ず、結構騒ぎになっていた。

12日は7時に起き、朝食を食べる。ハムがつく定番の食事。8時にバスに乗り、オプションの小布施散策。帽子を買う。暑いのだ。信州みそ味のソフトクリームを食べる。桃屋さんが出店をしていたので、買って食べる。美味しいので、田舎の両親に送った。栗菓子は竹風堂だ。2階の喫茶で栗氷を食べる。栗みつがかかっていて、美味しかった。

11時に出る。お昼は冷豚しゃぶだった。これもオプション1000円。清里へ行く。名物のソフトクリームを買う長い列に並び、食べ終わったらすぐに出発の時間だった。確か、「上高地と清里の旅」だったはずだが、清里はおまけか。

怪しいトルマリン工場見学。トルマリンを入れたシーツ27000円が、枕カバーをつけて10500円だった。身体に良いとのこと。社長の説明を聞いているうちに、胡散臭くなる。それでも買っていた人がいたのだから、商売にはなっているのだろう。ついでに、わさび屋へ。ここではわさびなどを買う。

一路、東京へ。渋滞は思っていたほどではなくて、9時には池袋に着いた。夕食の時間は取ってないので、また途中のドライブインで食べ物を買う。いやいや疲れたが、楽しかった。

それできょうは休み。役員が「お盆は休もう」と突然言い出した。しかし、急に言われても、仕事のスケジュールというものがある。13日はひとり出勤にし、明日は仕事に行かなければならない。郵便局からの送金データの処理があるのだ。働き者だなあ。

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2007年8月10日 (金)

62年目のナガサキ。

1945年8月9日午前11時2分、ナガサキに1発のプルトニウム原爆が落された。7万4千人の命が一瞬にして消えた。死没者の累計14万3124人。3月末現在の全国の被爆者(原爆手帳所持者)は25万1834人。1年前よりも7722人減っているという。

朝鮮人被爆者の記録映画「世界の人へ」の取材班は、ナガサキで二人の人に出会う。ひとりは、クリスチャンで市会議員だった岡正治さん。もうひとりは、長崎朝鮮人被爆者協議会の事務局長だったパクミンギュさん。おふたりとも、今はもう亡くなられた。

岡さんは長崎朝鮮人の人権を守る会をされていた。街頭でカンパを集め、「追悼」と記した碑を原爆公園内に立てた。8月9日の早朝に毎年追悼集会をしている。盛監督と会った時には、かなり細かく映画の趣旨などの質問を、ご自身が納得されるまで続けた。協力すると言ってくれてからは、教会を宿泊所に提供してくれたり、当時の被爆者協議会の会長リキサンさんとともに、証言を取るために、東奔西走してくれた。

岡さんとはこの映画が縁になり、私たちとの交流が始まり、上京される時にはいつも日程表を送ってきた。それは岡さんの活動を報告する会を開いて欲しいという意思表示だった。大きな集会や、数人での囲む会などを何度も開いた。その話をまとめ、「朝鮮人被爆者と私」という小冊子を作ったこともある。何度お会いしても、大きなエネルギーを与えてくれる方だった。

パクミンギュさんは、映画の中で実にいい笑顔を見せてくれた。「明るく生きなければ、何も生まれない」というパクさんの言葉は、上映会の合言葉になった。長崎の朝鮮人のために、一生を捧げた方だ。映画の感想文の中でも、「パクさんの笑顔に救われた」という感想が多かった。

広島の方々は取材慣れをしていた。それに対して、長崎の方々は違っていた。そのため盛監督が長崎を中心にした作品にしたのも、意味あることだった。完成後、そのことを広島の関係者の方から責められもしたが、盛監督は自分の意見を曲げなかった。「広島のほうが先だから、こういうのを広島ナショナリズムとも言うのですよ」と助言してくれる方もいた。

岡さんは自分のお墓を埼玉県に生前買った。一緒に見に行ったことがある。無宗教のお墓だった。「岡さんが東京に来たら、どんな運動をするのだろう」と話あったことがある。しかし岡さんは、突然逝ってしまわれた。

岡さんと行動を共にしていた人たちは、岡さんの遺志を継ごうと、長崎に「岡まさはる記念平和資料館」を作った。日本で唯一の「戦争責任を考える」資料館だ。NPO法人になり、高實先生を中心にして、ねばり強い活動を続けている。少しづつでも会員も増え、見学者も増えている。修学旅行での見学地にしてくれる学校も増えているのは、喜ばしいことだ。長崎へ行かれることがあれば、ぜひこの資料館に足を運んでもらいたい。

昨年からはドイツの良心的兵役拒否者を受け入れる団体にもなり、ドイツから若者が1年間この資料館で働いている。ドイツでは良心的兵役拒否が認められていて、ボランティア活動をすることが義務付けられている。その団体のひとつに、この資料館がドイツ政府から認められた。今年もドイツの若者を受け入れるそうだ。

実はワタシもこの資料館の理事のひとりだ。東京にいるので、本当に名前ばかりの理事だが、「長崎以外の人もメンバーにいれたい」とのことで、高實先生に頼まれた。なにもお役に立てないのは心苦しいが、こうして資料館の存在を知らせることぐらいはできるので、機会があるごとに宣伝をしている。

パクミンギュさんも昨年末に亡くなられた。歴史の生き証人が次々に亡くなられている。パクさんは修学旅行の生徒たちに、自分の体験を話す語り部を亡くなるまで続けられていた。その姿を原爆公園で偶然見たことがある。生徒は真剣にパクさんの言葉に耳を傾けていた。「語り部」は貴重だ。これからは、どうやってあの原爆を、そして二重三重の苦しみを受けた朝鮮人被爆者の思いを伝えていけばいいのだろうか。大きな課題だ。

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2007年8月 7日 (火)

62年目のヒロシマ。

62年目の8月6日。きょうも暑い日だった。テレビでは1945年9月5日に撮影されたヒロシマを映していた。文字通り、瓦礫の山だ。それでも人々は歩いていた。残留放射能のことなど知らず、生き残った者はそのまま生活をしていたのだ。いまだに原爆の後遺症に苦しむ被爆者は、国の内外に25万1千人あまりという。この数には朝鮮人被爆者も入っているのか。

原爆死没者慰霊碑に納められている死没者は、25万3008人。あの原爆雲に消された人々の数だ。

朝鮮人被爆者と日本の責任   (石浜義則さんの証言から)

この度の原爆の問題について、私が釈然としない事がひとつございます。日本の政府の、朝鮮人の被爆者に対する態度であります。これらの方々は、強制連行によって、日本へ引っ張ってこられました。軍需工場で働かされました。人間というものの考えを無視して、これをせよということは、人権を侵害することです。その人権侵害について、日本政府は謝っておらないのです。

彼らを労働に使いました。その結果原爆を受けたのです。原爆を落された原因には、日本の政府が強制労働をさせたということが加わっているのです。これでは朝鮮人が受くべからざる苦しみを受けたことになるのです。それに対して日本政府は何もしてません。

日本の国に身体を置いて、治療して、健康な身体になってから、帰っていただくならいいのですが、そのまま送り返してしまいました。彼らの労働に対する賃金を払ってない。彼らの病気にかかったことに対する治療代も払っていない。病気のために働けず生活苦にある、その生活費も払っていない。そして彼らがこの間に受けた苦しみに対する慰謝料も払っていない。

原爆によって死になさった方もいるが、その死に対しては過失致死罪になる。直接殺す目的を持って殺したわけではありませんが、殺される原因を作ったのですから。「すまなかったなあ」ではすみません。弁償もしなくてはいけません。

その他に、普通ならば楽しく健康で一生を送れるはずだったのに、この事のために、病苦と生活苦の中で一生を苦しまなければならない人に対する償いは、どうなるのでしょうか。一生を苦しむということが、いくらお金を積んだら解消するでしょうか。これだけお金をもらったら、もう楽しくてたまらないという気持ちになれるでしょうか。死んでしまった人にお金を払ったら、その人は生き返ってもう一度この世で楽しい人生を送れるでしょうか。不可能です。取り返しのつかない不幸を人に与えておいて、のさばっているのが日本の政府なんです。

彼らこそ死んでしまうべきなのです。彼らこそ戦争の発起人です。彼らの上になぜ原爆が落ちて、彼らが全部死んでしまわなかったのか。

彼らの言辞はどうでしょうか。全ての点において欺瞞的です。日米安保条約を結びました。自衛隊を作って、人殺しの稽古をしている。平和憲法と言いながら、やることは鉄砲と大砲を撃って、爆弾を落して、撃滅。優しそうな平和な顔をしておって、鬼みたいな殺人者です。

アメリカも、原爆の道具を日本に置いて見せびらかしている。日本の政府は知らんことにしている。アメリカでも言わんことにしている。狸と狐が協力しあって、「我らは全ての人間をごまかしていこうではないか。爆弾らしい物があっても爆弾ではありません、ということにしておこうではないか。本音はどうであっても建前は平和だということにしておこうではないか」。これが彼らの本性です。

これを知らない人間がいるとしたら、それこそその人間は馬鹿です。常識のある人間は全部知っているのです。

しかし、日本人がこの自民党政府をつぶさないで、選挙の度に投票しているのはどういうわけでしょうか。「彼らは我々に飯を食わすから。正しいことをして飯を食わさない人間よりも、不正を行って飯を食わしてくれる人間のほうがありがたい。腹がふくれたらそれで結構だ」。日本人は正義の追及者ではなく、食欲の追及者だ。

神様はこのような人間をお喜びになさるでしょうか。それは「ノー」です。聖書の中に、「正義を見る者は神を見ん」と書いてある。彼らに神は見えない。見えるのはいくさ神です。

石浜義則さんは、歯医者でクリスチャンだった。戦争中に、「天皇は神でない。神は唯一キリストだけだ」と言って、不敬罪でヒロシマの刑務所に入れられる。そして、被爆。この証言は、映画「遺言」より。(1982年盛善吉監督製作)

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2007年8月 5日 (日)

夏は暑い。

久しぶりにパソコンの前で寝てしまった。暑くて、目が覚めた。朝から30度だとテレビが言っている。それが昼のニュースでは、36度だというではないか。夏は暑いのだ。こういう時は、クーラーの効いた部屋で大人しくしていればいいのだが、自転車に乗ってぶらぶら出かけた。首には泉谷しげるのスポーツタオルをかけて、汗をふく。

奈良のかわやんさんから電話がかかる。「東京にいるけど、今夜泊めてください」。はーい、旅荘ましろ亭はいつでも開業してます。10時過ぎに来て、疲れているのか早く寝てしまった。コーヒーも淹れずに、水をのませただけだ。すまん。

そうそう午前中は、電話が届いたのだ。UNIDENの小さな電話で、子機が2台ついている。ちゃんと留守番電話だ。それで1万円くらい。ケータイのDMで、つい買ってしまった。プリンターを複合機にしたので、今までのファックス付き電話はいらなくなったのだ。場所を取るというのが、一番の問題だった。CANONに電話して、電話だけのでもプリンターのファックスが使えるかを聞いた。そうしたら大丈夫だという。でもまだファックスは試してない。

かわやんさんが来た時には、その電話機の電話帳にデータを入れているところだった。子機にはすぐに転送できる。デジモノマガジンというデジタル物なんでも取り上げてますという雑誌を読んでいたら、この電話機が載っていた。新しいものなのだ。

今気がついたが、家庭の据え置き電話って、使わなくなった。ほとんどケータイだからなあ。留守番電話にも、先日の新聞代の請求くらいしか、メッセージがない。アルバイトの連絡先もケータイだけでよくなっている。少し前までは、家庭電話が連絡先でないといけなかったが、今やケータイしか持っていない人も多いようで、そんなことを言っていられなくなった。

はあ、今夜も熱帯夜だ。クーラー様々だ。おっと、反原発の人だったなあ>自分。東京のテレビでは、柏崎の原発が止まっているので節電をと言っている。それは「原発は必要」という宣伝なのだ。電気は十分に足りている。あの地震を「原発に対する実験」と発言して、公職を降りた学者がいたそうな。そんな人しか、関わってないのだ。情けないけど。

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2007年8月 3日 (金)

7年目に突入!

このホームページを作ったのは2001年8月2日のこと。丸6年が過ぎた。その間、いろいろなことがあった我が人生だが、なんとかHPを維持してきたのは偉いぞ、と。

もともと盛善吉監督の作品を紹介するために作った。おかげで、長崎朝鮮人被爆者協議会の初代会長李奇相さんのお孫さんから連絡をもらうという嬉しいこともあった。映画「世界の人へ」のDVDを送って、皆さんで見てもらえた。映画自体は1981年の作品なので、26年も関わっていることになる。その間、いろいろなことがあった我が人生だが、映画上映を26年も続けているのは偉いぞ、自分。

何度か書いたが、ドキュメント映画は製作当時は連絡先もわかるが何年かすると、フィルムの存在もわからなくなるものだ。その点では数年前に山形で行われた在日関係のドキュメント映画祭で作られたパンフレットは、実に役立つものだ。関係者の苦労は大変だったと思うが、こうしてきちんとしたものが作られたという功績は大きい。

ひとつのことを長く続けていることに、価値があるかどうかはわからないが、今でもこの映画を見てもらえるのは嬉しい。81年の暑かったヒロシマ、ナガサキが思い出される。一緒に原水禁大会に行ったNさんも今年病で帰らぬ人となった。盛さんも根田さんも中里さんも飯島晃くんも今はもういない。映画に出演して、貴重な証言をしていただいた方々も多くは亡くなっている。撮るべき時に、撮られた作品だ。関係者の皆さん、長生きしてください。またみんなが集まる機会を持たないといけないなあ。

で、このブログも6年間書き続けてきた。駄文にお付き合いいただいている皆さん、ありがとうございます。延べで58119人になりました。個人のHPとしては、なかなかの数ではないかと思う。思いがけない反応もあったりして、なかなか楽しい。YahooとGoogleでは「やわらかい水」で検索すると、一番前のほうでヒットする。これも嬉しいことだ。

ただし、全体を見ると、実に見づらい点はある。これは基本的な部分を作りっぱなしにしているからだ。最初にわけもわからず作ったままなのだ。今は手を入れる気力もないので、当分このままだろう。週刊アスキーでマンガ家のいしかわじゅんも同じようなことを言っていた。一度作ったものを変えるのは大変そうなのだ。

ただし、岩井好子先生の文章は、まだ載せたい。夜間中学の事をもっと書いて欲しいものだ。どなたか聞き書きでもしてくれないものか。25日に会うので、聞いてみよう。

はい、そういうことでこれからもよろしくお願いします。BBSのほうには、皆さんも書き込みしてください。こちらもお願いします。

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2007年8月 1日 (水)

梅雨明けだ。

ようやく関東地方も梅雨が明けた。ちょうど8月1日。梅雨明けと思えば、いつもよりも暑く感じた。マッサージして、10時頃帰ってきた。留守番電話がチカチカしていて、聞いたら某人民新聞からだった。購読料を久しく払ってないので、請求の電話なんだろうな。早く払ってあげないといけない。みんな大変な中で活動をしているのだから。しかしその新聞も封すら開けずに、読んでないぞ。まあ商業紙も読んでないからな。毎日読んでいるのは東京スポーツだが、この新聞では世の中の動きが全くわからない。

新聞情報はケータイで、日経新聞のタイトルだけを読んでいる。詳しく知りたい時だけ、日経を読む。ほとんどタイトルだけでどうにかなるものだ。仕事関係の記事は切り抜きが来るので、それで十分だ。テレビのニュースは見ている。

きょうから8月。けっこうプライベートが忙しいのは、いつものことか。気分は夏休みモードなので、へらへらしている。ライブに、芝居、旅行と個人的なスケジュールはつまっている。お盆になれば、電車も空くので、通勤が楽になる。

きょうはお初を食べたのだ。役員がスイカを持ってきてくれた。今年の初スイカだった。お初は東を向いて、笑って食べる。長生き、長生き。

長生きしたいが、先立つものがない。どうなるのか。なんとかなるのであろうか。サマージャンボ宝くじよ、当たれ。こればっかりだな。

そうそう、久しぶりにましろ亭の宴会を開催する。18日土曜日夕方から。メインはカニステーキ。どんなものが届くのかが、わからない。D上シェフがなんとかしてくれるだろう。たくさん頼んだので、どなたでもおいでください。ばーどさんがビールを担いで来るのはいつなのだろう。D上さんとの約束は守りましょう。(笑)

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2007年7月31日 (火)

選挙の結果。

自民党も公明党も惨敗した。自民党が37人、公明党が9人という結果になった。民主党は60人の当選者を出した。民主党の一人勝ち状態だ。これをどうみるのか。個人的に、民主党も改憲勢力と思っているので、複雑な思いだ。民主党の護憲勢力が、もっと力をつけてもらいたい。

で、社民党はどうか。改選前の3議席を維持できずに2議席に終った。沖縄の山内徳信さんが比例区で当選したのが、唯一の救いか。だいたいどこの選挙区でも、全く票が取れない。なんだかなあ。「護憲」はどうなるのか。

仕事関係では、組織内候補が民主党から出て、2期目の当選をした。きょうはあいさつ回りに来たが、「護憲勢力を強めてください」という話もできない慌しさだった。

小沢一郎や鳩山兄弟は嫌いなのだ。右翼だからだ。決して、反自民ではない。そういう点では、2大政党になったとは言えない。ほとんど主張は変わらないし、もともとは自民党の人間たちだ。

あー、もう少し時間を取って考えよう。投票率が上がったのはいいことだ。反自民になる素地はたくさんあったからなあ。民意は大事か。民主党の行く末をしっかりと見届けていこう。

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2007年7月29日 (日)

選挙だ!

いよいよ参議院選挙の投票日だ。今回の選挙は、年金が大きな問題になっているが、やはり「戦争をできる国にするか、否か」が一番の焦点だろう。自民党、公明党の与党は改憲を目指し、なりふりかわなぬ行動をしている。これを阻止するために、1票を投じなければならない。

作家の石浜みかるさんから1冊の本が届いた。「変わっていくこの国で」と題されたこの本は、「日本が軍国主義と『神格』化に向け暴走した時代、国家の強要する戦争協力と偶像崇拝に抗い、あるいは屈折したキリスト者たちの葛藤が、同じ過ちへと歩みつつある現代に警鐘を鳴らす」と帯にある。石浜さんは戦争中のキリスト者の行動をずっと追い続け、テーマにしている。そしてこの国を戦争できる国にしてはいけないという思いを発している。

戦争中はキリスト教だけでなく、多くの宗教が弾圧された。創価学会もそのひとつだ。それなのに公明党は、与党にしがみつくために改憲をしようとしている。歴史に目をつぶるつもりなのか。

キリスト以外に神はいない。「天皇は神ではない」と戦時中に石浜みかるさんのお父さんは言い続け、治安維持法違反で刑務所に送られた。裁判にあたり、全国のキリスト者を訪ね、そのことを証言してもらおうとしたが、自分の身の危険を恐れ、賛同してもらえなかったという。意見が言えないということが怖いことなのだ。

盛善吉監督は、朝鮮人被爆者の記録映画「世界の人へ」を作る中で、石浜義則さんの存在を知り、「遺言」という作品を制作した。ワタシはこの映画を上映する中で、信念を貫いて生きる尊さを知った。「正しいことをして飯を食わしてくれない人よりも、不正をして飯を食わしてくれる人」をこの国の人は偉いと思っていると石浜さんは語った。石浜さんが語る言葉はいつの世でも、普遍性を持っている。

なぜこの国の人は、皆が息苦しいと感じている今の時代を作っている自民党に票を入れるのか。このことを考えて1票を入れてもらいたい。まずは投票へ行って欲しい。護憲の党や、個人に票を投じよう。小さな1票が集まれば、大きな力になる。

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2007年7月26日 (木)

夏休み第一弾!

昨日、このブログに書き込もうとしたら、メンテナンス中だった。やたらとメンテナンスが多いこと。それに長時間だ。よほど問題があるのだろうか。で、「よりみち倶楽部」に書き込んだ。あちらは見ない人もいるだろうから、こちらに移して来た。

21日から2泊3日で済州島へ行って来た。朝4時45分に起きた。遊ぶ時は、起きられる。9時45分のKALで一路済州島へ。2時間であっという間に着くのだ。
免税店に寄って、ホテルへ3時頃チェックイン。南ソウルプラザホテルは、五つムグンファ(韓国では星の代わりにムグンファ(むくげ)の花
数で表す)のホテル。熟女3人との旅なので、部屋割りをどうしようかと思い、エキストラベッドを入れるように頼んだら、スイートルームを用意してくれた。ワタシはツインのシングルユース。これが割り増し料金無しだった。幸先良し。
4時にエステの車が迎えに来る。2時間たっぷり、あかすりとマッサージ、サウナを堪能する。リッチエステはマッサージが優れていた。みんなにも好評だった。
エステでピカピカになった後は、夕食。海鮮チゲ(鍋)を食べる。高級店だったが、昼しか出さないというチゲをわざわざ作ってくれた。ゆっくりと落ち着いて食事ができて、これまた満足。ホテルに戻り、マッコリを飲んだら、すっかり酔ってしまい、早々と寝てしまった。

22日は、ホテルでバイキングを食べる。9時に予約していたタクシーが来る。運転手の名は、高さん。済州島に多い名だ。民族村で馬の骨のセールスをされ、「我が家にまだある」と言う。ここに来るたびに、馬の骨で説明が終わり、まだ村の中を見学したいのにと思う。
城山日の出峰へ。3人は元気に山のぼりをした。ワタシは最初からくじけ、タクシーの中で寝ていた。お昼は待望のアワビ粥。さざえも食る。海女の家だけあり、新鮮で美味い。満足して、滝を見る。直接海に落ちているのは、圧巻。これが湧き水なんだ。済州島には川がない。昔は湧き水を汲んでいたそうだ。
潜水艦の話を聞き、乗りたいということになる。これが結構楽しめた7000円を出す価値があった。餌付けするダイバーに群がる色とりどりの魚たち。珊瑚もきれいだった。
神秘の坂を見る。ここは何度来ても不思議な場所だ。坂道を缶や車が登って行く。今はすっかり観光地になり、バスが何台も止まっている。
6時にホテルに戻る。部屋で少し飲んでから、外へ行く。おしゃれな食堂で夕飯を食べる。玉子焼き、おでん、チゲ、チヂミなどを頼む。やかんに入ったマッコリを飲む。天井を見ると、漫画の絵が一面に貼ってあった。テーブルの番号が、天井からつるされたやかんに書いてある。いい気分に酔って、ホテルに戻る。この日も、そのまま寝てしまった。パソコンを持っていったが、使わず。mixiだけはケータイで書き込みをしていた。

23日はやはりバイキングを食べる。果物が美味しい。このホテルや観光地には中国人が多い。本土からの旅行者で、今や日本人よりも多いという。
昨日のタクシーをまた頼む。龍頭岩を見て、三姓穴に行く。ここは太古の昔、済州島を作った3人の英雄が出てきた穴だ。高、梁、夫の三人だ。今でも済州島には、このみっつの名前が多い。日本語のアニメーションを見た。済州島の歴史がコンパクトにまとめられている。
それから4.3記念館に行く。戦後、南と北に分断され、韓国では大統領選挙をするという話になった。それを「分断を固定化する」と言い、反対派が現れると、強権を使い弾圧した。反対運動は済州島で大きな力となった。政府はこれを鎮圧するために、右翼の兵を送り込んだ。家族や親戚の間でも、両派に分かれ、血で血を洗う争いになった。数万人の人々が命を落した。長い間、このことはタブーとされていたが、数年前に政府が謝罪し、記念館を作ることになった。まだ建設途中で、完成は09年という。今は、亡くなった方々の位牌が置いてある建物だけが公開されている。
運転手の高さんは、「私の家は散髪屋をしていて、高官のお客さんも
いた。そのために父親は助かった。」と語ってくれた。
ハルラ山を横断し、昨日行った日の出峰の近くにあるドラマのセットがある海岸に行く。火山岩でできた海岸がきれいだ。お昼は、アワビ入りの海鮮チゲ。今回の旅では、この海鮮鍋を十分に食べた。何度食べても、美味いものは美味い。この店のは、アワビ、かに、えび、あさりがどーんと入っていて、事の他美味しかった。スープに海鮮の出汁が出て、いい味になっていた。
ホテルに戻る前に、スパーマーケットに連れて行ってもらう。大きなスーパーだった。お土産ののりを買う。味見をさせてもらい、一番美味しいのにした。
3時にホテルに戻る。フロントでパスポートを受け取る。実はチェックアウトの時に、部屋にある金庫に入れたパスポートとキャッシュカードを出し忘れてしまったのだ。無事に戻り、ほっとする。
3時半に迎えのバスが来る。お土産屋さんにより、空港へ。無事、帰路につく。
2泊3日にしては、実に充実した旅行になった。韓国の味も堪能した。
さてさて、次の夏休みの予定はなにかな。

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2007年7月21日 (土)

とほほ2題。

まだインプラントの治療をしている。歯はほとんど手を入れられ、みごとに治療された。昨日は歯医者さんの日だった。インプラントの土台に仮歯を入れた。今夜夕飯を食べていたら、取れた。24時間持たなかった。アロンアルファでつけるわけにもいかず、明日から出かけるので歯医者さんにも行けない。大丈夫か、さくま歯科医院。8月にはインプラントが入るはずだ。ああ、まだ残りの支払いがあるのだ。土台をゆがめるとまずいのだろうな。堅いものを食べる時には気をつけよう。

もうひとつのとほほは、ネットでの買い物。ELGINのソーラー電波時計を買った。買ってから、?が頭に浮かんだ。すでに持っているのと違うのか。きょう品物が届いた。開けてびっくり。「これは持っている」。今回のは週刊アスキーのネット通販だった。確か、前回もそうなのでは。同じ時計を2個持っていても、仕方ないのだ。どうしよう。大丈夫か、自分の頭。

そんな不安を抱えながら、明日から夏休み第一弾。アワビ粥を食べに出かけてくる。さて、どこかな。

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2007年7月20日 (金)

音楽と思想性。

柏崎の友人と夕べ、ようやく連絡が取れた。火曜日の真夜中に電気がついたという。東北電力総出で、24時間体制を組み、電気の確保をしたらしい。まだ水道とガスは止まったままだ。「何が一番不自由か」と聞いたら、「水だ」そうだ。確かにトイレをはじめ、水が出ないのは困る。雨水を溜めて、トイレに使ったりしているそうだ。「まだ実家が農家で井戸水があるからいいけど」とも言っていた。食べ物はコンビニが営業しているので、なんとかなっているという。とりあえず、電気がつけばパソコンも電話も使える。ケータイの充電にも困っていたらしい。電池式の充電器を買っておかなければ。家は無事で、もちろん部屋の中はぐちゃぐちゃだそうだ。地震の日は息子の家に孫を見に行っていて、留守だったそうだ。テレビで震源地が柏崎と知り、びっくりして戻ったらしい。まあ無事でよかった。

昨日は静岡でPANTA~響のライブがあった。仕事も休めず、病院の日でもあったので、参加は断念した。keitonさんのブログに、セットリストが載っていた。頭脳警察の曲が中心だった。会場は「バロン」というスナック。連合赤軍の兵士だった植垣康博氏が経営する店だという。植垣氏は27年間の獄中生活を送り、出所後その店をやっている。

「特型」響として、演奏した頭脳警察の曲。

・真夜中のマリア  ・落ち葉のささやき  ・People  ・さようなら世界夫人よ  ・ひと粒の種になって  ・それでも私は  ・最終指令自爆せよ  ・銃を取れ  ・赤軍兵士の唄(フルバージョン) <アンコール> ・オリオン頌歌第1章  ・オリオン頌歌第2章

菊池琢己とのユニットで、この選曲はすごい。ぜひ聴きたかったと思う。琢己くんのギターが唸っていたことだろう。しかし、だ。連合赤軍の元兵士の店で、冷静に音楽を聴けたかが問題だ。志半ばで、闘って死んだのではなく、粛清で殺されていった多くの兵士たちを思うと、音楽に素直に浸れたか。

PANTAがこの選曲をしたのには、大きな意味があるだろう。できれば「見知らぬ友への反鎮魂歌」を入れるべきだったと思うが、どんな気分だったかが知りたい。

連合赤軍の犯した罪は、新左翼運動に多大な負の遺産を残した。日本赤軍の闘いと比べれば、雲泥の差だ。27年の年月で、兵士としての罪は償われたのか。結論の出る話ではないだろう。そういう気分を抱いても、やはりその場で聴くべきだったのかもしれない。全く違う唄として、耳に入ってきただろう。苦くて、重い思いを持たされているようだ。

オリオン頌歌は、亡くなった兵士たちを慰めたに違いない。みんなオリオンの三ツ星になったのだ。合掌。

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2007年7月18日 (水)

また新潟で大地震。

3年前にも新潟で大地震があったし、能登での大地震も記憶に新しい。月曜日の10時半頃、かなりの揺れで目が覚めた。あわてて起きて、テレビをつける。「震源地は柏崎」と言っている。そこには学生時代の友人Yくん一家が住んでいる。電話しても、当然つながらない。

亡くなった方は皆お年寄りだ。古い家に住んでいて、地震への耐久性がなかったのだろう。買い物帰りに倒れた家の下敷きになった方もいた。テレビを見ていると、避難場所の体育館はかなり人が押し込められている。避難が長期化したら、身体がきついだろう。エコノミーシンドロームの危険もあるのに、車の中で寝ている人もいる。水も食料も足りないようだ。

今回の地震で一番怖いのは、原発の存在だ。火事が出た。自分たちで消そうとして、消防車が来るのが1時間もあとになった。原電の秘密主義の表れだ。地震王国の日本に、原発はいらないのだ。放射能も漏れているというではないか。危ない箇所に原発を建てて、今まで安全だと言い張っていた。それが今度の地震で根っこから信頼性が崩れ去った。原発が建設されるたびに、反対派が主張してきたことが正しいということになる。あの火事がもう少しひどかったら、どうなっていたのか。危うい世界に我々は生きている。原発に向かう道路には、大きな門がある。内側から閉められるようになっている。被爆した人や車が、外に出るのを防ぐためにあるのだ。

雨も降っている。土砂崩れや被災者の健康が心配だ。首相が現地に行っても、人手がさかれて迷惑なだけだ。それよりも、緊急に必要な物資を送ることが先決だろう。何度でも同じ過ちを繰り返している。

震災後の神戸を見た者には、大震災の恐ろしさが実感できる。起きてからすぐにどうするかが、問題なのだ。まだYくんとは連絡が取れないままだ。

お話変わって。Rosieさん、yuzawa45@nifty.comへメールをください。アドレスを教えてもらえたら、mixiに招待します。まあ、mixiは1000万人も会員がいるので、もう会員制というような状態ではないですが。マイミクさんというのは、mixi友だちのことで、熱いPANTA、琢己くんファンもいますので、いろいろの人の書き込みが読めて面白いと思います。最近は友人同士、mixiで連絡を取ることが多くなりました。

PANTA~響は明日、静岡でライブがある。しかし先週も早引けしたので、さすがに今週はできない。これでも一応サラリーマンなのだ。来週も休むしなあ。

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2007年7月16日 (月)

仙台より帰京。

台風の心配をしながら、PANTA~響のツアーに行ってきた。宇都宮で1泊して、仙台へ。仙台も雨。駅前で遊んでいて、ふと気になり、チケットを見たら、5時半開始だということに気づく。ひぇーとタクシーに乗り、会場へ急ぐ。あと10分。ねこのひげさんから「始まってしまうよ」というメールが届く。「今、向かってます」。会場に飛び込むと、PANTAと琢己くんがまさにステージに登ろうとしているところだった。滑り込みセーフ。(後で聞いたら、ねこのひげさんがワタシ待ちをしてくれて、いくぶん開演時間を遅らせてくれていたらしい。すみませんでした。)

「きみかげらうも」から始まり、今回の響での初披露曲は、「プラハからの手紙」「振り返って見たら」「光り輝く少女よ」だった。何度も「この仙台はホームグラウンドのような気がする」と言っていた。

仙台は8年くらい前から、「仙台にPANTAを呼ぶ会」が主催して、ライブをやっている。このメンバーの人たちが、実に暖かい人たちなのだ。だからPANTAも琢己くんも仙台が気に入っているのだろう。客としても、その暖かさが伝わってくる。遠くからのお客さんは、鹿児島、福岡からも来ていた。「仙台でのライブだから」という気持ちがあるからだろう。

ここはまたメンバーを入れた2次会をやってくれる。これも楽しみのひとつだ。PANTAと琢己くんとゆっくり話をすることができる。もちろんサインや写真も撮れる。ワタシもサインをツアーパンフにもらい、PANTAとツーショットの写真を撮り、ケータイの待ちうけ画面にした。

響になってから、琢己くんが実に雄弁になった。この日も2次会でだいぶ話していた。質問コーナーでも、ほとんど琢己くんが話していた。「阿部美緒ちゃんを入れての七月のムスターファを聴きたいのですが、いつやってくれますか」「それは秘密」。ずっと追っかけを続けなさいということか。はいはい、9月からの後半戦も行きますとも。

事務所の森さんとも話をすることができた。素敵な女性だ。この日も可愛い靴を履いていた。もともとは役者さんの事務所だという。知り合いに紹介されて、PANTAたちのマネージングをするようになったらしい。どんなグッズを作るかというようなミーティングもしているとか。リストバンドに帽子だな。今回の響のTシャツはおしゃれなデザインだった。普通に着られる。オリーブ色、黒色、白色、の3色があって、みんな買ってしまった。

今朝起きてもまだ雨だった。台風が心配で、1時間早い新幹線に換えて帰ってきた。仙台では名物の牛タンを食べなかった。ホテルは朝食付きだったので、駅弁も買わなかった。夕べはホテルに戻る前に、コンビニでパンを買い、部屋で食べた。2次会でも食べ物は出たが、ささやかだったのでお腹が空いたのだ。

「オリーブの樹の下で」を今聴いている。「七月のムスターファ」での阿部美緒ちゃんのバイオリンが鳥肌が立つほどにすごい。ぜひ生で聴きたい。

Rosieさん、いつもコメントありがとうございます。mixiはやってますか。そちらにはライブのセットリストを載せてます。マイミクさんになってもらえませんか。

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2007年7月14日 (土)

宇都宮にて。

きょうは仕事を2時間早引きして、宇都宮へ来た。昨日は2時間遅刻をしたのだった。普通のサラリーマンです。

PANTA~響の「オリーブの樹の下で」ツアーだ。北海道が終わり、本州に戻ってきた。きょうのライブでようやくCDの発売が始まった。事務所の森さんから「ここで渡したほうが早いと思って」とCDを渡された。ここで渡されても聞けないと思ったが、パソコンを持っていた。今、聴きながらこの日記を書いている。

HEAVEN'S ROCK UTSUNOMIYAはなかなかいいライブハウスだった。しかしお客さんが少ない。少なすぎる。8人だった。でも客が少ないからと言って、手を抜くふたりではない。「シークレットライブみたいだ」と言いながらも、2時間以上熱演してくれた。

アンコールでは「万物流転」のフルバージョンを唄った。このふたりなら、PANTAのどの曲も演奏できる。琢己くんがその名のとおり巧みなのだ。「万物流転」は頭脳警察の曲だが、なんの違和感もない。「落ち葉のささやき」「時代はサーカスの象に乗って」もそうだ。PANTAも安心して唄っていられる。

このツアーはふたりで演奏しているが、CDでは陽炎や漣のメンバーも入っている。特に阿部美緒ちゃんのバイオリンがすごい。「七月のムスターファ」での演奏は、ボブ・デュランの「ハリケーン」を想起させる。鳥肌ものの演奏だ。東京でのライブでは、ぜひ彼女を入れて演奏してもらいたい。美緒ちゃんは音大で教えてもいるが、PANTAがその隠れた才能を開花させた感じがする。

ホテルの戻る前に、宇都宮名物の餃子を食べに行く。2軒はしごをした。生ビールに餃子はよく似合う。12種類の餃子を食べた。駅前には餃子の銅像が立っている。うーむ、かなり不気味だ。

さて、明日は北上して仙台だ。仙台では恒例の2次会もあるので楽しみだ。台風が気になる。明後日帰るが、台風に向かって行く様な感じだ。大丈夫かな。

FREEDOM   FIGHTERS   CONTINUE   FIGHTING   !

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2007年7月11日 (水)

赤と緑。

今夜はファミレスでご飯を食べた。オムシチューを待っている間に、メニューを見ていたら、プレゼントの案内があった。緑で山が描いてあり、そこにオレンジ色の文字がある。読めないのだ、これが。色覚異常で、赤と緑が混ざると、見えない。それはオレンジ色だったので、なんとか読めた。

そのことを始めて知ったのは、小学校の入学の時だった。あの検査表を見せられたのだが、単なる模様にしか見えないのがある。わからないから黙っていた。すると、先生は数字が読めないと思ったらしく、「指でなぞってごらん」と言う。わからないものはわからない。

その時に「赤緑色弱」というハンコを調査票に押された。今はどうか知らないが、この検査は毎年あった。高校生まで続いた。見えないものは見えないのだ。このおかげで、「この子の絵の色使いが面白いのは、そのせいかなあ」なんて言われたものだ。

バイクの免許を取りに行った時に、またここでもあの表を見ることになった。3枚あった。2枚はわかる。順番は3番目だ。こういう時には、その読めないのが自分に来ることになるだろうということがわかるだけの年齢になっていた。そういうことだけは、当たるのだ。はたしてそのわからない絵を見せられた。「わかりません」「信号の色はわかりますか」「はい」。そんな会話があった。

日常生活では困ったことはない。でもなれない仕事はある。薬剤師とかだ。薬の調合には向かないだろうということはわかる。あとはなんだったか。山に赤い字で火の用心という大きな看板を出すと、それが読めない人が世の中にはいるのだ。

まさかファミレスでこんなことを思い出させられるとは思わなかった。そうそう、こういう人はあの表でみんなが読めないものが読めるのだ。すごいだろう。

今夜は友人のお母さんが亡くなったことを聞いた。切ないなあ。前日に「明日野菜を送るから」という電話があったそうだ。そういう年齢になったのだ。親孝行をしておこうと思うのであった。しかし現実は親不孝ばかり。ふー。

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2007年7月 9日 (月)

パソコンの機嫌が悪い。

相変わらず、パソコンが急に再起動になってしまう。しかたないので、メモリーを1本抜いた。このまま使って、2枚あるうちのどちらかの原因なのかを確かめてみよう。せっかく2ギガのメモリーにしたのに意味ないのだ。

sikujuaさんが大阪に遊びに行ったら、「息がしやすかった」と言う。息苦しいところと感じるのは、身体に一番悪い。悪いことをガマンしていると、おかしくなってしまう。自分が居やすい場所を見つけましょう。まだまだ若いのだから、これからの人生を有意義なものにしよう。

そうそう、掲示板(よりみち倶楽部)を新しくしました。最初から使っていた掲示板がニフティの都合で変わり、それにしたら書き込みがしづらくなってしまい、みんなにも不評だった。今回はIBM関係にした。無料のは広告が邪魔なので、有料にした。かなり安い料金なのが助かる。そういうことですので、またいろいろ書き込んでください。たぶんこれまでのような迷惑書き込みが減ると思うが。

職場の役員が中国の九塞江へ行ったときに、木の実のお土産をもらった。そのへんにある木の実らしかったが、種があったのでベランダのプランタに植えてみた。植えたのを忘れた頃に、芽が出てきた。おじぎそうのような葉がついている。大きくなるのかな。今は3センチくらいだ。でも富士山よりも高い所にあったものなので、はたして東京で育つのか。楽しみ。

琉球朝顔も葉を伸ばしている。これも丈夫だ。今年は肥料をあげたので、花が咲きますように。沖縄といえば、ハイビスカスもずいぶん大きくなっている。何年くらいで花が咲くのだろう。こちらは50センチくらいになった。

7月7日は七夕だが、日中戦争の発端となった盧溝橋事件から70年目の日だった。盧溝橋というのはきれいな橋だった。博物館にはその当時のことがきちんと展示されていた。日本ではほとんどの人が思い出しもしない日になった。しかし近代史も忘れてはいけないのだ。8月になると、ヒロシマ、ナガサキが語られるが、泥沼化した戦争の口火はこの盧溝橋事件からだ。歴史を知ることは大事なのだ。この国は防衛大臣が「原爆はしょうがなかった」などとぬけぬけと言えるくらいだから、せめて庶民が歴史の教訓を知り、後世に伝えていかないといけない。学校教育もますます国の力が強まっていくが、それに抗する力を持たないと「また」同じ道を歩むことになってしまう。目は大きく見開いておかないと大変なことになる。「いかなる国とも戦争はしない」。語るのは易しいが、行動は困難なことかもしれない。しかし愚直に「戦争反対」を言い続けていきたい。

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2007年7月 5日 (木)

7月は雨降り。

先週はライブ三昧だった。日曜日は新幹線に乗って、知立に行ってきた。アジア漫画展とウノ・カマキリさん展が、今年で一区切りするのでどうしても顔を出したかった。年に1度おこづかい帳さんと知立で会うことになって、何年になるのだろう。今年はふたりの日程が合わずに、別行動となった。

たまたま乗った新幹線は、この日から走り出したN700系だった。ホームにたくさんの人がいて、皆カメラを持っている。なんだろうと思っていたら、新型車両が目的だったのだ。全席禁煙、喫煙コーナーがいくつかあるという小田急ロマンスカーの新型スタイルだった。予約のときに、喫煙コーナーの近くにするかが選べる。車内は座席と座席の間が広い。快適に寝られた。

2時過ぎに知立に着いた。この時にすぐウノさんへ電話すれば会えたのだが、二段重ねのうな丼を食べるのに頭が行ってて、会場に着いたときは宇野さんを入れ違いだった。漫画展の会場は子どもたちがたくさんいた。メモを取りながら、熱心に見ていた。受付の方たちは顔を覚えていてくれた。「あれ、毎年ウノさんと一緒に来ている人ですよね」と言われる。「今年はふたり(ウノさんとおこづかい帳さん)だけだったので、もうひとりの方はどうしたろうと話をしていたのですよ」とのことだった。こういうのは嬉しい。

じっくり漫画展を見せてもらった。このままずっと続けてもらいたいものだ。4時頃、会場を後にする。宇野さんからは、ケータさんを通じて電話をいただいた。連絡すべきなのに、しなくてすみませんでした。

名古屋に戻る。高島屋と東急ハンズをぶらぶらして、喫茶店で休憩。sikujuaさんと6時半に待ちあわせをした。出かけに急に決まった日程だった。メールが届く。「仕事が終らずに、まだ行けません」。ゆっくり本を読んで待つ。こういうのはひたすら待てる。8時半頃、息を切らせてsikujuaさんが登場。駅構内のお店で、あわただしく名古屋飯を食べる。名古屋おでん、串カツ、手羽揚げなど。誕生日プレゼントを渡せた。とりあえず、元気そうな顔を見られてよかったが、休日出勤続きで、疲れているようだった。無理しないでね。

21時25分ののぞみで帰る。12時頃には帰宅。有意義な時間の過ごし方をした気分。

月曜日はこのところ仕事が忙しかったので、お疲れさん会をする。それがなんと成田のお寿司屋さん。京成スカイライナーに乗って、お寿司を食べに行くとは。まぐろも、岩かきも、うにも、赤貝も、あなごも美味しゅうございました。帰りに胃痛。痛み止めを飲み、休み、休み帰る。ブスコパンという胃の痛み止めは手放せない。西武線では寝てしまい、3駅も乗り過ごした。また0時過ぎに帰宅。

さすがに昨日は早く帰り、早寝をした。この日記に久しぶりにコメントがついた。Rosieさんありがとうございます。菊池琢己ファンとは嬉しい。PANTAと一緒に演奏を始めたのは、何時ごろだったか。鈴木匠と入れ替わった日のライブに行っている。「たくみ2号です」とPANTAが紹介した。PANTAのバンドメンバーには珍しく、結構派手な服装だった。ギターは今も同じ、いけいけズドーンのスリリングな指さばき。

PANTAがあまりライブをやっていない時に、とあるライブでこんな会話があった。「俺(PANTA)が太陽の塔のプロデュースをしていた時に、琢己は小田裕二のバックをやっていて、会うとロックやろうよ、ロックと言っていた。ロックって、なあに」。小田裕二の昔のビデオを見ると、琢己くんがギターを弾いている。

最近の響のライブでは、「たくみー、最高!」という掛け声をかけている。「おー」と手をあげてくれる。去年もらったピックは、職場の机に飾っている。名前が入っている白いピックが欲しいので、そのうちにもらおうと思っている。仙台か。PANTAには琢己くんのギターが良く似合う。そうですよね、Rosieさん。ライブ会場ではいつも一番前の真ん中へんにいるので、気が向いたら声をかけてください。

梅雨だから雨が降らないと困るが、ひざや腰が痛くなるのは、それはそれで困る。じじいになったものよ。

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2007年7月 1日 (日)

ライブ三昧の日々。

どうもパソコンの機嫌が悪い。セットアップし直せばいいのだろうが、面倒だ。データを移す、気力がない。(方法を知らない?)

さて、木曜日は横浜の関内にPANTA~響を聴きに行った。金曜日はレバニラ炒めを食べてから、吉祥寺にあるMANDA-LA2に向かう。久しぶりにAREPOSのライブだ。今回はジョイントで、相手バンドはCOTU  COTU。まずはCOTU COTUの演奏から始まった。元マルコシアス・バンプというグラムロックバンドでブンブンベースを弾いていた佐藤研二のバンドで、チェロの3重奏という編成。これがしごくまともな演奏をする。マルコシアス・バンプはPANTAと仲が良かったので、よく一緒のステージに立っていた。PANTAがきちんとしたバンドをやってなかった時は、マルコシのメンバーがバックを務めたりしていた。その頃、佐藤研二のベースに魅了された。

演奏終了後にCDを売っていた佐藤さんに、「ブンブンベースてんこ盛りはどれですか」と聞いて、CDを2枚買った。サインもしてもらった。先ほど聴いたら、これはすごい。満足、満足のCDだった。ライブに行きたいぞ。

AREPOSはいつものようにさわやかな歌声を聴かせてくれた。曲数が少ないと思ったら、COTU  COTUと一緒に2曲演奏してくれた。これがれいちさんの歌声に合っていて、実に良かった。

そういえば、金曜日はボーナス支給日だったのだ。右から左へ、借金返しに消えていったので、なんの実感もなかった。それでもレバニラ炒めではなく、寿司くらい食べればよかったか。

きょうは夕方から出かけた。渋谷から東横線に乗り、代官山に行く。駅前のおしゃれな喫茶店でお茶して、時間をつぶす。「はれたら空に豆まいて」という名の店で、PANTA~響のライブ。東京周辺のライブのしめだった。さすがに土曜日の都内ということで、お客さんはたくさん入った。アンコールで「キャプテン・トキオ」をやった。本邦初公開か。

18歳で東京に出てきてから、ずっと生で聴き続けているが、いつも現在進行形でいるのがすごい。だからライブに足を運んでいるのだろう。「とにかく生きよう」と、珍しくアピールしていたが、なにか力付けられた。カメラマンのSHIGGYさんと話したら、同じ栃木出身だということがわかった。「では、次回は故郷の宇都宮で会いましょう」と別れた。

SHIGGYさんは佐野高校生の時に、ラグビーをやっていて頚椎を痛め、半身不随になった。本人の気力で立ち直り、両足は不自由だがプロのカメラマンとなった。今はPANTAのほか、鼓童という和太鼓のグループの専属カメラマンでもある。結婚して、子どももいる。こういう人に会うと、自分の根性無さを知らされる。最近、マイミクさんになった。まめにmixiを更新している。暖かく感じる写真を撮る人だ。

3日間ライブ漬けだった。楽しいことは苦にならない。7月は地方遠征がある。またそれも楽しみ。

さて、明日は・・・。

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2007年6月29日 (金)

再度挑戦。

夕べは書き込みをして、保存ボタンを押したら「異常終了」になってしまい、みんな消えてしまった。そんなことをやっていたので、今朝は遅刻したではないか。しっかりしてくれ、マイクロソフト。(これは関係ないか)

今週は2日続けて、パソコンの前で朝まで寝ていた。お風呂に入ろうとしていて、パンツ1枚でぐっすり。電気もテレビもパソコンもついたまま。扇風機まで回っていて、死ぬぞと思った。体力ないなあ。朝になり、シャワーを浴びて出勤する日々だった。

体力と言えば、検査もあった。ヘモグロビンA1Cが惜しくも6.1だったため、薬が減らなかった。「運動しましょう」と主治医に言われる。しかし、腰に加えて、膝が痛い。得に左が階段を上ったり、降りたりすると痛む。コンドロイチンを飲んでいるのになあ。全くじじいの身体だ。

新聞を読む気力もなくなったままだ。新聞と言えば、日刊スポーツを止めた。プロレスが載っているので宅配していたが、あとは芸能面と社会面しか読むところがないので、実に不経済だった。大部分を占めている野球や競馬、ゴルフ、競輪などには興味ないのだ。その前は日経を読んでいたが、これはスポーツ紙以上に読むところがなかった。読み方がわからないというべきか。今は日経の見出しだけを、ケータイのニュースで読んでいる。わからない言葉は、大手銀行出身の職場の人に解説をしてもらっている。

日刊の次に選んだのは、東京スポーツだ。宅配を頼んだ。以前は駅売りを買っていた。これはプロレス記事が満載だ。世界中に戦争が起ころうと、天変地異が起ころうと、1面記事は「人面魚出現」だったりする。これがファンにはたまらない。「東スポ1面」という本が出ているくらいだ。名古屋では「中京スポーツ」、大阪では「大阪スポーツ」、九州では「九州スポーツ」と名前を変えている。あほらしさはどこも一緒だ。日経から日刊スポーツ、そして東京スポーツと新聞の変遷は人生の転落図式と合致している感じがする。

夕べは、横浜の関内に「PANTA~響」を聴きに行った。対バンの時には、寝ていた。音楽評論家の鳥井賀句のバンドは期待していたほどではなかった。趣味の粋を出ず。響は5曲で終わろうとしたので、すかさずアンコールの声をあげる。「ライラ!」と言ったら、「あれは長すぎる」と答えたので、「では落ち葉のささやき」と言い直す。やってくれたのは、フルバージョンだった。これも長いぞ。

アンコールは鳥井賀句のバンドをバックに、頭脳警察のナンバーを3曲演奏してくれた。即席でも頭警のはコードが単純なので、なんとかできる。個人的には菊池琢己くんが頭警の曲を演奏している姿が好きだ。アンコールではふたりして、アラブ風の被り物をして出てきた。そしたら、この曲でしょう。やはり「アラブレッド」だった。

満足して、帰りの電車に乗る。関内から光が丘まで2時間はかかる。帰宅したのは、0時をまわっていた。うどんを食べて、お風呂に入り、パソコンに書き込みをしていたら、3時過ぎになった。これでは朝起きられない。ということで、この書き始めに戻る。

だるいなあ。

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参ったたぬき。

日記を久しぶりに書いて、さあアップしようとクリックしたら、「なにやらで終了します」というメッセージが出て、みんな消えてしまった。

パソコン前で寝ていること、新聞のこと、ライブのことなどを書いた。明日また挑戦する予定。

なんかこのパソコンは最近期限が悪い。

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6月が終ってしまう。

毎日暑くて、雨も降らない。おっと思ったら、もう6月もおしまいではないか。

ここ二日続けてパソコンの前で寝ていた。お風呂に入ろうというところまで同じパターンだった。今までは夜中に目が覚めていたのだが、ここのところ朝になってしまう。テレビも電気もつけたまま、窓も開いている。夕べはクーラーまでついていた。扇風機も回っていたので、こんなことをしていたら死ぬぞと思った。シャワーを浴びて出勤。へろへろだ。なんでこんなに疲れているのか。人生に疲れているのか。

きょうは仕事が終るなり、職場を飛び出し、横浜の関内まで出かけた。PANTA~響のライブがあった。対バンが出ている間は寝ていた。2つもバンドが出ていたので、缶ビールを3本も飲んでしまった。響は5曲で終るところだった。引っ込む前に「アンコール」と叫び、「ライラ!」と言う。「長すぎる」とPANTAが答えたので、「それなら、落ち葉のささやき」とリクエストした。フルバージョンで唄ってくれた。

アンコールは対バンの鳥井賀句という音楽評論家のバンドをバックに、頭脳警察の曲を3曲演奏した。初期の頭脳警察の曲はコードが単純なので、こういう即席的な演奏でも対応できる。ギターの菊池琢己が頭脳警察の曲を演奏している姿を見ると、訳も無く嬉しくなってしまう。アラブの被り物をして、「アラブレッド」なんかをやられたら、「わざわざ来た甲斐があった」というものだ。

しかし、我が家までは遠い。10時に終わり、帰宅したのは0時を回っていた。スカパーの会員番号を探していて、お風呂に入ったら、こんな時間だ。経費削減でスカパーを解約した。見ている時間もないことだし。ケーブルテレビでほとんどの番組が見られる。ただしプロレス番組はケーブルではやってない。

プロレスと言えば、東京スポーツだ。日刊スポーツを解約して、東スポの宅配を申し込んだ。日経から日刊スポーツ、そして東京スポーツになった。人生の転落を見ているようだ。日経は読む力がないことがわかり止めた。夕刊の文化欄は面白かった。次にプロレス記事が載っている日刊スポーツにした。しかし芸能欄と社会面しか読まないので、実にもったいない。何ページあるか知らないが、たかが5ページくらいしか読んでなかった。野球、競馬、競輪などには全く興味がないのだ。その点東スポならプロレスだけで何ページかあるので、費用対効果があるだろう。この新聞は世の中に戦争が起ころうが、天変地異があろうが、1面は「人面魚発見!」だったりするのだ。まあ、そこが東スポフリークにはたまらないところだ。「東スポの1面」という本まで出ているくらいだ。

最近ひざが痛くて困る。コンドロイチンを飲んでいるのだが、痛い。腰もひざも駄目だ。爺だ。人生、晩年か。

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2007年6月25日 (月)

ご無沙汰してまして。

土曜日から日曜日の午後まで、寝ていた。テンションがずいぶん下がっている。それでも土曜日はご飯を炊いて、納豆ご飯に栃尾の油揚げを食べた。あとはひたすら寝てた。大学受験で何も回答が書けない夢などを見てた。

金曜日は待ちに待った日だった。ドコモのケータイで、ソニー・エリクソンがワンセグケータイをいよいよ発売した日なのだ。仕事が終って、そのまま新宿のヨドバシカメラに行く。色は黒を選ぶ。ポイントを使って、なんとか買える金額になった。全く、いつも半年くらいで買い換えているので、端末がやたらと高い。客としたらいい客なのだから、長く使っている人よりも割安にしてもいいものだといつも思う。

手続きやデータを移し変えている間に、デジカメ売り場をのぞく。最近デジカメがやたらと値下げしていると、パソコン雑誌に書いてあった。しかし安くはないぞ。店員さんに聞いてみる。「メーカーからのお達しがあって、値段を戻したのです」だそうだ。安くしてもいいではないか。そういうのは問題にならないのだろうか。

でも安くなっているデジカメがあった。ソニーのT20。810万画素。手ブレ補正。高感度ISO3200。ハイビジョンテレビにつなげて見られる。これが3万円くらいで買えるのだ。買おうと思っていたのとは望遠が5倍と3倍の違いだけだ。店員さんも「こちらのほうがお勧めです」というので買ってしまった。

今年のボーナスの買い物はこれで済んだ。新しいケータイを受け取り、池袋へ行く。シネリーブルで「パッチギ!LOVE  &  PEACE」を見る。監督は井筒和幸だ。ユナイテッドシネマとしまえんで見ようと思っていたが、すぐに上映が終ってしまった。石原慎太郎が作った特攻隊の映画は、ずいぶん長くやっていたのだが。

その石原の作った戦争映画への、痛快なアンチテーゼの作品だ。場所は前回の京都から、東京の枝川になった。この枝川は1940年に作られた。幻の東京オリンピックのために、選手村を作る地域に住んでいた朝鮮人を、ごみ焼却場と消毒所しかなかった枝川に強制的に移住させた。D上さんはこの枝川に夜間中学を作る運動を長く続けている。

1974年の東京が舞台だ。国電はスローガンを車体に書いて走っている。今回もけんかのシーンから始まった。国電の運転手だった、藤井隆はそれがきっかけで国鉄を首になりアンソンたちの住む枝川に来る事になる。この藤井隆が実にいい味を出している。アンソンの妹キョンジャは芸能界に入る。

芸能界で語られる朝鮮人差別は、どこにでもある差別なんだろう。キョンジャは多くの在日の芸能人同様に日本人として、役者になる。海岸にアンソン一家などが集まり、宴会をするシーンでは「紅白なんて、在日がいなければなりたたない」というような会話がされる。キョンジャも芸能界で在日の役者と巡り会う。

アンソンの子どもチャンスは不治の病に侵されている。アンソンはお金を得るために、裏の仕事にも手を染める。金貸しは新屋英子さんが演じている。数分の出番だが、いつものように強いイメージを与えてくれる。

アンソンやキョンジャの父親が、戦争中に徴兵から逃げ出し、ヤップ島まで行き、そこでも日本兵に追われ、アメリカ軍の戦闘機に襲われ、ただひとり生き残るシーンが、ところどころで映し出される。

キョンジャは戦争大作「太平洋のサムライ」に主演することになる。別れのシーンに納得できないキョンジャ。そして、試写会では・・・。この朝鮮人宣言が強く心を打つ。「生き抜くんだ、どんなことがあっても」というアンソンの父親の言葉は、死線をさまよったのちに、生きて帰ってきた者だけが語れるものだ。

前作よりも、反戦の思いが強い。それは今現在の世相を現しているのだろう。みごとな反戦映画だ。石原の映画は未見だが、どちらがあの戦争を正しく描いているかは見なくてもわかる。

井筒監督はまたひとつ歴史に残る映画を作った。「世界を変えられるのは、やっぱり愛だと信じたい」

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2007年6月18日 (月)

梅雨だというのに。

木曜日に関東も梅雨入りした。しかし、それからずっと晴れが続いている。昨日も31.2度もあったそうだが、湿度が低いので過ごしやすかった。きょうもそうだ。まるで梅雨とは思えない天気だ。空梅雨らしいが、雨が少ないので水不足も心配らしい。世情もおかしいことだらけだが、天気もおかしい。

金曜日は北与野まで出かけた。HEAVEN'S  ROCKというライブハウスで「PANTA~響」のライブがあった。日本赤軍の重信房子とのコラボCD「オリーブの樹の下で」発売記念ツアーの初日だった。正確には3日の京都西部講堂がはじめなのだが、正式にはこの日がツアー初日だった。

ツアーといえばグッズだ。響のTシャツが売り出された。3000円。オリーブ色、白、黒と3色あった。やはりオリーブだろうなあと思い、それを買ったが、みんなに聞いてみたらやはりオリーブ色を買っていたようだ。CDの予約をすると、響と入ったギターピックがもらえるので、さっそく予約した。おまけに弱いのだ。

「破滅への招待」という頭脳警察時代の曲から始まった。満足できる2時間だった。ツアーを続けていくうちに、いろいろな曲が入ってくるだろうという期待が膨らむ。琢己くんも気持ちよさそうにギターを弾き、コーラスを入れていた。

帰りに池袋の西武線にあるジャンクフードショップで、今年初めての冷やし中華を食べて帰ってきた。mixiにセットリストを書いて、寝てしまった。土曜日は天気が良いのに、夕方まで寝ていて、あわてて歯医者さんに行った。1本歯をかぶせて、6000円くらい取られた。一体この歯医者さんにはいくら使うのだろう。

今朝はやはり遅くて、10時頃起きた。田舎の両親と兄に電話する。電話するくらいしか、できない粗忽者の息子である。納豆ごはんとアスパラを食べる。しばらく出かけて、夜になり帰宅。掃除機をかけ、トイレも掃除する。扇風機を出した。先週、温泉に行った時に買ったやつがしらの葉が伸びてきた。梅雨時にはこれだ。涼しげな感じがして、好きだ。

夜中になり、iTUNESにZARDと一青窈のベスト版を入れる。もうひとつ特別CDも入れる。これが途中で異常終了して手間取る。トラックナンバーだけの曲を見つけ、聴きながらなんの曲でいつのものか推定する。ゲームのようなものだ。iPodのプレイリストから、泉谷しげるを消して、ZARDを入れる。8ギガのiPodがもういっぱいになっている。PANTA、頭脳警察、AREPOS、小川美潮、村八分は全部入れている。あとはZARDと一青窈、高田渡、遠藤ミチローなどが入っている。竹内まりあもだ。うーん、節操のない選曲だこと。

むしむしした日が続くと、通勤が辛い。朝のラッシュで一日の体力の大部分がなくなるような気がする。明日も電話が鳴り続けそうだし、昼には組合の大会もある。夜は病院。今月で14年目に突入。長いなあ。

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2007年6月14日 (木)

6月でもまだ3回目。

うーむ、もう6月も半ばだというのに、この日記は2回しか書いてない。もう少し気合を入れます。

きょう13日は引越し記念日。この光が丘に越して来て10年が経った。その前は高島平に17、8年住んでいた。その前は下北沢だった。田舎にいたときは1回越しているので、今の家には10年くらいしか住んでなくて、そのまま東京に出てきた。ここは人生で2番目に長く住んでいる場所になった。ここはかなり前から住みたいと思っていた。住んでみて、結構気に入っているので、当分ここにいることになるだろう。「ましろ亭開店10周年」宴会をやらなければなあ。

先週の土曜日は元気に日帰り温泉ツアーへ行った。一晩寝れば、麻酔の効き目も切れた。しかし起きられないのだ。目が覚めるなり、「遅れる」とメールした。川越のおじょうさんふたりと、D上さんを1時間近く待たせてしまった。すまぬ。今回の温泉は、小川町近くの大川温泉。700円也。すべすべしたいい温泉だった。湯上りに生ビール。いい休日だ。マッサージはしなかった。

お昼はkateさんのお兄さん推薦のとんかつ屋さんに寄る。「ソースカツ丼3つに、猪汁セットひとつ、あとは串かつ2つ」と注文した。みんなと一緒は嫌いなD上さんは、猪にこだわった。運ばれてきたソースカツ丼を見て、びっくり。大きなカツが3枚も乗っているではないか。小皿はそのカツを置いておくためだった。1枚をD上さんにあげて、猪肉を1枚もらう。D上さんのセットのどんぶりも半ライスのはずが、十分一人前の量があった。

串カツは200円だ。それもジャンボだった。普通のカツ1枚分の大きさだった。さすがに残した。お店の人にパックをもらい、持ち帰りにした。しばらく揚げ物はいらないと思った。

豆腐店に行く。人気のあるお店らしく、店の前には交通整理の人がいる。観光バスも来るらしい。豆乳のソフトクリームを食べたかったが、おなかが一杯であきらめた。珍しいものを発見。わさび味のラムネと、カレー味のラムネを売っていた。初めて見たぞ、カレー味のラムネ。

車の中ではすぐ寝てしまう。うとうとしてたら、家まで送ってもらった。感謝、感謝だ。6時頃帰宅。宅配便で兄から、りっぱなアスパラが届いた。美味いのだが、こんなに量があってどうする。毎日、レンジでチンして食べているが、もう飽きた。他の食べ方はないのだろうか。

9時前にかわやんさんが来た。練馬でkoさんと仕事の話をしていたらしい。koさんも来るのかと思って、ご飯を4合も炊いてしまったが、食べてきたという。仕方ないので、お茶をすすりながら、四方山話をする。さすがにお昼のカツがきつくて、夕飯を食べる元気はなかった。

日曜日は8時頃起きたら、もうかわやんさんはコーヒーを飲んでいた。あわただしく、8時半頃に出かけていった。昭和女子大で取材があるそうな。忙しい人だ。

昨日はマッサージの日だった。家に帰るといつもぐったりしている。夕飯を食べて、お風呂に入ろうとしているうちに寝てしまった。6時頃、みのもんたの声で目が覚めた。電気もテレビもつけたままだ。窓も開いていた。シャワーを浴びて、出勤した。どうも風邪の引き始めみたいな具合で、一日調子が悪かった。吐き気がして、胃薬を飲んだりした。夜になったら、直った。暗くなると、調子が戻る。そうめんを食べる。

明日は組合の会議がある。時間をずらしてもらわないと、出席できない。夜は久しぶりの人と、飲み会だ。なんでこんなに毎日予定が入っているのだ。明後日からは、いよいよPANTA~響のツアーが関東に来る。年内は響と陽炎のツアーの追っかけだ。楽しいことはたくさんありますように。

遊んで暮らせるようにジャンボ宝くじと、サッカーくじを買った。一発逆転はこのふたつだ。6億円当たったら、どうしよう。

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2007年6月 8日 (金)

麻酔で心臓ばくばく。

歯医者に行く。インプラントの仮歯が痛かったのだが、やはりはずされ、付け替えてくれた。ついでに隣の歯を削られる。「麻酔打ちますね」。しばらくしたら、心臓がばくばくした。こんなのは初めてだ。医者に言うべきか迷ったが、結局黙っていた。治療が終っても、まだおかしかった。次の予約を入れ、それを手帳に書こうとしたら、手が震えて文字がうまく書けなかった。やはり、歯医者の麻酔とはいえ、結構怖いものがある。手の震えはしばらく収まらなかった。

精神科は今月で15年目に突入。長い期間になったものだ。先週、具合が悪かったことを話す。「なかなかウツが抜けないねえ」。低め安定のまま、ずっと来ている。このまま、一生付き合うものなのか。ウツも個性の一部にとは、良く聞く言葉だが、それはそれで結構辛いものがある。

夕べは寝ていて、右足が2度つった。寝ていて、足がつるとかなり痛い。久しぶりだ。今夜は療術の日。両足を右左に曲げていたら、左足の裏側がつった。これも痛かった。身体が堅くなっているのか。療術の日は身体がとてもだるくなる。さっきまで、いつの間にか寝ていた。

Sさんとかわやんさんが8月、9月に還暦となる。これはめでたいので、関西でお祝いをしようということになる。しかし、まず東京組の日程が合わない。8月末にしたいのだが、S先生に予定が入っているという。できれば、夏休み中にやりたいので、なんとか日程調整をしよう。有馬温泉を調べたら、結構高い。先日ネットの無料招待に応募したが、きっぱりと外れた。そうは世の中、甘くない。

ウノ・カマキリさんの故郷知立での漫画展は、今年が最後らしい。ウノさんは6月末に行くらしいが、もう予定が入っている。さて、どうしようか。

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2007年6月 4日 (月)

西部講堂とオリオンの三ツ星

9時起床。八条口の近くにあるこのホテルは、結構安いのに朝食付きだ。焼きたてのパンにジュース、コーヒーだけだが、これで十分だ。10時にチェックアウト。京都駅でお土産を買う。父親に父の日ということもあり、お茶を送る。荷物をコインロッカーに入れ、地下鉄に乗る。バスに乗り換え、京都大学へ。さすがに京都大学は、緑が多く、いかにもキャンパスという感じだった。西部講堂の場所を聞くが、数人から「ここの学生でないので、わからない」と言われた。環境がいいから、散歩でもしているのか。結局、守衛のおじさんに教えてもらった。

京大の西部講堂と言えば、ロックの殿堂のような場所だ。初めてその存在を知ったのは、村八分のライブアルバムのジャケットの写真だった。オリオンの三ツ星が描かれている屋根が、特徴的だ。ようやくその西部講堂に来ることができた。

「5.30リッダ闘争35周年記念全京都メモリアル集会」というのが、正式名称の集会だった。日本では日本赤軍によるテレアビブ空港乱射事件というほうがわかりやすい。多くのパレスチナ人が死傷したが、あの実態は全く違う。赤軍はイスラエル兵に銃を向けた。それに便乗したイスラエル兵がパレスチナ人を撃ち殺したのだ。実態が知られると困るアメリカと、日本による情報操作だ。

集会は「赤軍ーPFLP 世界革命戦争」の上映から始まった。日本赤軍に合流し、パレスチナに行った映画監督の足立正生の作品だ。今見ると、作品的には決して優良なものではないが、あの頃の熱気は伝わってくる。若き日の重信房子さんも証言をしている。やはりきれいな方だ。

足立監督とは集会の前に話しをする機会があった。「幽閉者の映画はDVDにならないのですか」と尋ねると、「8月になります」とのことだった。韓国やドイツの映画祭で上映された時に案内状が来たが、日本はビザを出さなかったとのことだ。「ドイツでは30年前の政治犯を、どんどん釈放しているのですがねえ」と語っていた。

その足立監督と重信メイさん、大学教授との鼎談があった。こちらはわかりやすかった。重信メイさんは、聡明な方だ。

そして、PANTA~響の演奏になる。気がついたら、会場は一杯になっていた。東京からは、レイニンさんやなかむらさんも来ていた。

「来歴」(重信房子作詞)、「7月のムスターファ」(PANTA作詞・作曲)、「ダマスカス」(ここからベルベッド・ポーの二人がコーラスで加わる)、「ライラのバラード」(重信房子作詞)、「オリオン頌歌第2章」、アンコールは「さよなら世界夫人よ」というセットリストだった。

正直、ひどいPAだった。ライトもおそまつ。「伝説の西部講堂だからなあ」とPANTAも苦笑していた。しかし、オリオンの三ツ星の屋根の下で、「オリオン頌歌第2章」が聴けるとは思わなかったので、興奮した。この西部講堂の屋根にあるオリオンの星は、リッダ闘争のあとに描かれた。三人の兵士は、「死んだら、オリオンの三ツ星になろう」と言って、出撃したのだ。PANTAの「オリオン頌歌」もこのリッダ闘争を非常に比喩的に歌っている。50分もの時間、唄ってくれた。

最後は重信房子さんからの、アピールが読まれた。京都に来て良かったと感じた。満足して、京都駅に行く。

駅ではおこづかい帳さんが待っていてくれた。1時間くらいしか時間がなかったが、九条のホルモン屋さんで飲んだ。わざわざ大阪から来てくれて、感謝。そしてごちそうさまでした。バリ島の話などを聞く。

かわやんさんが還暦で、岩井先生にも会いに来る予定があるし、関西方面も何度もこれから行くことになりそうだ。PANTA~響のライブもあるしなあ。何度、新幹線でコーヒーを飲む事か。楽しみは一杯あるほうがいい。

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2007年5月29日 (火)

ふたりの死。

農水省大臣の松岡利勝が自殺した。最初から謝っていたら、こんなことにはならなかったのではと思う。1本5千円のミネラルウォーターと言い張ったおかげの結果か。一国の大臣が自殺するとは何事か。そういう「責任」の取り方しかできないのは、戦争中の教えである「捕虜にはなるな、自決しろ」ということからなんにも変わってない。政治家の自殺なので、これからその真相とやらが新聞や週刊誌をにぎわすだろう。でも死人に口なしだ。こんなことしかできない人間を大臣にした安倍首相の責任は大きい。特に、あれだけ庇っていたのだ。一体何をもって、庇うなんてことができたのか。

30代の死亡者の原因で一番多いのは、自殺だ。こんな閉塞された国で、大臣までが死んでどうなる。国民に対して、なんの責任も持っていないということの証明ではないか。そんな人を議員に選んだ国民の責任も大きい。

駅売りの夕刊フジを買ったら、ZARD・坂井泉水さんが亡くなったと報じていたので、こちらのほうがびっくりした。入院中の病院でのできごとらしい。慶応病院といえば、今の職場のそばだ。事故か自殺かはっきりしないらしい。もう、あの歌声を聴くことができなくなってしまった。CDを聴いて、お悔やみをした。合掌。いい歌をたくさん聞かせてくれて、ありがとうございました。

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2007年5月27日 (日)

週末は寝ているのだ。

きょうはいい天気だった。また一日寝ている。夕方起きて、洗濯をする。ご飯を炊いて、ハムエッグとたらこで食べる。休みの日はほとんど1食だ。たらこは釜山で買ってきたのを冷凍しておいたものだ。ずっと野菜不足。野菜ジュースだけでなく、生野菜を食べないといけない。

ここしばらく睡眠障害が出ていたが、なんとか良くなってきたようだ。朝、目が覚める時間が不規則になってきたら、まずいことだ。これが4時頃、目が覚めるようになると、早朝覚醒と言って、完全に精神障害となる。でもずっと眠剤を飲んでないが、なんとかなっているので、大丈夫だろう。

来週は京都に行こうかと考え中だ。京都大学の西部講堂で「リッダ闘争35周年記念集会」がある。ゲストにPANTA~響が出て、「ライラのバラード」を歌う。映画「赤軍-PFLP・世界戦争宣言」の上映があり、監督の足立正生が出る。重信メイさんもゲストで出る。これはすごい集会だと、日本赤軍心情シンパは思うのであった。行くなら、前日から行って、岩井先生に会って来よう。先日電話したら、かなりめげていたので心配だ。

今週は月曜日に精神科、火曜日はマッサージ、水曜日は歯医者だった。特に歯医者はインプラントの仮歯を入れたので、10万5千円もかかった。病院代で破産しそうだ。仮歯でこの値段とは、びっくり。でも久しぶりに奥歯が入ったので、ものが噛みやすくなった。「舌をかまないように気をつけてください」と言われた。しばらく歯が無かったために、舌が自然にその場所に行ってしまうらしい。おっしゃるとおり、何度か舌をかんだ。痛いぞ。

さて、京都の宿を探そうかな。また懲りもせずにアパホテルか。

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2007年5月25日 (金)

あと1日。

だいたい木曜日頃には、だいぶ弱ってくる。体力ないなあ。

夜も更けてきたので、ひとつだけ。俳優の鈴木光枝さんが亡くなった。88歳だったという。劇団文化座の代表だった。盛善吉監督とは、旧知の間柄だった。映画「海姥」や、最後の作品「世界の友へ」では、ナレーションをやっていただいた。映画の雰囲気にあった味のあるナレーションだった。

「世界の人へ」が完成する前に、高島平で上映会をした。その時に講演をお願いした。戦争に関する話をしてくれた。心に染み入る話だった。

文化座の作品では、代表作の「おりき」を見せていただいた。幕が開くと、ぷーんと麦の匂いがする。ステージは畑のセットで、麦の世話をしながらの芝居だった。これも反戦劇だ。この時もだいぶお年を召していたはずだが、力強く麦を打っていた。

盛監督に関係する方々が亡くなっていく。寂しい限りだ。

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2007年5月22日 (火)

探しものはなんですか。

探し物はなんですか。見つけにくいものですか。年賀状が見つからない。名簿を作るために抜き出した分が消えてしまった。ついでに名簿が入っているUSBメモリーもない。

今夜は新聞の間かということで、古新聞を片付けた。新聞屋さんがくれる紙袋が4個できた。しかし見つからなかった。せっかく片付けたので、掃除機もかけた。久しぶりに窓までまっすぐに歩けるようになったのに、探し物は出てこない。探すのを止めた時、見つかることもよくある話で。

そうそう、ヨドバシカメラでシュレッダーを買ったのだ。カードの請求書などがたまって、大きな紙袋ふたつにもなってしまった。いつもは年末に手で破いているのだが、ここのところ面倒なのでそのままにしていた。一軒家なら庭で燃やしてしまえばいいが、マンションではそうもいかない。

で、安易にシュレッダーという発想になった。結構安い金額で買えた。静かで、動作時間が長いものを選んだ。あとは買ったことに満足しないで、毎晩少しずつでもガーガーやるだけだ。

USBメモリーもまた買った。1ギガだ。5800円だった。お気に入りやメールアドレスを入れておけるもので、これさえあればどのパソコンでも自分のパソコンと同じ環境で使える。また失くさないように気をつけよう。名簿も作り直しだ。

しかし、どこにいったのか年賀状とUSBメモリー。こんな狭い部屋なのに、神隠しか。カバンの中にもない。思いあたるところにもないということは、思いがけない所から出てくるのだろう。それこそ、あれまっ、だ。

そうそう、うまい牛タンを食べたD上さん。このパソコンはメモリーをきちんと入れ直したはずなのに、まだ突然再起動になります。どうして。

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2007年5月17日 (木)

地方巡業だ。

今のセクションは出張がない。毎日、パソコンに向き合っているのもあきる。そしたら、ちょうど組合関係の会議が入った。宮城県は松島の温泉で会議だ。前にも書いたが、今年は日教組所属の書記職員組合の委員長になったので、顔を出さなければならない。気分転換にはいいことだ。

景気がいい頃は、年に2回は全国あちこちで会議があったが、今は東京での会議ばかりだ。その他に日教組大会などに行くと、結構出て歩けた。仕事の出張が多いセクションにいた時には、全国を歩いた。真冬の北海道マイナス25度の世界から、翌週は25度の沖縄に行ったりしていた。その温度差、50度以上。真冬の北海道は遊びに行くならいいが、仕事では行きたくない。寒いというよりも痛い。

世の中の景気や組織労働者の組合離れもあり、そこで働く人たちにも、そのしわ寄せがきている。見通しは暗い。しかし、労働運動が衰退したままだと、世の中の右傾化がますます進む。なんとかしなければと、みんなで考えている。

日教組の組合員でいるのは、「教え子を再び戦場に送るな」というスローガンがあるからだ。イラク出兵で実際には、戦場に送ってしまったのだが、まだ徴兵制はない。教育労働運動が今踏ん張らないと、今の子どもたちが徴兵にとられ、アメリカの言うなりに世界中の紛争地帯に送られることになる。

資源もなにもないこの国が世界の中で生き残っていくには、アメリカの手下になるのではなく、平和憲法9条を世界に広めていくことしかない。理想と現実というかもしれないが、理想を追い求めないで、誰もが望む国など作れない。

しかし、国民投票法も成立してしまった。この3年の間に、平和憲法の尊さを国民に知らせていかなければならない。この法律ができたことで、平和勢力が負けたのではなく、国民投票で「NO」を言わせることが大事だ。身近なところから、行動に移すしかない。

「子どもたちを再び戦場に送るな」「憲法9条を守ろう」

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2007年5月14日 (月)

週末はライブ三昧。

木曜日に横浜でPANTA~響が出るライブに行き、翌日はまた寝過ごすという、なんだかなあという生活をしてます。

土曜日は髪を切り、急いで新宿へ。高島屋の上にあるHMVで、PANTA&中川五郎with THE DUETのインストアーライブ。「カヤポ」というこのグループで枚目のCDを出したので、その宣伝ライブだった。今回のテーマはアマゾンの熱帯雨林と原住民を守ろうというもの。さすがに参加者は社会派アイドルグループ「制服向上委員会」のファンばかりだった。そこに盛岡からねこのひげさん夫婦が登場。ミニライブを楽しんだ。CDを買った人には、サイン会もある。もちろんサインをもらう。

紀伊国屋で買い物をしてから、初台へ行く。ドトールでPANTAファンの皆さんと合流。ねこのひげさんから、7月の仙台ライブのチケットを買う。今年は何度仙台に行けるかと、カフェオレを飲みながら考える。

7時から「詩人たちの夜」というイベント。出演者は、THE  DUET、水中、それは苦しい、中川五郎、PANTA~響、南正人。中川五郎は、「腰まで泥まみれ」を歌った。60年代にこの曲を聴いて、かなりのショックを受けたものだ。日本のフォークソングは、この中川五郎や高石ともやなどから入ったので、「反戦歌」にこだわる。そこからJACKS、頭脳警察につながるのだ。南正人はいい感じに枯れたおじさんになっていた。水中、それは苦しい(バンド名)は、初めて聴いた。生ギターにバイオリン、ドラムという珍しい編成で、パンクっぽい曲を演奏した。ライブの数をこなしていけば、面白くなりそうな感じだった。

PANTA~響は、「ライラのバラード」英語バージョンから始めた。CDに入れるのはいいけど、英語ではメッセージが伝わらないので、やはりライブでは日本語で唄ってもらいたい。「7月のムスターファ」はやはりいい曲だった。フセインの息子の子どもを唄った歌というインパクトと、その内容が心を打つ。14歳の子どもがひとりでアメリカ軍と闘ったことを歌にした。アメリカ軍はフセインの血を根絶やしにするために、14歳の子どもを銃撃で蜂の巣にしたのだ。弾が尽きるのを待つことや、疲労困憊して戦えなくなることを待つ選択肢があったはずだろう。我々が知らないことがたくさんある。

長いインタビューの時間があり、全員で南正人の「上海帰り」を唄った。久しぶりに聴いたけど、やはり名曲だ。

で、きょうは渋谷で泉谷しげるのライブがあった。デビュー35周年記念で、35曲を歌うという。会場は椅子席だった。お客さんの顔を見ると、やはり平均年齢が高いので椅子は助かる。しかし、2部になってみんな立ち上がってしまい、後半2時間は立ったままだった。バックはギター藤沼伸一、ドラム大島、キーボード中西(だっけ?)、ベースは元黒夢の人で、みんな上手なのだ、これが。

藤沼伸一のギターは好きなので、十分に楽しめた。「観客と出演者の人命を考慮し」2部編成だった。人命を考慮してくれるライブは初めてだ。アンコールを入れて、36曲やった。すごい。還暦とは思えない。団塊の世代、侮るべからずだ。1曲目から全力疾走で、このペースで最後まで走れるのかと心配したが、杞憂に終った。最後までテンションの高さは崩れなかった。

会場で会った友人と飲んで帰ってきた。やれやれ、疲れたが楽しい週末だった。

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2007年5月11日 (金)

また遅刻した。

しかしまあ、今朝は目が覚めたら10時過ぎだった。言い訳もできない。3時間の遅刻だった。いくつになっても、サラリーマンには向かないなあ。でもフリーランスだったら完全に仕事を失くしているだろうから、サラリーマンで正解か。

はるるさん、コメントありがとうございました。PANTAファンとのこと。本日、横浜で菊池琢己とのユニット「PANTA~響」を聴いてきました。7月に発売される「オリーブの樹の下で」の中から、「ライラのバラード」(英語バージョン。訳詩は重信メイさん)、「来歴」(重信房子詩)、「7月のムスターファ」(PANTA詩・曲)を演奏してくれました。PANTA~陽炎で沖縄から北海道までかなりの回数のツアーをするそうです。九州でもあちこちでやるようなので、お楽しみに。(きょうのセットリストはmixiに書きました)

昨日は病院の帰りに、京橋のASK?という画廊でリサイクルアート展で落札した作品を受け取ってきた。ウノ・カマキリさんの「田原総一郎の立体画」と、林静一さんの「コロンブスの卵」の2点。ウノさんの作品は、「八・一トリオ」の壁に飾った。問題は林静一さんの作品。赤い座布団の上に卵が立っているのだが、本物の卵の中身を抜き、砂を少々詰めてあるだけなので、落したら割れてしまう。危なくて、飾れないので箱に入れたままだ。

林静一さんは高校生の頃に、ガロという漫画雑誌に「赤色エレジー」を発表した時からのファンだ。その人の作品を手に入れられたということで、満足なのだが、見方によっては卵1個にその値段を出すのかという話にもなる。そこが芸術なんだけど。芸術であると認めれば、適正価格で買うのは少しも惜しくない。卵の殻を前に、これを林静一さんが制作したんだということに感激できたのだから、りっぱな芸術作品だ。展示していた時はアクリルのケースに入っていた。あのケースがあれば飾っておけるのになあ。

ちばてつやさんの作品はいくらで落札されたのかを聞き忘れた。あれは欲しかったなあ。飾る場所がないけど。

昨日の検査結果も異常なしだった。これで体重が減れば、薬も減らせるらしい。カロリーオーバーにならない食事にしなければ。ズボンを買ったら、縦よりも横のほうが大きいのだ。笑い事ではない。根性ないなあ。

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2007年5月 8日 (火)

連休も終った。

連休後半は、テンションが落ちてしまい、3日と6日は一日中寝ていた。間の4、5日と足利に出かけたので、ゆっくりといろいろなことをする余裕がなかった。まあこんなもんだ。

きょうは帰りに病院に寄り、急いで帰ってきた。ユニクロでズボンを買う。ついでに半そでシャツを2枚。去年はいていたズボン(今はパンツというのか)は、なぜかしみができていた。帰宅後、冬物を仕舞い、夏服を出した。春、秋の服装というのがないのだ。冬用か夏用かのどちらかだ。で、洗面所のカーテンレールにつるして、おしまい。冬用はケースに仕舞い、防虫剤を入れておく。

それから年賀状探しが始まった。住所録を作り直していて、わからない住所を年賀状で調べようとしたら、無い。あちこちを探した。ついでに、ストーブを片付けたり、いろんな所から出てくる雑貨類を整理していた。

年賀状は物の隙間に落ちていた。わからないはずだ。ここまでで疲れて、住所録を作るのは中断した。パソコンを立ち上げたら、mixiにメッセージが届いていた。結構重要な内容だったので、数人に連絡する。

郵便では7月にPANTA~響のライブが仙台であるというはがきを受け取る。さっそくチケットを注文する。ネットでホテルを探して、予約した。予約のボタンを押したとたんに、画面が真っ暗になり、再起動がかかった。ここのところ、突然こうなる。長い文章を打っている途中でこうならないように祈るばかりだ。

再起動してから、楽天トラベルにつないで予約ができているかを確認する。どうにか予約はできていた。一安心。それから楽天でネットショッピング。また時計を買ってしまった。一体、この時計好きは直るのであろうか。まあいつも買うのは、1万円台のものだが。今回はセイコーのダイバーウォッチ。海外仕様を70%引きくらいで買った。ネットショッピングはほとんど楽天だ。

やれやれとお風呂に入る。今週は忙しい。もちろんアフターファイブの話だが。明日はマッサージ、明後日は病院と落札した作品を京橋の画廊に取りに行き、帰りはお見舞い。10日は横浜でPANTA~響のライブ。11日は歯医者。12日は昼は新宿でPANTAもからんでいるレコ発イベント、夜は初台DOORSでPANTA~響が出るライブ。13日は泉谷しげるのライブ。うーん、体力が続くか。

来週は組合の会議で、松島に行く。今年度はなんとEASU(教育、共済スタッフユニオン)の委員長になったのだ。日教組傘下の労働組合だ。組合員数も200名以上になる。(委員長なのに正確な組合員数を知らない・・・)。日教組の監査委員もあと1年の任期がある。委員長というのは、書記長などがしっかりやってくれれば、なんとかなる。(と勝手に思っている)父親の職業を継いだことになるのか。こういうケースも珍しいだろう。

松島の帰りに温泉に行くには、どこがいいだろうかと、ねこのひげさんにメールを送ったのはこのワタシです。秋保温泉がいいとのことなので、調べて見よう。何か楽しみが無ければ、やっていられないのだ。楽しみのほうが先だろうという声も聞こえるが。

そうそう、今夜はsikujuaさんに送る本も探していたのだ。ダブって買っている本を送ることにしたので、その本を見つけていた。結構あるのが怖い。単行本で買い、文庫本でも買っているなんていうのもあった。この積読状態のまま、文庫本が出てしまって、あれまと思うこともたびたびだ。なんとかせねば。

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2007年5月 6日 (日)

帰郷。

久しぶりに足利に帰った。今回は兄夫婦も一緒だった。川越まで電車で行き、車に乗り換え、足利へ向かった。昼を5人で食べる。これが事の他、両親には嬉しかったようだ。兄夫婦が帰った後、「こういうのはいいなあ」としみじみ言っていた。姉はまたたくさんのおかずを作ってきてくれた。ほぼ2週間ごとにおかずを届けてくれている。頭が下がる。

庭の木を切った。しかし、もう素人では手に負えない。シルバー人材センターを使うように言ってみる。雑草もそうだ。人間、80歳を過ぎると急に衰える。それは悲しいが、仕方ないことだ。手助けしてもらうべきところはやってもらうべきだということになった。週1回のヘルパーさんとはうまくいっているようだ。宗二だけでもやってもらうだけで、結構楽になっている。また他所の人が来ることで、刺激にもなる。

連休中とあって、足利の町にも人出が多かった。フラワーパークという藤の花で有名なところがあり、そこへの観光客がかなり来ている。ばんな寺もお祭で、たくさんの人がいた。子どもの頃は、このお祭が楽しみだった。特別にこづかいをもらって、遊びに行った。型抜きや、パチンコ、それに見世物などを楽しんだものだ。見世物はオートバイのショーや、大蛇やろくろ首など、いろいろあった。板に血をつけて、「はーい、いたちでござい」なんてものもあった。

きょうは駅まで帰りの切符を買いに行ったついでにあまから屋に寄った。主の源さんのお父さんが亡くなったという。店があるので、休まないということだった。86歳。2度の被爆にあった人だ。訃報を多く聞く歳になった。

父の自転車を借りて出かけたが、途中で鍵が壊れた。無理やり鍵を捻じ曲げて、乗れるようにして、自転車屋で新しい鍵に換えてもらう。そういえば、あまから屋でYくんに会った。中学の軟式テニス部で出会ったのだから、ずいぶん長い付き合いになる。「ホームページを毎日見ているけど、愚痴ばかりだなあ」と言われる。うーん、まあそういうものなのでと答える。

帰りにもう一度あまから屋へ顔を出す。豆かん620円を食べる。ここのは寒天も豆も自家製なので美味い。駅まで送ってもらう。奥さんの佳子さんから、お父さんのことを聞く。悲しい。

池袋で寄り道をする。西武デパートで「全国味の名品展」をやっているので、行ってみた。お目当ては大阪の551蓬莱の豚まんだ。お土産にもらって美味しかったので、買ってみる。ついでに餃子も買う。いろいろと試食してみる。有名店には長い行列ができていた。うにのおにぎりも美味しそうだった。北海道のメロンソフトクリームを食べる。甘いものを探して、和歌山のわらびもちにする。混ぜ物なしだそうだ。

盛岡在住のねこのひげさんからメールが届いた。7月にPANTA~響のライブが仙台であるらしい。日本赤軍の重信房子の詩にPANTAが曲をつけたCDの発売記念のライブが、あちこちであるらしい。仙台は土曜日なので、なんとか行けるだろう。

ライブと言えば、10日、12日のライブチケットがまだ届かない。事務所に電話してもいつも留守だ。どうも10日のチケットがライブハウスから届かないので、送れないらしい。連絡くらいくれてもよさそうだが。もう日がないのに大丈夫なんだろうか。来週は久々のライブ漬けだ。

やれやれ連休もあっという間に終る。次の長い休みは夏まで待たなければなあ。

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2007年5月 2日 (水)

最高裁って、なんだ。

夜も遅いので、手短に。

4月27日に日本の最高裁は、中国人の請求権を認めないという判決を出した。「日中声明で個人の請求権は放棄したものとみなす」という判断だ。強制連行され、過酷な労働を強いられ、その人生を狂わせられた人たちの意見を何も聞かず、門前払いにした。これは二審の広島高裁の判決を覆すものだ。これにより慰安婦訴訟など、他の戦後補償裁判でも全て敗訴になる。

国家間の賠償と個人への賠償は、全く別物ではないか。今なお、731部隊が遺棄した細菌爆弾により死傷している人たちがいる中国で、この判決が受けいられるものなのか。

重慶への無差別爆撃なども不問に付すということになる。戦争に対する謝罪、賠償を行わないで、主な裁判だけでも50件を超えている戦後補償裁判を全て幕引きとなってしまう。

人道に対する罪をどう償うかは、日本が世界に認められるための一番の方法なのではないだろうか。戦後補償もしないで、国連常任会入りなど笑止千万だ。

同じ日の新聞には、死刑囚3人に死刑を実行とある。

ああ、なんたる野蛮な国に生まれたことか。恥じを知る国民もいることを、どう表現すればいいのだろう。

「まだ最高裁がある」なんていう時代もあったではないか。こうして世の中は、どんどん戦争をできる国家にしていく風潮になることだろう。食い止めなければ。

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2007年4月30日 (月)

メーデーと雷と。

今年のメーデーは28日だった。この連合の発想にはまだ付いていけない。メーデーはやはり5月1日だろう。会場の代々木公園は結構な空間があった。我が日教組関係の人たちの参加も少なかった。祝賀会でもOBの人たちが目立った。若者から組合意識とか、労働者意識とかを奪ったのは、自民党政権の教育政策の勝利かと思う。日教組の機関誌にも、「若い先生は反対などという言葉に抵抗がある」という文章が載る時代だ。

「NEVER  TRUST  OVER  30'S」なんて、言葉は死語か。若者は体制に反発する存在ではなかったのか。雨宮処凛の「生きさせろ!」という新刊を読んでいたら、ワーキングプアな若者を生み出している社会が、保守化を生んでいるという指摘があった。雇用不安が、右傾化を生んでいるのだという。例えば、中国人に職を奪われた者が、中国を憎みだすという図式などがある。外国人労働者も日本人労働者も、雇用不安は同じ根っこなのに、それを知らされてないからだ。

正規社員になれず、フリーターでしか働けない層がどんどん増えている。また経営側もそれを望んでいる。いらなくなれば首を簡単に首を切れる働き手というのは、じつに便利な存在だ。正社員側もそういう層と一緒に働きながら、同じ労働者という視点では見ない。だから組合で守ろうなどという発想にはならない。労働組合加入者が減っているというが、正規社員が減っているからだ。

ワタシもアルバイトの人たちが不当に首を切られそうになった時に、支援したことがある。その後、会社側から相当なパワハラを受けた。労働組合出身だから、労働者の立場になって考えられるかというとそうではなく、全く逆の発想をする。過激派に属する人が経営側になってもそれは同じだ。こういう下地があって、非正規雇用者が増えていくのだろう。

しかし、ようやく「フリーター全般労働組合」が結成された。今後もこの組合の動きを見守ろうと思う。メーデーにも参加をしていた。「労働者」としての立場の共有化を、正規雇用者側から見られないと何も変わらない。

そんなことを思いながら、神保町の書泉グランデに行く。「人間交差点」全19巻を買う。外に出たら、真っ暗になっていた。雷も鳴り、大粒の雨が降ってきた。あわてて、駅へ急いだ。夜のニュースでは、異常気象だと言っていた。人間の営みの異常さを、天気が教えてくれているのだろう。

少しは家の中を片付けようと思ったこの連休だが、初日にして早くも一日中寝ていた。なかなか思うようにはならないこの身体だ。ストーブくらいは片付けたい。連休中に読もうと買った本は、中村うさぎ「プロポーズはいらない」「彼らの地獄、我らの砂漠」、弘兼憲史「専務島耕作」、西原理恵子「できるかなクアトロ」、弘兼憲史・矢島正雄「人間交差点」。漫画ばかりだ。漫画人間で育ってきたので、このまま一生読み続けるのだろう。

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2007年4月26日 (木)

歯が痛いぞ。

釜山から無事に帰ってきた。向こうでも歯が痛くて、よく噛めなかった。その歯をきょう治療した。右下の奥歯だ。インプラントはあごの骨に埋め込んだインプラントがしっかりつくまで、このままらしい。

麻酔を打たれた。嫌いだ、歯の麻酔は。がりがり削られた。途中で顔をしかめていたら、また麻酔を打たれた。型を取った。連休明けに入るらしい。今は麻酔が切れて、痛い。歯が痛いと、思考力がなくなる。2本の歯が痛むだけで、しおしおのぱーだ。

昨日釜山の空港でのできごと。手荷物検査で引っかかった。水ものはビニール袋に入れておいた。では、何?「このバッグには何が入ってますか」「えーと、キムチ」「それです。預けてください」。キムチも水ものになるのだ。そんなことはどこにも書いてないし、教えてももらえなかった。免税店で買ったオーデコロンも厳重に封をされた。

パソコンは別に何も言われなかった。なぜ。前は結構うるさかったのに。今回はパソコンが全く役に立たなかった。ここへの書き込みも、mixiへの書き込みもケータイでした。重い思いをして、パソコンなど持って行く必要はなかった。韓国へはケータイだけで大丈夫なのだ。充電でちょっと面倒なことがあったが、次は大丈夫だ。

パソコンは韓国のプロバイダーへの電話番号が表示されなかったのだ。どうしてか、わからないままだ。ちゃんとセットアップしていけばよかったのだが、どたばたしていて、ゆっくりセッティングする暇がなかった。

今夜はiTunesに入っている曲をチェックしていて、曲名などが何もないのを発見してしまった。なぜかわからない。オリジナルCDはそのつど曲名やアーティストの名前を入れているのに、トラックナンバーしかないのが結構あった。再生して、どのCDのものかを推測して曲名などを入れた。数枚のCDのものだったので、なんとかなった。25ギガくらいの量が入っているが、行方不明になっているのがある。これも?だ。なんとかしておくれ、MACさん。

もうこんな時間だ。お風呂に入って、寝なければ。今週は遅刻なしで出勤したいものだ。うわー、3時だ。おやすみなさい。

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2007年4月20日 (金)

アメリカと日本で銃声が。

アメリカのバージニア州にあるバージニア工科大学で、韓国人留学生が32名も射殺した。殺された中にはホロコーストを生き延びた76歳の教授もいた。教室に犯人が入ろうとした時に、撃たれながらも手でドアを押さえ、学生たちを避難させたという。犯人とされた学生が自殺したため、真相は明らかにならないだろう。銃社会の極限のできごとだ。もちろん大学側や警察サイドの後手にまわった行動にも大いに問題がある。

これを契機にアジア人に対する差別意識が顕在化しないことを願うばかりだ。

日本では選挙中の長崎市長が右翼に撃たれ、亡くなった。こちらは個人的逆恨みらしい。言論を暴力で抑圧する風潮を許してはいけない。情けないのは、我が首相の発言だ。狙撃直後、記者団に対して「真相が究明されることを望む」と語ったという。翌日になり、ようやく「民主主義への挑戦は許さない」と言ったらしいが、一度口を出た言葉は消えない。

90年にも本島市長が右翼に銃撃されている。「世界の人へ」で証言されている岡正治さんも市議会議員時代に、右翼に議場で暴力を振るわれた。長崎という町には、こういうことを続けさせる何かがあるのか。

銃を向ける相手は、あくまでも「後ろで操っているブタども」に対してだろう。選挙中の市長候補を後ろから銃撃するなどということがあってはならない。

自民党にはもうひとり愚かな議員がいた。防衛省大臣だ。「このままでは共産党が勝ってしまう」だと。首相も首相なら大臣も大臣だ。かわりに出馬したのは、娘婿だ。お涙頂戴で選挙に勝つつもりなのか。政見も何もない人間を祭り上げて、とにかく「共産党を勝たせない」ためにはなんでもするという図式だ。

えーい、こんな国にしたのは誰だ。ワタシであり、あなただ。政治を馬鹿にしたら、馬鹿にされただけの政治にしかならない。みんな、選挙に行こう。自民党と公明党の議員候補を落選させよう。

しかし、これで右翼が元気にならなければいいが。そして、暴力団も。不気味な社会にしてはいけない。暴力で言論を封じさせることがあってはならない。

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2007年4月17日 (火)

選挙だ、選挙。

都知事選は負けたが、まだ区長選と区議選がある。しかしだ、区議候補からは手紙が来たが、区長候補が分からない。まだ選挙公報も新聞に入ってない。相変わらず、新聞を読む気力がないので候補者がどういう人なのかがわからない。

こういう時はネットで検索だ、と先ほどまであちこちをうろうろしていた。板橋で一緒に市民運動していた人から紹介されたのは、社民党候補だ。北川かつしげという。新社会党からも案内が来ていた。どうして、こういう案内が来るのか不明だが、練馬の新社会党の代表者は元都高教の委員長だった坂牛某だ。協会派ではないか。すみません、路線が違うのですが。(こういうことを言っていると、ヒロシマあたりから抗議が来るのだな)

区長候補が良く分からなかった。まあ、今の区長が誰かも知らない。自民党と公明党の人だ。こういうのは落選してもらわないと困る。対抗は、さめじま宗明という民主党の候補者だ。日本新党などを歴任した、元衆議院議員らしい。民主党かと思ったが、社民党も推薦している。消去法でいくと、この人か。あとひとりは共産党だしなあ。今回の選挙は、事前投票をするので、早く決めなければならないのだ。明日あたり行ってこようと思っている。

22日は日本にいない。21日から釜山に行く予定だ。同行者は72歳の人。年配の人からは、人気があるのだ。「焼肉を食べながら、マッコリが飲みたい」と言うので、今回は釜山にした。3年ほど前にソウルに行った。焼肉やチゲを食べて、たいへん満足してもらえた。仁寺洞でマッコリを飲んでもらったら、いたく気にいったらしい。民族村でもマッコリを飲んだ。

500円玉貯金がちょうど旅行分くらい溜まったので、遊ぶのはすばやくと企画した。トラベルサポート空にお願いした。最近の飛行機のチケットは、現物が来るのではなくメールで届く。それをプリントアウトして、空港でチケットに換えるそうだ。現物のチケット発券は割高になるそうだ。パソコンを持ってない人は、それだけで割高になってしまう。京成スカイライナーもネットで予約したので、そんなものか。

ネットで予約と言えば、2日目に慶州に行く予定だが、その観光タクシーもネットで予約した。日本から韓国のタクシーの予約ができるのだから、便利になったものだ。1日で15万ウォンだった。ふたりなので、ちょっと割高だが、このくらいならいいか。日本円で1万7千円くらいになるのかな。

3日目は、チャガルチ市場で海鮮料理を食べ、釜山タワーに登り、国際市場をひやかすという予定。ありきたりの釜山ツアーだ。ロッテデパートや新世界デパートの地下街で買い物もするだろう。ロシア街は治安が悪いそうなので、そういうところはパス。

行きは2時の飛行機で、帰りは10時だ。成田から釜山への飛行機の時間は、どうしてもこうなってしまうので3泊4日にするしかない。まだ初日は夜の時間があるが、帰りは朝起きたらすぐに空港に行くようだ。

今年は海外旅行もこの1回だけかもしれないので、せいぜい楽しんでこよう。

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2007年4月15日 (日)

永田を見習おう。

IWGP王者若き棚橋に永田が挑んだ。実に永田にとって、5年ぶりのIWGPへの挑戦だ。雌伏5年は、永田にとって辛い日々だったに違いない。この間、新日にはいろいろな動きがあった。それは決して、選手にもフロントにもプラスになるものではなかった。それでも永田も棚橋もめげずに、乗り切った。そしてきょうの大阪体育館での試合は、見ごたえのあるものだった。こういう試合を続けていれば、客は戻ってくる。ロマン溢れる内容だった。結果は永田が勝ち、IWGPのベルトを巻いた。どんな境遇に置かれても、くさってはだめなのだ。己に打ち勝つ。この非常に難しいことを永田は行動で示した。わが身を振り返り、己の情けなさに忸怩たる思いを抱く。なあに、プロレスの話です。

きょうは暖かいいい天気だった。郵便局の前の歩道の両側に、八重桜の木が並木になっている。それが満開だった。八重桜もいいなあ。おじさんが三脚を持って、写真を撮っていた。横に並んで、ケータイで写真を撮る。桜の木も偉い。毎年、ちゃんと美しい花を咲かせている。それに比べ、この自分はどれほどの花を咲かせているのか。

花は弱いから、水やりをサボったりすると、すぐにしおれてしまう。友人の忠告を聞いて、せっせと水をやっている。これがやりすぎてもいけない。いい塩梅というのが、結構難しいのだ。一鉢75円のペチュニアも、100円の松葉ボタンもきれいに咲いている。パンジーも元気だが、吊り下げ型のパンジーは、復活途中だ。あちこちの花壇を見ているとパンジーは、今が盛りのようだ。この吊り下げ型というのが、すぐにコケが乾いてしまうので、水遣りのタイミングを間違ったら、しおれてしまった。なかなか復活してくれない。大事なものなので、もっと根性を出して、立ち直って欲しいものだ。

きょうの晩御飯は、玉子かけご飯にくぎ煮、その他だった。玉子は先週銀座の松屋デパートにある正直村のコーナーで買った有精卵だ。くぎ煮はばーどさんのおみやげ。カルシュームは怒りっぽくならなくなるので、必要なのだ。小魚を煮たもので、関西ではありふれた食べ物らしい。家庭でも作るらしい。

越中詩郎はヒップアタック一筋で48歳。惜しくもタッグのタイトルは取れなかったが、あのバーナードをバックドロップで投げた。なんでもこれ一筋というのは大したものだ。なあに、プロレスの話ですがね。

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2007年4月13日 (金)

国民投票法案成立。

2007年4月12日は、歴史に残る日になるだろう。「国民投票法案」が与党の強行採決で成立した。野党と言えども、民主党は「改憲」政党なので、結果的には成立したに違いない。しかし、これで「憲法改正」が具体的になった。戦争をできる国家にするのが、この法律だ。

日米安保条約を作ったのは、岸信介だ。今はこの孫の安倍首相が「国民投票法」を成立させた。憲法9条に「軍隊を持つ」ことを明記し、戦争への道を突き進むことになるのか。「平成」生まれが、徴兵に取られる。国民総動員法でもできたら、また火たたきで、空襲に備えるのか。

時代は大きく右旋回した。ひとりひとりがどう動くかだ。都知事に再選された石原などは、今頃大笑いをしていることだろう。

話はかわるが、先日、団地の中を自転車に乗っていたら、道端で話し込む中東あたりの男の人たちがいた。そこへ警官が来た。一度は通り過ぎたが、すぐに戻り、その男たちに職務質問をし始めた。その横を行き過ぎながら、じっと見ていた。信号待ちをしていたら、その警官に追いつかれた。「その自転車はいつから乗っているのか」「ずっと」「名前は」「そこに書いてある」。そんな会話を警官とした。

白人以外の「外国人」は犯罪者として見ているのが、警察だ。少しは後ろめたいのか、その光景を見ていられると、このようなことをする。たぶん恫喝しているつもりなんだろう。警官がどういう教育をされているのかが、この一件だけでもわかる。

今、中国温家宝(うぇんちあばお)首相が来日している。きょうの午後、市谷あたりの外堀通りをタクシーに乗って通りかかったら、たくさんの白バイに出会った。温首相の行動と関係があるようだった。右翼と見られるじいさんが、警官に押さえつけられていた。出勤時、迎賓館前あたりで機動隊員を多く見た。

警官、機動隊員、自衛隊員の制服姿を見ると、興奮してアドレナリンが出る。できれば、石でも火炎瓶でも投げたいところだ。戦争できる国家になったら、こういう輩が、幅をきかせてくるのだろう。

温首相は国会で、「態度の表明と約束を実際の行動で示すように」求めたらしい。そう、言うだけなら誰でもできる。靖国神社に行くことが、「愛国心」なのかということだ。日本軍により強制的に性奴隷にされた「慰安婦」を認めない安倍首相は、この後どういう態度をとるのか。

国家による拉致は犯罪だ。しかしこの国は、わずか60年前に隣の国から数多くの人間を拉致して、強制労働させ、殺してきた過去を持っている。まずは自らの誤りを認め、謝罪し、賠償するべきだろう。それをやってから、初めて北朝鮮による拉致を追及することができる。自分にやったことを知らん振りしていては、国際的に認められないだろう。未熟な国だ。

で、問題は「国民投票法」だ。幸い今年は選挙の年だ。反自民、反公明の立場を明確にしよう。石原を選んだ東京都民としては、その雪辱をしなければならない。

「いつまでも君たちの思い通りになると思ったら、大間違いだ」

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2007年4月 9日 (月)

八・一トリオ展無事終了。

土曜日は川越のおねーさんたちと、「八・一トリオ展」に行ってきた。その前に歯医者さんに寄り、抜糸をしてきた。その歯医者さんの時間を1時間間違えて、おねーさんたちと、銀座でかつを食べることができなかった。残念。ふたりとも、この3人の人たちの作品が好きなので、じっくり見ていた。kateさんは成田さんの「To The Bar」の本にサインをしてもらっていた。HSさんは、開明墨汁を買い、ウノさんにサインをしてもらっていた。

3人で銀ブラをした。その前に、伊東屋で買い物をした。招き猫の絵が入っている一筆箋を買う。この伊東屋は一日いても、飽きないところだ。店内のあちこちに「八・一トリオ展」の案内ポスターなどが張ってある。あれは終了したらどうなるのだろう。欲しいなあが本音。

喫茶店でお茶をしてから、デパ地下で買い物をする。正直村の玉子と納豆を久しぶりに買う。ここのは少々高いが美味しいのだ。帰りに東芝ビルに行き、本場中国の麺を食べる。美味しかった。はしごという店だった。

きょう、9日が最終日。折りよく、神戸からばーどさんが出張で来るという。連絡を取り、最終日にも展覧会に行くことにする。でも6時までだ。どうする。結論は簡単だった。仕事を早引けすればいいのだ。

都合4回、顔を出したがどの日もたくさんのお客さんがいた。初めて3人の作品に触れる方も多かったようだ。きっと楽しんでくれたことだろう。3人のコラボ作品にも値段が付いていた。買える値段ではないし、飾る場所もない。楢さんの作品で、前から欲しかったものがあった。mixi用に描いた絵だ。コラボの顔にも欲しいものがあった。みんな欲しいのだ。

おこづかい帳さんも注文していったようだ。「酒宴」という猫たちがテーブルを囲んでいる作品だ。これは新しいお店に合うことだろう。ばーどさんは、楢さんに「鳥、それもインコの絵を描いてください」とお願いしていた。成田さんの鳥の作品にも、ぴくぴくしていたがどうするのだろう。

6時になり、会場を後にした。帰りの時間もあるので、東京駅に行く。2時間飲み放題千円の店に入る。ばーどさんはmixi用にホッピーを注文して、写真を撮っていた。今回はふたりとも、記憶を飛ばさずに、しっかりと正気で話をした。昨年は1軒目で記憶を飛ばしていたので、何も覚えてない。少しは学習をし、今回は大丈夫だった。

いろいろな話をし、同じ「匂い」を実感した。やはりこの人に関心を持ったのは、この「同じ匂い」なんだろう。人間関係はこういうことが大事だ。先日おこづかい帳さんから聞いた話と合わせると、なかなかすごい女性だこと。老後のお茶飲み友だちを紹介してくれて、おこづかい帳さんありがとう。人との輪がまた広がった。ばーどさんも楢さんとマイミクさんのお願いをしていた。mixiも最近は、人との輪を広げてくれるもののひとつになっている。パソコン関係の道具は、要は使い方なんだろうけど。

マイミクさんと言えば、土曜日にPANTAと菊池琢己の「響」を聴きに、京都に行ったHさんからメールが届いた。そうか、そうかと思い、5月にPANTAが出演するライブのチケットを慌てて取った。歯が痛いだの、腰が痛いだのと言っている場合ではない。今、現在を楽しんで生きているか、それが大事なんだ。

それにしても、都知事選の結果は、281万対169万だ。みんな石原くんで満足なのか。このままでは大変なことになる。そういう想像力が働かないのが不安だ。

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2007年4月 7日 (土)

八・一トリオ展

4月2日から銀座・伊東屋で「八・一トリオ展」が開かれている。初日は病院もあって、仕事を早引けして出かけた。3人とも力作揃いだった。楢喜八さんの絵は、どれも欲しくなるし、ウノさんは新作武士シリーズを出しているし、成田さんの切り絵は相変わらず鋭い。障子に3人の作品を並べているのが欲しかった。

終了後、みんなで飲みに行く。さすがにアルコールはまずいと思ったので、柚子茶を飲んだ。豆乳鍋が美味しかった。ひでこさんなど、ウノさんのファンの方と話す。「ましろ亭というのをやってまして」「ああ、料理屋さんをされているのですか」。光が丘で先生をされている方もいた。

4日はおこづかい帳さんが実に久しぶりに上京した。もちろんこの展覧会を見るためにだ。前日に急遽、神戸在住のばーどさんも参加表明する。いやあ、このおふたりが来るというので、東京の空もびっくりして、雷は鳴るし、19年ぶりに4月なのに雪が降った。

koさんとD上さんも会場に見えた。「あなたがあのD上さんですか」というような会話がされた。この展覧会は会場にいる人が、みんなにこにこ顔になるのがいい。7時に終了して、みんなでライオンに行く。もう雨も止んでいた。

ライオンで大ジョッキを空ける、空ける。何杯飲んだのか。まずは、おこづかい帳さんとばーどさんの来訪を祝して、乾杯する。話がはずんだ。「2軒目に行きましょう」と成田さんが提案する。異議なし。

SAMBOAというバーに行く。ワタシはこの日は久しぶりに飲んだので、この時点で目玉が回っていた。ばーどさんも怪しくなっている。ウノさんはコースターの裏に、ばーどさん宛てのサインをしていた。10時にばーどさんは次の地へ行った。無事に行けたのか心配したが、なんとかなっていたようだ。11時過ぎにお開きとなる。成田さんとおこづかい帳さんは、さらに次の店に行く。

5日は、夕方小伝馬町でkoさん、おこづかい帳さんと待ち合わせる。koさんの子ども時代の同級生がやっているお寿司屋さんに行く。前日、おこづかい帳さんが「銀座の寿司が食べたい」と言ったので、「では美味しいお寿司をごちそうしましょう」ということになったのだ。寿司富というこのお店は、いつ行っても美味しい。この日はさばが絶品だった。

しかし、おこづかい帳さんの箸の動きがにぶい。「二日酔いが醒めない」とのこと。お茶を頼んでいるではないか。あのおこづかい帳さんにもこんな日があるのかと、びっくりする。かわりにワタシがたくさん食べた。たこ、まぐろ、玉子焼き、さわら、くじらのベーコン、貝、何を出されても「美味しい」の一言だった。

帰りに池袋のライム・ストーン・ウォーターに寄る。ここもkoさんの幼馴染がやっているショットバーだ。今夜はピアノの生演奏だった。バーボンを飲む。前日はひどく酔ったが、この日は気分良く酔えた。

1時過ぎにおこづかい帳さんと光が丘に着いた。3時過ぎまで、D上さんの梅酒を飲みながら、話をする。寝たのは4時頃だった。

今朝はまだ寝ているおこづかい帳さんをそのままにして、仕事に行く。すると電話が入った。「鍵をポストに入れてから、部屋にケータイを忘れたことに気づいた」とのこと。しばらくしたら、メールが届いた。「ダイエーでガムテープを買い、棒の先につけて、なんとか鍵を拾った」と言うではないか。すごい。近所の人に見られないでよかったねえ。

おこづかい帳さんは、koさんに紹介された南千住の尾花という鰻屋さんへ足を運んだ。実に美味しかったというメールが届く。うーん、行ってみたい店だ。それから山谷をぶらぶらして、再び銀座の展覧会に行ったそうだ。楢さんにも会えたと嬉しそうだった。

今度は「ましろ亭」で宴会をしましょう。また次は10年後なんて言わないでくださいね。次なる人生の成功をみんなで祈ってます。ばーどさんもまた来てください。こうやって、つぎつぎに人の輪が広がっていくのは、楽しいことだ。

さて、明日は川越の熟女の方々と展覧会に行く。その前に歯茎の抜糸に行かなければならない。

あの障子の作品が欲しいなあ。開明墨汁の宣伝板はもらえることになったから、いいか。はい、開明墨汁のキャラクターをウノさんが描いている。可愛い黒猫だ。みなさん、ウノさんのキャラクター入りの開明墨汁を使いましょう。

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2007年4月 2日 (月)

歯医者さん、その後。

きょうは消毒に行ってきた。無料だった。インプラントの料金に含まれているようだ。「タバコを吸ってる人や、糖尿病の人や、高血圧の人は傷の直りが悪いのですよ」と言われた。うーむ、全て当てはまっているではないか。どうりで、痛いわけだ。

今朝起きたら、顔の左側が腫れているのに気づいた。もともと下膨れの顔なのに、きょうはいつもの4割増しくらいに膨れていた。目も見づらいし、頭もずきずきする。なんだか、大変なのことをしてしまったみたいだ。

おこづかい帳さんや、かわやんさんから「アフターケアーが大変だよ」とは言われていたが、その前から大変な思いをしている。

お医者さんが、「あごの骨を削って、それをインプラントを入れるところに埋めた」と言っていた。今の医学ではそんなことができるのだとびっくり。そんな手術の後に、シャワーを浴びて、マッサージに行ったのはいけないことだったのかと今更ながら、思った。(遅いって>と、自分に突っ込む)

頭の部分が左半分はずきずきモードで、右半分は普通モードというのは、なんかすごく違和感がある。歯といえば、前歯2本の神経が突然腐ったことがある。金曜日の夜から痛みだし、土、日と熱まで出た。その痛みが、今までの人生で一番の痛さだった。十二指腸潰瘍の痛みよりも、上だった。今回のはどのくらいなのか。潰瘍よりは、下だな。指をぶらんこのつなぎ目に挟んで、爪がはげたことがあるが、あの時は元従軍看護婦だった母が、「消毒だ」と言って、消毒液を傷口に振りかけたことがあった。あれも痛かったなあ。今回もそういう「痛み」の記録に残るかもしれない。

「幽閉者」のような拷問にはとても耐えられそうも無い。根性なしと呼んでくれ。

4月2日から、銀座の伊東屋で「八・一トリオ展」が始まる。楢喜八さんのイラスト、ウノ・カマキリさんのひとこま漫画、成田一徹さんの切り絵と、天下一品の作品がいっぺんに見られる機会は、そうはありません。ぜひ、伊東屋さんにおいでください。4日の夕方には、大阪から生おこづかい帳さんもみえます。お酒飲みでしたら、朝までおこづかい帳さんが付き合ってくれます。作品の購入もできます。お手軽な値段でも買えますので、ぜひお求めください。「好きな芸術家の絵の一枚も買えずに、何が文化人だ」と言ったのは、筒井康隆さんでしたか。別に文化人になる必要はないのですがね。

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2007年3月31日 (土)

歯医者さんとマッサージ。

きょうは風が強いので、桜の花びらが散っている。風に舞う桜の花というのも風情がある。

歯医者さんの日だった。ついにインプラントにするのだ。いつもの診察室ではなく、個室に通された。まず口の中の写真を何枚も撮られる。で、嫌いな歯茎への麻酔を多量にされる。その後は、口だけ穴が開いている布をかぶされたので、何をされているかよくわからない。

メスで歯茎を切った。ドリルであごの骨に穴を開ける。これはかなりの時間がかかった。途中で口の開け方が悪いらしく、ジャッキのようなもので口を開けたままにされた。あごが外れるかと思った。最後は糸で縫っている感じがした。

終って、時間を見たら1時間くらいだった。口をゆすいでも、あまり血は出てなかった。院長の話では、歯を入れる土台を作ったようだ。歯茎から異物が上に出ている。ここに歯を入れるらしい。

支払いは○○万円。気絶しそうな額だ。きょうは半分だけ払った。

それからマッサージに行く。着替えようとして、着替えを忘れたことに気づく。麻酔で頭がぼーっとしているみたいだ。ずっと腰が痛いことを話す。75分、療術をしてもらい、ずいぶん楽になった。

夜になったら、手術のあとが痛んできた。麻酔が切れてしまったみたいだ。頭が痛くなるほど、痛いぞ。もらった痛み止めを飲む。まあ、腰は痛いは、口の中は痛いはと、大変な状態。歯茎もだいぶ腫れてきた。こうなると、自分はMではないと確信できる。

マッサージを受けると、身体がとてもだるくなる。シャワーくらいにしておくようにと言われている。歯医者さんにもきょうのお風呂は控えるように言われた。これでお風呂に入り、血行が良くなったら、出血大赤字になってしまうに違いない。

痛いのは嫌いだ。思考力も衰えている。早く寝よう。

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2007年3月30日 (金)

桜が満開。

ここ数日暖かい日が続いたので、きょうは桜が満開になった。今年もお花見の声がウノ・カマキリさんからかかった。「豊島園に集合」。豊島園は遊園地だが、お花見の季節だけ、午後4時から入場無料になる。偉いぞ、豊島園。家族連れ、カップル、友人同士など、たくさんの人が来ていた。

ウノさんは手製の「八・一トリオ展」の旗を持って、出迎えてくれた。今年の参加者は、ウノさん、kateさん、mappleさん、D上さんの5人。梅酒にビール、おでん、焼き鳥、フライドチキンと、外で飲んだり、食べたりするのは美味い。

ウノさんからJAPUNCH漫画集をいただく。お土産つきだ。これまた嬉しい。満開の花の下で、楽しい時間を過ごせた。今度は庭の湯に来ましょうね。ここ豊島園には温泉もあるのだ。

昨日はパソコンのメモリーを大盛りにした。どうも動きが悪いので、新宿に行ったついでに、ヨドバシカメラでメモリーを買った。本体をばらす。適当にねじをはずした。何か部品が落ちた。余計なねじまではずしたらしい。えいやあと周りのカバーをはずす。メモリーを差し替える。512メガが2ギガになった。元に戻すのにも、手間取ったがメモリーを認識しているので、良しとしよう。カバーがちゃんと入ってないようだが、目をつぶる。こういうところは、実にいい加減だ。

少しは動作が速くなった気がする。でも結構高かったぞ、メモリー。歯にお金がかかるので、新しいパソコンはあきらめた。メモリー増設で満足だ。

昨日は病院の日で、今月も血糖値関係はOKだった。「あとはやせれば、他の数値も下がりますよ」。そうなのだ、うっかりしていたら、かなりリバウンドしている。これはまずい。節制しよう。

その後、ぬいぐるみの展覧会に顔を出す。「チャウ∞テセイ」さんという若い女性が始めての個展を開いたのだ。mixiで「ぜひおいでください」というメッセージをもらったので、見に行った次第。まさかこんなおやぢとは思わなかったろう。せっかく足を運んだので、同じ誕生日のぬいぐるみをひとつ買ってしまった。うさぎだったか。作者とも話しができた。漢字にすると、「茶兎∞手製」だそうだ。ホームページの紹介もしてくれと言われたが、アドレスを忘れた。

早くお好み焼きが食べられるように、体重を減らそう。って、何年言い続けているんだろうか。真剣みが足りないなあ。

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2007年3月26日 (月)

週末はごろごろ。

今週末は天気が悪かったので、二日とも家でごろごろしていた。ひたすら何もしない。昨日は洗濯だけで、後は寝てた。風が強く、雨も降っていた。

今朝は宅急便のお姉さんに起こされた。古くからの友人から、食パンが2本も届いた。あれって、何斤というのだろう。とりあえず、お昼はパンにして、ハムエッグにトマトを食べた。残りは冷凍にした。隙間を作るのに苦労した。夕方まで、ごろごろして、5時頃ごみを捨てに行く。冷蔵庫を整理した時のごみになったものが、重い。やはり、コマメに整理してないといけないのだ。

珈琲を淹れて、DVDを見る。「力道山」をようやく見た。朝鮮人のため、この日本での相撲界に限界を感じ、プロレスラーになる。日本人として、生きていくための苦悩が良く描かれていた。「貧しい朝鮮人はこの国では笑ってはいけないのだ」というせりふが重く伝わる。

北朝鮮に物資を送るシーンなども入れれば、もっと故郷との関係が伝わったのにと思う。韓国映画だから、描き方にも制限があったのか。自分以外の者を誰も信じられない生き方というのは、辛いものだ。街頭テレビで力道山を見たことを思い出した。もちろん日本人が白人をやっつけることに快感を覚えていたのだが。そこにあった苦悩などは、思いもよらなかった。

最近の週刊誌で、力道山が死んだのは病院での手当が悪かったからだということを知った。別の病院だったら、亡くなることはなかったということだ。しかし、力道山が長生きをしていたら、日本のプロレス界はどうなっていたのか。馬場と猪木の確執による、プロレス人気の継続という図式にはならなかったに違いない。しかし、力道山はその内実はどうあれ、プロレスを日本に定着させた功績は大なるものがある。

友人の経営する小さな焼肉屋を訪ねるシーンが、妙に心に残った。孤立して生きる男が、心のよりどころにしたのはやはり同胞のところだった。しかし、その同胞は北に帰ると言う。その話を聞いた力道山の寂しそうな顔が印象的だった。

夕食も食パンを食べる。これからしばらくパン食だ。その友人というか、説明し辛い人からの贈り物というのが嬉しい。とても心が暖かくなるようなことなのだ。長い時間が経っても、心はつながっているということが、気持ちをほんわかさせてくれている。勝手にそう思っているだけかもしれないが、それでもいいのだ。

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2007年3月23日 (金)

歯が痛い。

と言っても、虫歯ではない。下の奥歯が上の歯より少ない。するとどうなるか。上の歯が下に落ちてきてしまうらしい。らしいというのは、自分では実感できないのだ。歯医者さんはそのことをずっと言っていた。きょうは歯医者の日だった。いきなり麻酔を何本も打たれ、上の歯を削られた。その前にかぶせた金属を取っていたか。その麻酔が切れたら、痛むのだ。どうも、今度の歯医者の院長先生はやりかたがかなり乱暴な気がする。削りながら、「口が大きく開かない」とか「べろが大きい」というようなことをしゃべっている。うーむ、べろが大きいと治療がしづらいらしい。歯医者というのは、簡単に麻酔を打つが、ショックでも起こしたらどうするのだろう。

痛む歯を抱え、気を紛らわせるために、冷蔵庫の中を整理した。まあ、脈絡はないことだ。すると、あるある賞味期限切れのものが。ごみ袋いっぱいになった。おかげで冷蔵庫の中が、すっきりした。ワインとお茶くらいしかない。ずっと賞味期限切れのものを冷やしていたのだ。

夕飯にハムエッグを作りながら、油の賞味期限を見たら、もう1年前くらいの日付だった。これも捨てた。天ぷらなんてものは作らないので、油の消費量はたかがしれている。今度はもう少し小さいのを買おう。

ベランダの花に水をやる。クロッカスが咲いている。ムスカリがまた今年も咲いてくれた。滅多に肥料もやらないのに、健気なものだ。チューリップもずいぶん大きくなった。沖縄朝顔は枯れたと思っていたら、新芽が出てきた。これも根性ある。暮れに買ったシクラメンもまだ元気に咲いている。去年の沖縄旅行で買ってきたハイビスカスの棒が、葉を茂らせている。今年あたりは咲くのかな。

おこづかい帳さんは新しい船出をするそうだ。幸多かれと祈る。そういえば、3月23日はおこづかい帳さんの誕生日だ。八・一トリオ展に来るようなことを言っていたので、迎える準備をしなければ。何年ぶりの上京か。

人間は歯が痛いだけで、考えもまとまらなくなる。所詮、小さな生き物だ。痛いと言えば、右の背中が痛い。身体を動かしても、痛みが走る。ネットで調べたら、すい臓は左側が痛むらしいので、それではなさそうだ。なんだろう。肋骨らしい。骨を触ると痛い。内臓ではないみたいだ。長生きしたいなあ。

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2007年3月21日 (水)

桜が咲いた。

昨日、東京で桜の開花宣言がされた。沖縄に続いて、2番目だという。桜の花が咲くと、一年で一番うきうきする。春が来たのだ。今まで見た桜で思い出すのは、長野の安曇野に咲いていた桜の古木とか、京都の丸山公園のしだれ桜とかだが、どこで見ても桜はいい。今年のお花見はどうなるのかな。

腰は痛いが、昨日マッサージに行きずいぶん楽になった。倉庫整理で重いものを持ったりしたのがいけなかったらしい。だから、「はしより重いものを持ってはいけない」のだ。でも、ばーどさんが言ってくれた、「すい臓とかは大丈夫?」とのことは、実は心配しているところだ。内臓疾患は結構腰痛に出たりするらしいし、今度病院に行ったら医者に聞いてみよう。飲んだ後に、痛むというのが気になる。

慰安婦について書いたら、知らぬ人から「小林よしのりの本を読め」という書き込みがあった。すまぬが小林よしのりの本を読むほど、暇ではない。嫌韓本のたぐいは、全く無視だ。元「慰安婦」の話を聞いてまで、そう思えるのか。

今朝、新聞を読んでいたら訃報欄に「鴨志田譲」と出ていた。あのかもちゃんが、腎臓癌で亡くなった。フリーカメラマンで、戦地での写真などを撮っていた。ワタシが敬愛する西原理恵子とブラジルのジャングル取材で知り合い、結婚した。鴨ちゃんが文章を書き、りえぞう先生が絵を描いた「アジアパー伝」などの共著がたくさん出ている。鴨ちゃんのペーソスあふれる文章が好きだった。

なんどもアル中で入院した。ついにはりえぞう先生から、追い出された。でも喪主はりえぞう先生がするらしい。みんな癌で亡くなっていく。悲しい。合掌。

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2007年3月19日 (月)

東京に初雪?

どうも先週の金曜日の朝、5分くらい雪が降ったらしい。7時頃だというが、そんな時間にはまだ起きてない。観測史上最も遅い初雪だったとか。桜も咲き始めているのに、天気は気まぐれだ。先週からやたら寒いしな。

その金曜日は日教組の中央委員会があった。監査委員なので、ずっと壇上にいなければならない。これが結構疲れるのだ。役得なのは、お昼のお弁当が出るくらいだ。議案に対する修正案は81件もあった。ほとんどが、本部より取り下げを願い、それが通り、採決に付されたのは数件だった。これは全て「少数否決」になる。議案もコンパクトにまとめられるようになり、読みやすくなった。どうしても、記述に不足感が出るのは仕方ない。

4時頃終了して、お役目御免。新大久保へ行く。友人と韓国料理を食べようということになっていたのだ。その前に、100円ショップに寄り、韓国スターのお店にも寄る。チェ・ジウのカレンダーや、写真集を買い込んでしまった。カレンダーは時期はずれなので、半額になっていた。

いつもは、年に数回ソウルへ行っているが、さすがに昨年くらいからメンバーの親が倒れたりして、出かけられなくなった。それなので、気分だけでもと新大久保のコリアタウンで、食事をした。ニューカマーの店で、日本語がほとんど通じない。「故郷はどこ」と聞いたら、「テグです」と言っていた。確かテグには、「さやか」の先祖を訪ねる旅をしたことがある。カムジャッタンやチヂミなどを食べたが、どれも美味しかった。

途中でいつもの胃痛が始まる。痛み止めと胃薬を飲んで、抑える。帰りには、腰が痛くなり、休み、休み帰った。この飲むと腰が痛くなるのは、なんなのか。飲んだら血行が良くなるから、痛くなくなると思うのに、すごく痛いのだ。これは困る。

土曜日には、長崎の朝鮮人被爆者協議会の初代会長の李奇相さんのお子さんから、DVDのお礼にカステラが届く。福砂屋のカステラは好物なので、嬉しかった。一番嬉しいのは、李奇相さんのお孫さんにハラボジの姿を見せてあげられたことだ。盛監督や根田さんが生きていたら、とても喜んでもらえたのにと思う。

きょうはDVDを2本見た。「フラガール」は、なかなか泣かせるストーリーだった。さすがシネカノンの作品だ。李相日監督は丁寧な作りで、見せてくれる。蒼井優、豊川悦司、松雪泰子、富司純子などの出演者の演技も光った。これは実話だ。滅び行く炭鉱を新しい発想で、ハワイに作り変えるという、成功しなかったら単なるほらふきに終っていたところだ。それを成功させたのは、女性の力だ。やはり女性はすごい。蒼井優などの女優は自分で踊りまで覚えたのだから、大変だったろう。それがラストシーンの感動的なフラになる。邦画が元気だ。

もう1本は、韓国映画「トンマッコルへようこそ」。朝鮮戦争を舞台に、戦争を知らない理想郷のような村に舞い込んだ韓国軍、北朝鮮軍、連合軍の兵士が村人との関わりの中で、心の平穏を得るという話だ。ラストシーンでは、どんな戦争も無意味で必要ないものだということを思い知らされる。カンヘジョンが、この村を象徴するような少女役を好演している。戦争がしたくてたまらない、安倍首相も見たほうがいい。しかし、空爆をする連合軍に肩入れしそうか。これはお勧め。

明日は倉庫整理だが、腰は大丈夫なのか。不安だ。

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2007年3月15日 (木)

生きてると辛いことがある。

火曜日に職場へ電話があった。泣き声を聞いて、「とうとう、そうか」という思いと「まさか」という思いが、胸の中で交差した。同僚のNMさんが月曜日に亡くなったという知らせだった。

癌と闘うこと2年半。辛く、長い日々だった。一昨年は丸1年、入院していた。この時は、何度もお見舞いに行った。その年の初めに会った時は、「今年は娘と一緒にベトナムへ行こうね」という会話をした。その後、すぐに入院してしまった。退院が近づいた頃、お見舞いに行ったら、病院内の食堂でラーメンをご馳走になった。自分の足で歩いて、食堂に行き、好きなものが食べられるようになったことが嬉しくてたまらないという感じだった。そして笑顔で別れた。

お正月を自宅で迎え、庭の手入れや散歩をして、体力の回復に努めていたという。しかしほどなくまた入院した。昨年6月のことだ。お見舞いに行こうとしたが、体力をかなり消耗しているらしくて、「今はだめ」とのことだった。メールを打つ気力もなかったようだ。

今年の初めに退院した。さっそくメールを送った。「体力が回復したら、娘と子どもを入れて食事会をしよう」という返事が返ってきた。それが最後のメールになってしまった。

先週の金曜日に急に体調を崩し、入院した。月曜日は朝、お連れ合いが仕事に出かけるのに、「忘れ物はないか」などという会話をしていたそうだ。それが夕方、急変して、帰らぬ人となってしまった。

ワタシがこの職場に入った時には、半年先輩だった。だからもう30年以上の付き合いになる。仕事だけでなく、原発の学習会を長く続けたりし、東海村の集会などにも一緒に出かけた。映画「世界の人へ」の撮影をしていた時には、一緒に原水禁大会に参加し、映画のびらを配ったり、撮影に同行したりした。ぱくみんぎゅさんの自宅での撮影風景には、彼女の後ろ姿が映っている。

「世界の人へ」の上映運動では、ずっと関わってくれた。その頃から職場の同僚というよりも、「同志」という関係だった。

以前は仕事で年に2回、全国での会議があった。あちこちに行く度に、帰りに数日旅行をしていたが、必ずその時にもメンバーとなっていた。夏の海などにもよく出かけた。

子どもがふたりいて、長女は昨年結婚し、孫も生まれた。その子を何度抱いたのだろうか。まだ56歳だった。無念だろう。

30年の月日は長い。思い出が次々に浮かんでくる。喪失感に襲われている。一昨年の暮れに、病院で笑って別れたのが、少しでも救いになっている。ケータイには2月6日にもらったメールがある。「お久しぶりです」というタイトルだ。

昨年退院した時に、快気祝いということで故郷の鹿児島の芋焼酎を2本送ってくれた。まだ残っている。彼女を偲びながら、飲む事にしよう。

闘病生活は大変だったでしょう。安らかに、お眠りください。合掌。

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2007年3月13日 (火)

平和だからライブに行ける。

3月11日、新宿LOFTでPANTA~陽炎のライブがあった。ファースト・クルージングの最終日。PANTAをはじめ、メンバーもやる気満々で、実に気分の良いステージだった。

その前日は3月10日。62年前のこの日、深夜に東京をB29が襲った。東京大空襲だ。この夜だけで10万人以上の市民が犠牲になった。無差別爆撃だ。これはアメリカだけの戦術ではない。日本軍が中国の重慶で行ったのが、世界的にも最初のことだ。焼け跡で火傷を負った赤ん坊が泣いている写真を見たことがある人も多いと思う。あれが、重慶での無差別爆撃だ。

周囲から爆撃をし、逃げ道を塞いで、真ん中に爆弾を落とす。下町は焼け死んだ人たちで覆い尽くされた。以前に古本市で、全5巻の「東京大空襲を記録する会」の本を買った。1冊が広辞苑ほどある分厚い本だ。生き残った人たちの証言が綴られている。途中まで読み、あまりの残酷さに読み続ける気力を失くした。

中国やアジアの諸国で日本軍が行った軍事行為の帰結として、全国への空襲やヒロシマ、ナガサキの原爆投下があったのだと思う。

焼夷弾を落としたアメリカ人も同じ人間なら、殺された東京に住む者も同じ人間だ。中国で「丸太」として731部隊に生体実験にされた人も同じ人間だ。今もなお日本軍に遺棄された毒ガスで生死の境をさまよっている中国人の子どもも同じ人間だ。強制連行されて慰安婦にされた韓国の女性たちも同じ人間だ。

皆、それぞれの家族がいて、大勢の友人がいたことだろう。しかしそういう暮らしを根こそぎ奪うのが、戦争だ。そしてその戦争を起こすのは人間だ。だったら、止められるのも人間だろう。

憲法を改「正」するための法案、国民投票法の記事が、新聞に載っている。憲法改正は国会議員の3分の2の賛成と、最後は国民投票が決める。先ずは選挙で自民党と公明党の議員をひとりでも落選させることだ。そして、憲法を守るという意思をこの日本に住む者が、声高く叫ぶことだ。

きょうの朝日新聞夕刊で自民党の舛添要一は、「憲法は国歌権力から身を守るための最後の砦だ」と語っている。自民党にも真っ当なことを言う者がいる。なぜ、革新と言える党に、こういう人を引っ張ってくる度量がないのか。

のんびりと、ライブを楽しめる国を作っていかなければいけない。竹槍持たされ、バケツで焼夷弾を消す訓練などには出たくもない。もっとも今では、クラスター爆弾か。自衛隊も保持しているらしい。治安用だろう。イラクでは不発弾が、今でも爆発を続け、子どもたちが犠牲になっている。

そう、戦争の犠牲者は弱者だ。弱者を守れる国にしなければならない。

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2007年3月 8日 (木)

日本という国。

アメリカから「強制連行された朝鮮人慰安婦」の問題が出されている。安倍首相は、そんなことはなかったと言い張っている。名乗り出ている人だけでも、200名以上いるのは事実だ。アメリカ議会の公聴会でも、元慰安婦の方が証言をしている。先日の「ナヌムの家支援コンサート」にも、参加されていた。14歳で強制連行されたのだ。14歳からの数年間を日本軍人の慰み者とされた。こういう事実がありながら、それでも「ない」と言い切れる神経は一体なんなのだ。

元慰安婦の方々が亡くなれば、なにもなかったことにするのか。歴史を知るということを学ぶべきなのは誰なのか。「当初、定義されていた強制性を裏付ける証拠はなかった」というのが、安倍首相の発言だ。軍当局の関与と強制性があるからこそ、「慰安婦」が存在したのだ。

「決議があったからといって我々が謝罪するということはない」。これも安倍首相の発言だ。人間の尊厳を傷つけ、その一生を台無しにした責任を取らないで、なにが日本の首相だ。「美しい国」だと。冗談はよせ。

この上、憲法を変えてまた戦争をするつもりなのだ。相手はどこだ。北朝鮮か。中国か。

「ブルジョアジー諸君、我々は君たちに対し、ここに公然と宣戦を布告するものである!」。世界革命戦争宣言は過去のものではない。やる時は、やるぜ。

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2007年3月 6日 (火)

いやあ、3月だ。

3月に入ったら、鬱の中波が押し寄せて来て、まあ大変。金曜日は仕事を休んでしまった。1日中、布団の中だった。

土曜日は「ましろ亭」開店の日なので、この日は元気に朝から動き回った。9時に火災検知器の交換をするので起こされる。各部屋に検知器があり、それを全部交換した。「サインを下さい」というので、サインして判を押したところで、部屋番号が違うのに気づいた。「部屋番号が違いますけど」「えー」。工事前、工事中、工事後の写真を撮っていた。その時に部屋番号の入った看板を一緒に写していた。その部屋番号も違っていたのだ。「大丈夫ですか」「いや、大変なことをしてしまった」。工事の人は、とぼとぼと他の部屋に行った。

お次は、インターフォンの修理だ。新しいのにしてもらおうとしたら、「念のために管理事務所に問い合わせしてください」と言うので、電話した。「個人で新しいのにすると、全額負担になります。補助が出るには・・・」とずいぶん面倒なことを言うではないか。仕方ないので修理してもらった。6300円。はあ、修理だけでも結構高い。

直ったインターフォンが鳴る。クロネコヤマトの宅配便だ。きょうのメイン「海鮮ちゃんこ鍋セット」が届いた。さっそく箱を開け、解凍する。シャワーを浴びて、身を清める。3時にkateさんとhatanoさんが、見事なお刺身とはまぐりを持って、現れる。野菜まで買ってきてくれた。ありがとうございます。

5時頃、みんなが集まりだす。D上さん、ウノさん、koさんが来る。koさんとD上さんから、kateさんとワタシに誕生日の大きな花束をいただく。感謝。

海鮮ちゃんこ鍋には、しゃけ、たら、ほたて、かに、すりみなどが入っている。それに立派なはまぐりが加わる。ちょっと多く頼みすぎたかと思ったが、あっという間にみんなの胃袋に納まった。遅れて、トラベルサポート空のNさん登場。

やはりみんなで鍋を囲むのはいい。いつの間にか、ウノさんの絵描き会になる。大はまぐりに絵を描いてもらったのは、kateさんとhatanoさん。紙皿も登場して漫皿絵が次々に描かれていく。

「ウノさん、サービスしすぎですよ」とkoさん。新しい会社で、ウノさんとも仕事をするようだ。ぜひ、キャラクターを作って、いろいろ商品化しましょう。まずは手ぬぐいだ。

お開きになったのは、11時過ぎ。楽しい時間だった。また我が家の台所がきれいになった。皆さんありがとう。参加された方々へのお土産は、kateさんとD上さんが台所近辺を探して、素麺やのりなどを見つけたようだ。D上さんが持参したはっさくは美味しかった。またよろしくね。

ここで訂正を。「ナムヌの家」ではなくて、「ナヌムの家」です。書き間違いでした。おこづかい帳さん、教えてくれてありがとう。当日の収益金は結構多額になったようです。よかった。ぐらしあさんが苦労した甲斐があったというものだ。

で、日曜日はまた1日寝てました。きょう、病院に行ったら、「一過性のものでしょう」とのこと。まあ、よくあることだ。春も近いしな。

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2007年2月28日 (水)

はあ・・・。

いやあ、まいった、まいった。金が無いのは首がないのと一緒だと言ったのは、我が敬愛する西原理恵子画伯だ。うーむ。

で、こんな時は何をしてもうまくいかなくて、iTunesにも曲が入らない。やっと曲名などを入れたと思ったら、エラー表示が出て、みんなパー。何度やっても同じことになる。全くWINDOWSのあほたれ!

はい、あほたれは、ワタシ自身です。まいったたぬきは、どうなるのでしょうか。あれ、ま。

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2007年2月26日 (月)

ナヌムの家支援コンサート。

24日(土)の夜、「ナヌムの家支援コンサート」が開かれた。ナヌムとは「分かち合い」のことで、ソウルから2時間ほどの地に建てられた日本による強制連行で慰安婦とされたハルモニ(おばあさん)たちが住んでいる。韓国の仏教団体が運営をしているが、資金的にも厳しい。なんとか支援できないかということで、コンサートを行うことになった。

会場の日本教育会館一ツ橋ホールは、満員だった。前売り券を持っていても、入場できずに帰る人もいたようだ。楢さん、ウノさん、Hさん、kateさん、koさん、D上さんも来てくれた。

司会は朴慶南さんだ。きれいなチマチョゴリを着て現れた。ナヌムの家のビデオから、会は始まった。続いて、李政美さんのステージ。「京成線」から歌い出したが、いつ聴いてもきれいな歌声だ。この「京成線」はラジオから流れるこの曲を聴いた楢さんが、いっぺんにファンになったという話がある。民謡も交えたステージはいつもに増して素敵だった。ナヌムの家で、ハルモニたちから教わったという「浜千鳥」も披露してくれた。

新井英一さんはその野太い声が印象的で、心に響くブルースを聴かせてくれる。この人の歌も聴いたら忘れられない。「清河への道」もシングルバージョンを歌ってくれた。永六輔さんや筑紫徹也さんもファンで、この日も永さんが来てくれていたという。

アンコールはふたりで、「トラジ」と「アリラン」を歌った。参加者の興奮が、ホールを包んでいた。関西からの参加者もいたらしい。みんな満足して帰宅して行った。

2次会にもみんなで参加した。アメリカでの公聴会に参加したハルモニも、疲れも見せずに参加してくれた。そして、自分の体験を話してくれた。

「14歳で強制連行され、台湾に送られた。そこで特攻隊の若者と知り合った。特攻に出る前の晩のこと、ふたりで会っていたらこの歌を歌ってくれた。まだ、初恋という言葉も知らない頃だった」と語り、歌ってくれた。その日本語の歌に胸が一杯になった。軽い感傷ではなく、この人たちに何ができるのか。そのことを強く感じた。

この日は、ナヌムの家で働く26歳の日本の若者が紹介されていた。韓国に留学していた時に、ナヌムの家を知り、そのまま働いているという。歴史を正しく学ぶ必要性を考えさせれる。「嫌韓」なんて、どの口から言えるのか。

貴重な経験をさせてくれたぐらしあさんに感謝したい。身体を大事にしてください。

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2007年2月24日 (土)

パソコンを買った。

と言っても、自分のではなくて同じフロアにある某財団の理事長(中教審委員)のものだ。ずっと「パソコンの動きが遅い」と言い続けていた。そしたら予算が取れたらしい。「じゃあ、買ってきますよ」とこちらから申し出た。人のものでも買い物は楽しいのだ。

事前に量販店に電話した。そしたら「XPパソコンはありません」とのこと。これはヨドバシカメラで、「秋葉原でも探せばあるのでは」なんて言うではないか。ふーん。新しいOSが出たら、みんなそれにしてしまうとは、マイクロソフトの陰謀か。

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